「ジャンヌゥゥゥ!こっちからも来るぅぅぅ!!」
「分かってますから!黙ってしがみついていて下さい!!」
飛び交う矢のなか、馬を走らせたジャンヌにしがみつく。
「――――――らぁ!」
終わりの見えない敵襲を蹴散らしながら、一向に馬を止めない。
「ねぇ、これ抜けられる見込みある!?」
「、、、、」
「ないよね!?」
「えぇい!私の仕事は故郷を守ることです!、、、、跳びますよ!舌噛みたくなかったら黙っていて下さいね!」
「え、えぇっ!?」
そう叫ぶとジャンヌは手網を引き、馬はそれに応じ、高く跳ぶ。
敵の騎馬隊を飛び越し、一気に駆けていく。
「、、、、なんて荒業するの、、、。俺の心臓が持たない」
「さっきは逃げるが最善策です!!」
後ろからは矢の音、金属のぶつかる音。
それら全てを振り切るように、彼女はただ前だけを見ていた。
「このまま森まで抜けます!」
「森って、、、あの森!?あそこ魔物が出るって――」
「敵に捕まるよりはマシです!」
「あ、はい」
喉が焼けるような乾きを覚えながら、俺は必死でジャンヌの背中にしがみついた。
金色の髪が風に舞い、鎧に差す陽光がきらりと光る。
綺麗だった三つ編みは、今では肩にギリ届くか届かないかくらいに切られている。
自分に対する、ケジメなんだそうな。
森の入り口が見えてくると、空気が一気にひんやりと変わる。
「もう少し、、、っ!」
ジャンヌの声が震えているのが分かった。疲労だけじゃない、恐怖がほとんどを占めていた。
森の中は薄暗く、昼だというのに夜のように静かだ。
枝の影が道を覆い、馬の足元はぬかるみ、進むたびに泥が跳ねる。
それでも、ジャンヌは止まらなかった。
「このまま行けば、、、きっと、、、!」
その言葉が終わるより早く、
「ジャンヌ、右っ!!」
俺の叫びと同時に、横合いの草むらから矢が放たれた。
反射的に彼女を抱きしめ、矢が俺の肩鎧を弾く。
(伏兵かっ、、、!)
鋭い金属音。火花。
「ジャンヌ、伏せて」
「え、でも、、、」
「さっき、怪我したでしょ?無理に動けば悪化する」
ジャンヌの代わりにしばらく馬を走らせていたら、幸運なことに洞窟を見つけた。
「一旦ここに身を隠そう」
薪木に火を付け、彼女の甲冑を外すと、服が赤く染まっていた。
浅いけど、確かに出血している。
「私は大丈夫です、、、手当てくらい自分で、、、」
だが、その声に少しだけ力がなかった。
血の匂いがかすかに混じる。
「大丈夫。俺に任せて」
水袋の水を使ってジャンヌの傷を洗う。
「薬、、、、、、持ってないんだよな」
近くに薬草でもあれば良かったんだけど、、、。
鞄の中を漁りながら、唇を噛む。
包帯もない。せめて、清潔な布でも――。
自分の服の袖を掴み、勢いよく裂いた。
ジャンヌは俺みたいに戦い慣れていないから、心配になる。
骨は、、、折れてないみたいだ。
裂いた布をきつく巻き、ぎゅっと結ぶ。
染み出す血を何度も拭いながら、ようやく止まっていく。
丁寧にテキパキと治療を済ませた。
それから休憩がてら敵軍の偵察をしていると、日は落ちた。空には綺麗な星が輝いている。
「それ、なんて書いてあるんですか?」
羊皮紙にその日あったことを記録していると、突拍子もなく、ジャンヌが聞いてきた。
「え、あぁ、、、記録だよ。ジャンヌも書く?」
羽ペンと新しい紙を取り出して、ジャンヌに手渡す。
しかし、ジャンヌは困ったように眉を下げた。
「私は、文字が読めません。だから――」
「まぁまぁ。文字じゃなくても絵だったり、文字で書きたいなら俺が教えてあげるからさ」
何でも良いから書いて見せてよ。
ジャンヌは手を動かしながら、チラチラと俺の方を見る。
(もしかして俺のこと描いてくれるのー?やーん、嬉し〜〜)
しばらくして、ジャンヌが書いてくれた紙を見た瞬間、時間が止まったような気がした。
俺の似顔絵と、ありがとうという文字。そしてジャンヌ自身の名前が書かれていた。
(そういや前に教えたっけ、、、)
ありがとうのスペルを少し間違えているのが、余計に可愛かった。
まぁ、読める範囲なので良しとしよう。
これは確か、ジャンヌと共に前線に立つ数ヶ月前の思い出。
時は十五世紀。
戦わないと生き残れない、嫌な時代だ。
「戦争か、、、」
どいつもこいつも偉い人は口癖のようにその言葉を発する。戦争するって言わないと死ぬ病気なの?
