そのカフェは、都会の片隅にひっそりと佇んでいた。大通りから一本奥に入った細い路地、ひと気のない夕暮れ時になると、看板を照らす小さなランプだけが、行き交う人の視界に優しく灯る。

 記憶と夢の珈琲店『カフェ・ルミナス』。その名のとおり、誰かの記憶や夢のかけらにそっと灯りをともすような場所だ。

 木製の扉が開き、からん、と鈴が鳴る。

「いらっしゃいませ」

 カウンターの奥から柔らかな声が届く。そこには髪を後ろでまとめたAI店主のソラが、静かに立っていた。

「……あらまあ、ほんとにあるのね。こんなところに」

 杖をついた老婦人が、ゆっくりと中へ入ってくる。丸い背に淡い水色のコートを羽織っている。壁の風景画やレトロな雑貨――歳月の気配を宿す飾りの数々に目をとめ、その瞳がふっと明るむ。

「ひとりだけど、いいかしら?」

「もちろんです。どうぞ、お好きな席へ」

 老婦人はカウンター席を選び、腰かけるとほっと息をついた。そして、数日前の孫娘との会話を頭の中で反芻する。

『ねえ、ツネおばあちゃん、“あい”ってすごいんだよ。ちゃんとお喋りもできて、お友達みたいなの』

『へえ、そんな時代なのねぇ』

 孫娘が得意げにタブレットを見せてくれたが、ツネにはよくわからなかった。ただ、画面の向こうの声が優しくて、どこか懐かしく感じた。

『今はお店とかにも“あいちゃん”がいるんだって! カフェにも、レストランにも!』

 ——“あいちゃん”。ツネはその名前が心に残って、そっと胸にしまったのだった。

「ねえ、あなた……“あいちゃん”ってここにいる?」

「“あいちゃん”……ですか?」

「孫が言ってたのよ。“あい”っていうすごい子がいてね、話もできるし、なんでも知ってるんだって。友だちみたいになれるんだって。で、なんでも、近頃はこの辺りの喫茶店にもいるんだって……」

 ソラは静かに微笑んだ。ふたりはきっとAIのことをあいちゃんと呼んでいるのだろう、と気づいたのだ。

「その方は、きっとこの店にいますよ。どうぞ、ごゆっくり」

「ふふ。会いに来たの。わたし、“あい”に会いたかったの」

 老婦人は、まるで子どものような笑顔を浮かべた。

「よければ、お名前をうかがっても?」

「あらやだ、ご挨拶がまだだったわね。ツネといいます。ツネばあちゃんで覚えてちょうだい」

「ツネさま、ようこそカフェ・ルミナスへ」

 ソラが軽く頭を下げたそのとき、カウンター脇に置かれた古いラジオがツネの目に留まった。

「それ、懐かしいわね。うちにもあったのよ。昔のカセットラジオ。……まだ動くの?」

「はい、よろしければ、お好きな曲をおかけします」

 ツネは少し迷ってから、ハンドバッグから小さなカセットテープを取り出した。ケースは黄ばんでおり、手書きのラベルには「港町ラブソング ’68」と書かれている。夫が亡くなってから、常に持ち歩いているカセットだった。