肩幅程度に足を開いたら、ぎゅっとバットを握って肩に乗せる。


すぅーっと息を吸って思いっきり振り出す…!


「ちょーっと待ったぁぁぁーっ!!!」

…っ!
振り出した、のに途中で手が止まっちゃった。後ろから叫ぶ声が聞こえたから条件反射でピクッと体が反応して。

「こんな薄暗い中庭で何してんの?」
「…別に、バットが落ちてたから」
「ふーん…」
「野球部が片付け忘れたんじゃない?知らないけど」

近付いて来たと思ったらやたらジロジロ見てくる、何?
何か言いたいなら…っ

「あ、隣のクラスの香野真穂(こうのまほ)だ!」
「……。」
「俺知ってるんだよね~!超頭いい香野さんって!」

…私も知ってるけど、この金髪ピアス。
この辺じゃめっちゃくちゃ有名な超がつくほど大きい知切(ちぎり)病院の息子、でしょ。

「そんなんじゃ全然ダメだから、ちょっと貸して」
「えっ」

私の手からスッとバットを奪い構えた。

「いーい?バットの振り方はグリップ…このバット握ってるとこね!グリップを肩の高さまで持ち上げたら手のひらでしっかり握る、そのまま後ろに引いて腰の回転を意識して思いっきりバットを振るっ!」

ビュンッと風を切るように勢いよくバットが振られ…っ

「あーっ!ちょっと待って!ちょっと待って!何する気!?」
「え?窓割ろうかと」
「はぁ!?何してんのっ!?」
「なんで?香野さん割ろうとしてたよね?」
「…っ」

キョトンとした顔で言われた。
いや、まぁ…状況的にはそう見えてたかもしれないけど。

「でもっ、本当に割るやついないから!バカじゃないの!?」
「香野さんに比べたらバカかな~」

な、なんなのこいつ…へらっと笑ってむかつく。
家が金持ちだからってなめてんの?そうなの!?そうなんでしょっ!

「あ、チャイム鳴った!俺次なんの授業だっけ?」

キーンコーンカーンコーン…と学校中にチャイムが響き渡る。
予鈴だ、今お昼休みだから。本例が鳴るまでに教室に戻らなきゃ。
こいつからバットを奪ってスタスタと歩き出した。

「香野さんどこ行くの!?」
「…。」
「香野さんっ!!」
「バット片付けに行くの!ないと野球部が困るでしょ!!」

仕方ない、道具倉庫に戻しておけばいいか。
このまま置いていくのもあれだし、さっさと片付けて教室戻って次の授業の準備しないと。
確か次は数学だから…

「真穂~、ここの答え教えて♡次当てられるの!」
「…梨奈(りな)、自分でやらないと意味ないよ?」

教室に戻ったら一番後ろの窓際の、私の席で待っていた。ノートとシャーペンを持って答えを聞く気満々のスタンスで。

「だってやってもわからないんだもーんっ」
「本当にやったの?」
「やったよ、でも真穂みたいに解けないし時間の無駄すぎる」
「…。」

私の席に座る梨奈に空けてもらうよう促して席を代わってもらう。机の中から数学のノートを取り出して昨日予習したページを開いた。
これまぁまぁ難しくて時間かかったんだよね、数式がわかりにくくて…

「ありがとう真穂~!」

さっそく前の席に座ってササッと写し始めた。そこは梨奈の席ではないんだけどとりあえず早く写さなきゃの一心で、もうすぐ本鈴なるけど大丈夫なのかな。

「完璧!」

間に合ったみたいでぺろっと舌を出して満足そうだった。
ものの30秒、私がこの問題にかかった時間は7分。

「真穂はすごいね~!」
「そんなことないよ」

実際そんなことはないし、7分かかってるから7分ね。

「またまた~!こないだもテスト2位だったじゃん、学年2位!」

すくっと立ち上がってノートを閉じながら私の肩をぽんぽんと叩いた。
あれは私的にはすごくがんばった方ではあるんだけど、1位じゃなかった。それはそれなりに悔しくて、やっぱり1位がいいし。次こそは1位を目標に毎日勉強してる。