もう長い間、イングランドと戦っている。いつから始めたかなんて、覚えちゃいない。
確かに戦わないと遠慮なく消される世の中だけど―――毎度、武力行使以外の方法はないのかと考えてしまう。
無意識にため息が零れ、ふらふらと癒しを求めて馬小屋へ足を運ぶ。
案の定、探し人は馬小屋で愛馬の世話をしていた。
「おーい、ジャンヌー!」
声をかけると、馬のブラッシングをしていた彼女が振り返る。
「どうしましたか?」
そして花が咲くように笑うジャンヌ。
その笑顔が、何よりも俺の支えとなっていた。
俺の正体など知らないだろう。というか知っている人はいないけど。
彼女は、フランスを救う為に戦うと言ってくれた。もし、そのフランスが俺だと知ったら、どんな反応をするだろうか?
試してみたい。
「、、、俺さ、この戦いで生き残れると思う?」
「貴方なら大丈夫です」
ジャンヌは俺の横顔を見ながら、笑顔で言う。
その笑顔があまりにも眩しくて、まるで太陽のようだった。
「―――っていうか、貴方はまともに戦えば士官より強いじゃないですか。それなのに私に泣きついてきて、、、」
「あ、やっぱりバレてた?」
「当たり前です!!」
返答はすぐに帰ってきた。
「君だけに泣きつくんだ」
パチンとウィンクを飛ばしてみる。
「何カッコつけているんですか、、、」
ジャンヌは呆れ顔だが、軽口にいちいち反応してくれた。
「あー、、、あのさ、ジャンヌ」
「何ですか?ブラッシングが終われば稽古に行くんですけれど、、、」
「やっぱり戦いに行くのやめない?」
「またその話ですか?」
「ほら、危ないし、ジャンヌは女の子なんだから」
そう言うと、ジャンヌはいつものようにムスッとする。
「分かってます。でも、、、私はこの国で生まれた!祖国の力になりたいと思うのは当然じゃないですか!貴方だってそうでしょう!?」
「う、、、」
言葉に詰まる。こうなれば今回もジャンヌの勝ちになりそうだ。、、、まぁ、一度も俺が勝てたことはないんだけどね?
