このかが席に着くと、ソラは黙ってメニューを差し出した。このかは少し迷ってから、それを開かずにテーブルに伏せた。

「……この前のミルクティー……また、ください」

「かしこまりました」

 ソラがそう応じてカウンターへ戻ると、アケミが席を立ち、少しだけ距離を取ってこのかの席の近くに腰かけた。

「このかちゃん……だったよね。私もさ、最初この店に来たとき、ちょっと疲れてたんだよね。なんか世の中ってうるさいし、面倒なことばっかで。あ、うるさいって叱られたの、私のほうなんだけどね」

 アケミがおどけるように舌を見せる。

 このかは目を伏せたままだったが、アケミの言葉にほんの少し、まつげが揺れた。

「……でもここに来ると、なんか静かでさ。音も、匂いも、人の声も。ぜんぶがやわらかいの」

 アケミの声は、ふだんよりもずっと静かだった。それが、このかには心地よかった。

「……お母さんがね、言ってたの。フリースクール、どうかって」

 ぽつりと、このかが呟いた。

「ふーん。行ってみたい?」

「……わかんない。まだ……怖いし。でも……考えてみたいとは思ってて……」

「うん、それでいいんじゃない?」

 アケミは深く問い詰めることもせず、ただその言葉を受け止めた。

 やがて、ソラが湯気を立てたミルクティーをそっとテーブルに置いた。甘い香りがこのかの指先に届く前に、心の奥に沁みていった。

 静かな午後の光が、カップの縁をやわらかく照らしている。

 しばらく沈黙が続いた。ミルクティーの湯気がふわりと揺れて、ゆっくりと消えていく。その様子を見つめながら、このかがぽつりと口を開いた。

「……なんで、自分でもわかんないくらい、苦しくなるのかなって、ずっと考えてて」

 アケミは、急かすことなく、ただ静かに聞いていた。

「わたし、たぶん……うるさいのとか、においとか、光とか、全部がちょっとずつ、しんどいみたいで。教室って、そういうのが、ぜんぶあるから」

 言葉を探しながら、少しずつ吐き出すように、このかは続けた。

「それで、あるとき日直で……先生の話、ちゃんと書きとめられなくて。そしたら『ふざけてる、迷惑だ』って言われて、クラスのグループチャットからも外されて……」

 カップの縁を指でなぞる。

「そのとき、止めようとしてくれた子もいたけど……でも、その子を巻き込みたくなかったから、わたし、自分から離れたの。……それで、ひとりになった」

 アケミがそっと口を開いた。

「それ……全部、このかちゃんが背負うことじゃないよ」

「……うん、でも、そう思えないの。ちゃんとできなかったわたしが悪いって、ずっと思ってた」

 そのときだった。カウンターの奥から、ソラの声がやわらかく響いた。

「できる、ということと、向き合っている、ということは、同じではありません」

 このかはゆっくりと顔を上げ、ソラの方を見た。

「あなたは、ちゃんと自分の心と向き合っている。それだけで尊いことです」

 その言葉は、まるで店内の静けさと同じように、どこまでもやさしく、このかの胸に染み込んでいった。