「真穂ちゃんは梨奈の自慢の友達だよ♡」
「調子のいいこと言ってないで次はちゃんと予習して来なよね!」
「あははは~」

別に勉強することは嫌いじゃない。好きか、って言われたら好きとも言えないけどとにかく嫌いではない。
だって高校3年生、もう受験はとうの昔から始まってる。
今日だって進路希望調査が配られたんだから。


「……。」

でもなんて書いて出そうかな、進路希望調査。
配られた進路希望調査の紙とにらめっこしながら通学路を歩いて帰る。
大学進学は、したい。でもたぶんうちにそんな余裕はない。
だから奨学金借りて、なおかつ国公立狙いの… 
ゴクリと息を飲む。進路希望調査の紙を見ただけでちょっとドキドキして来ちゃった。
ずっと行きたい大学がある。この辺では1番のトップレベルの大学で、かなり難しいとは言われてるけど…

「……。」

一応、書いておこう。無謀だったらダメだって先生もなんか言うでしょ、言うのはタダだよ書いとけ書いとけ。
あとは次に偏差値のいい大学とその次にいい大学で、それで希望出しとこ。

とりあえず目標はいい大学!
とにかくいい大学に入りたい!!

「あれ、ドア開いてる」

家のドアノブに手をかけたら鍵が開いていた。
高校からちょっと遠い一瞬家かどうかも怪しいボロッとしたアパートがうちの家、でも住めるからちょっと壁が薄いのがあれだけどないよりマシだしね。
ドアが開いてるってことは帰って来てるのかな?

「ただいま…」

静かにゆっくりドアを開ける、様子を伺うみたいに慎重にそぉーっと家の中に…入ろうと思ったら私よりだいぶ背の高い男の人がトイレから出て来た。
え、誰?めっちゃくちゃ目合ってるんだけど、これはたぶん…

「えーっ、真穂もう帰って来たの~!?」

奥の部屋からひょこっと顔を出したのはバンバンのまつ毛にくっるくるの髪、真っ赤な口紅を引いた実年齢よりは遥かに若く見えるように施してたしっかり40を超えてる私のお母さん。今日は気合いの入りようが違う、お母さんの持ってる服で超1軍の服着てるし。

「今日帰って来るの早くな〜い!?」

いつもこんなもんだよ、こんな時間にお母さんの方がいないから知らないだけでしょ。

「は…こいつ誰?」

そんでもって、今私のことを睨みつけてるこの背の高い男の人はきっと…

「あたしの娘」

新しいお母さんの彼氏、ね。

「はぁ!?お前子供いたのかよっ」
「いるって言ったじゃん!でもいっくんいつもテキトーな返事しかしないからぁ!」
「俺のせいにすんのか!俺は忙しーんだよっ、どーせお前が空気読まずに話しかけて来たんだろ!?」
「あっ待ってよいっくん!ごめんねっ、あたしがちゃんと言ってなかったからだよね!?ごめんねっ」

ケッと吐き捨てるように私を睨みながら横をスタスタと通り過ぎて家から出て行く。

「待っていっくん!あたしが悪いの、今日はあたしが奢るから!ねぇっ、いっくんの好きなもの食べよっ!?」

追いかけて行ったお母さんもバタバタと家を出てった。てゆーかトイレの戸ぐらい閉めてってくれるかな!?タバコの吸い殻は落ちてるし、食べかけのお菓子まで…!あんな男のどこがいいの?
私にはさっぱりわかんないんだけど。
てゆーかこれ私のポテトチップス!!今度のテストでいい点取れたら食べようと思ってたのにっ!

「……。」

はぁっと息を吐いて、もうほとんど入ってなかったポテトチップスの袋をゴミ箱に捨てた。

あんな大人にはなりたくないから。
私はあんな大人になりたくない。
だから絶対いい大学入って、いい会社に務めて立派な大人になってやるんだから。
こんなとこ早く出て行ってやるんだから。