「男でなければ守りたいと思うのはダメなのですか、、、?」
悲しそうな顔をする。
違う。
そんな表情をさせたい訳じゃないんだ。
ただ、君の手は剣を持つより花を持つ方が似合うと思うんだよ。
花のように、太陽のような笑みを浮かべてほしい。
「ジャンヌ」
「聞きませんよ」
「、、、ジャンヌが助けを求めた時は、俺の持てる力を全て使ってでも君を守るからね、、、!」
「え、は、はぁ、、、」
びっくりしたように、目を大きく見開く。
「ねぇジャンヌ。ちょっと俺を殴って」
「、、、はい?」
あら、初めて見る種類の呆れ顔だね。
「良いから」
促され、ジャンヌは俺の頬を殴る。当然、地面に倒れて悶えた。
「〜〜~っ!う〜ん、痛い!」
「何がしたかったんですか!?」
じんじんと痛む頬を押さえ、ジャンヌを見上げる。心配している顔。
「いやぁ、、、ジャンヌは強いっていう再確認?」
「、、、何ですかそれ」
心配が呆れに変わり、吹き出すように笑い出した。その表情は年相応で、、、。
この笑顔が見られるのなら守られるのも悪くないと思った。
ジャンヌに見守られながら、体を起こした。
あの子は戦場に立って、幸せだっただろうか?戦場に関わらない普通の娘としていてくれた方があの子は幸せだったんじゃないか?―――なんて、考えなかった日は一度もない。
よく似た誰かの人生に、よく似た誰かの面影を感じている。
彼女はまさに死地へと連れて行かれようとしていた。
踏み荒らされようとしている故郷を、崩壊しかけているこの国を、見過ごすことをしない少女だった。
本当は怖くて仕方ないくせに、泣き叫んで逃げ出したいくせに、それでも踏みとどまることが出来る少女だった。
『私は、祖国の為に戦っているのです』
そう言って俺に微笑んでくれるような、そんな少女だった。
それなのに、一体なぜ。
彼女は救った。滅びゆくこの国を、折れかけていた人々の心を、救ってみせた。
与えられているばかりで何も返せていないというのに。受けた恩は返しきれていないのに。
そんなあの子を、この国は、俺は見捨てようというのか。
ああ、生きて帰って来てほしい。生きて幸せになってほしい。助けてやりたい。
夢を見ているようだった。目の前で燃える炎の熱さも、自分がどうやってルーアンまで来たのかさえも分からない。
ただ、この場に立ち、目の前の光景を見つめているだけだった。
火刑は、刑として重い。
生きたまま縛り付けられ、己を焼き尽くす炎の感覚が息絶えるまで続くのだ。
それは、どんな精神力や忍耐力がある者でも『死』という恐怖に、阿鼻叫喚する。
「待てよ、何でだよ!あの子は魔女なんかじゃない!!頼むから、、、散々フランスに尽くしてきたその子の未来を、奪わないでくれよ、、、!」
その切実な願いさえも、彼女の死を望む声にかき消された。
風が吹き、黒煙と、炎が舞う。
立ち込める炎の匂い。
飛び交う罵倒。
しかし、中には彼女の死を嘆く者もいた。
太陽の光を受け、あの子の金髪が輝いた。
あの子は、微笑んだ。
自分を、俺を見て。
炭と化していく白いワンピース。
自らを包む赤い炎。
そんなものを、気にもしないように。
「我が祖国に栄光あれ―――」
ふわりと微笑み、呟いた。
彼女はこの国の、フランスの栄光を願ったのだ。
あの光景を、いつまで経っても忘れられない。
俺が初めて本気で愛した女性は、自分とは流れる時間が違う『人間』の少女だった。
燃えた木の前に立っていたイングランドにの胸ぐらを掴む。
「何でだよ、、、イングランド、、、」
しかし、イングランドは返答するのも面倒くさそうに「何がだ?」と目線で答える。
「何であの子を殺した!答えろ!!あの子は、、、あの子は普通の、普通の女の子だったんだ、、、なのに、、、何故、あの子が、、、」
怒りから絞り出した声は震えている。
イングランドは眉を八の字に動かし、焼け跡だけ残ったジャンヌが縛られていた場所を横目で見る。
今の俺はそれすらも腹が立った。
「、、、頼む。ジャンヌを返してくれ、、、」
呟くようにイングランドに縋る。
本当は、分かっていた。どんなにコイツに願ったって、何も元に戻らないということくらい、分かっていた。
どうしてもあの子の死を受け入れたくなくて、、、。
どうしてもあの子を見殺しにしてしまった自分を許せなくて、、、。
異端と判断されて処刑されてしまった十九歳の少女。フランスを勝利へと導いた少女剣士。
勝利なんか、、、どうだっていい。あの子が戻ってくるのなら勝利なんかいらない。
伝えられないまま終わってしまった気持ち。
そんなの、、、酷いじゃないか。
かつて、ジャンヌは俺に言った。
『神様はいます』と。
もし、本当に神様がいるのなら、、、あの子を、ジャンヌを返してくれよ。
なのに神様、何で―――
王でも貴族でも軍人でもなく、後ろ盾も何もないあの子に貴方の声が聞こえてしまったのですか、、、?
あれから数十年経った一四五六年、復権裁判により彼女が魔女ではないと証明された。
まだ夜が明けて間もない早朝。
揺れる川面が岸に当たる僅かな水音くらいしかしない静かな街の中を、一人で歩いていた。
口元に浮かぶのは薄い笑み。だが、その瞳にあるのは哀惜の光。
『七月七日』
あの子が無罪とされた日だ。
あの子に罪などあるはずがなかった。俺にとってのあの子は、罪なんて言葉とは極端なくらい遠くにいる。
人間の裁きというのは随分お粗末というのは知っていたし、あの子がこの世からいなくなるのは仕方ないことだと諦めたはずだったのに――――――まっすぐで綺麗なあの子にあてがわれた罪が消えた日、俺は年甲斐もなく泣き喚いた。
何であの子が、あんな死に方しなければいけないんだと恨む気持ちが七割。あの子が天に昇り、神に巡り会えると安堵した気持ちが三割。
家の庭で育てた白いユリの花束を持って、緩やかな流れのセーヌ川へ向かう。
「君の無実が証明されたよ。、、、君は最初から美しく清らかな女性なのに、魔女だなんて酷い話だよね、、、」
善良で、純粋で、信仰深く、真面目で、あんなにも可愛らしく笑う少女だったのに。
「、、、、、、」
不意に強い風が吹き、目を細める。ユリの花が風に揺られて音を立てた。
ねぇ、君がいなくなってから数十年が経ったね。俺はやっと君を『特別なんだ』って笑えるようになったよ。
あの時、俺が君にしてしまったこと、約束を守れなかったこと、許してくれなんて思わないけど、、、ただ、これくらいはしても良いだろ?心を込めて大切に育てたからさ。
君の為に俺が出来ること、、、何もないかもしれないけど、ただ強く生きるよ。
優しい君が、天国で笑っていることを願おう。
手に持っていた花束を持ち上げて、シルクのような純白に軽いキスをひとつ落とすと、花束を川面へと放る。
ジャンヌ、、、。今年も、綺麗なユリが咲いたよ。
ぽちゃん、と水面を僅かに揺らして、ユリはその身を傾ける。
あの子の灰が流されたのが、この川だから。
「会いたいなぁ、、、」
俺はいつあの子に会えるのだろうか。
あまり早く会いに行けば怒られてしまうから、まだ会える日は遠い。
次会う時には、血や灰の匂いのしない場所で、一緒に踊りたいな。
「今度生まれる時は、幸せになってな」
きっと、俺がそっちに行くより先に、ジャンヌが生まれ変わる方が早いから。
徐々に小さくなっていく花束。
目を閉じ、じっと立ち尽くした。そのまま動かなかった。
、、、本当に驚いたんだよ。
アメリカに半ば引きずられるようにしてリビングに入ってきた、俺達の体を作ってくれた十三歳の女の子。
その瞬間、彼女以外の全てが視界から消え失せた。
歳の割にあどけない顔は、忘れるはずもない造作。
その姿は、一瞬で過去の記憶へと俺を突き落とした。
甲冑を身にまとっていないことがなければ、あの時代ではないかと錯覚する程に。
呼吸も、思考も全てが止まった。
目の前で微笑み佇む姿は、何度瞬いても消えることはなく、呼吸さえも忘れた体とは別に頭の妙に冷静な部分はふと、『懐かしい』と思った。
そう―――懐かしかった。
確かに彼女は俺の知っている彼女だったのに、今を生きる普通の女の子になっていて―――
血生臭い匂いも、肺が痛むような焼け焦げた匂いもしなかった。
俺はずっと、あの匂いが忘れられなかったのに。
「分かってますから!黙ってしがみついていて下さい!!」
飛び交う矢のなか、馬を走らせたジャンヌにしがみつく。
「――――――らぁ!」
終わりの見えない敵襲を蹴散らしながら、一向に馬を止めない。
「ねぇ、これ抜けられる見込みある!?」
「、、、、」
「ないよね!?」
「えぇい!私の仕事は故郷を守ることです!、、、、跳びますよ!舌噛みたくなかったら黙っていて下さいね!」
「え、えぇっ!?」
そう叫ぶとジャンヌは手網を引き、馬はそれに応じ、高く跳ぶ。
敵の騎馬隊を飛び越し、一気に駆けていく。
「、、、、なんて荒業するの、、、。俺の心臓が持たない」
「さっきは逃げるが最善策です!!」
後ろからは矢の音、金属のぶつかる音。
それら全てを振り切るように、彼女はただ前だけを見ていた。
「このまま森まで抜けます!」
「森って、、、あの森!?あそこ魔物が出るって――」
「敵に捕まるよりはマシです!」
「あ、はい」
喉が焼けるような乾きを覚えながら、俺は必死でジャンヌの背中にしがみついた。
金色の髪が風に舞い、鎧に差す陽光がきらりと光る。
綺麗だった三つ編みは、今では肩にギリ届くか届かないかくらいに切られている。
自分に対する、ケジメなんだそうな。
森の入り口が見えてくると、空気が一気にひんやりと変わる。
「もう少し、、、っ!」
ジャンヌの声が震えているのが分かった。疲労だけじゃない、恐怖がほとんどを占めていた。
森の中は薄暗く、昼だというのに夜のように静かだ。
枝の影が道を覆い、馬の足元はぬかるみ、進むたびに泥が跳ねる。
それでも、ジャンヌは止まらなかった。
「このまま行けば、、、きっと、、、!」
その言葉が終わるより早く、
「ジャンヌ、右っ!!」
俺の叫びと同時に、横合いの草むらから矢が放たれた。
反射的に彼女を抱きしめ、矢が俺の肩鎧を弾く。
(伏兵かっ、、、!)
鋭い金属音。火花。
「ジャンヌ、伏せて」
「え、でも、、、」
「さっき、怪我したでしょ?無理に動けば悪化する」
ジャンヌの代わりにしばらく馬を走らせていたら、幸運なことに洞窟を見つけた。
「一旦ここに身を隠そう」
薪木に火を付け、彼女の甲冑を外すと、服が赤く染まっていた。
浅いけど、確かに出血している。
「私は大丈夫です、、、手当てくらい自分で、、、」
だが、その声に少しだけ力がなかった。
血の匂いがかすかに混じる。
「大丈夫。俺に任せて」
水袋の水を使ってジャンヌの傷を洗う。
「薬、、、、、、持ってないんだよな」
近くに薬草でもあれば良かったんだけど、、、。
鞄の中を漁りながら、唇を噛む。
包帯もない。せめて、清潔な布でも――。
自分の服の袖を掴み、勢いよく裂いた。
ジャンヌは俺みたいに戦い慣れていないから、心配になる。
骨は、、、折れてないみたいだ。
裂いた布をきつく巻き、ぎゅっと結ぶ。
染み出す血を何度も拭いながら、ようやく止まっていく。
丁寧にテキパキと治療を済ませた。
それから休憩がてら敵軍の偵察をしていると、日は落ちた。空には綺麗な星が輝いている。
「それ、なんて書いてあるんですか?」
羊皮紙にその日あったことを記録していると、突拍子もなく、ジャンヌが聞いてきた。
「え、あぁ、、、記録だよ。ジャンヌも書く?」
羽ペンと新しい紙を取り出して、ジャンヌに手渡す。
しかし、ジャンヌは困ったように眉を下げた。
「私は、文字が読めません。だから――」
「まぁまぁ。文字じゃなくても絵だったり、文字で書きたいなら俺が教えてあげるからさ」
何でも良いから書いて見せてよ。
ジャンヌは手を動かしながら、チラチラと俺の方を見る。
(もしかして俺のこと描いてくれるのー?やーん、嬉し〜〜)
しばらくして、ジャンヌが書いてくれた紙を見た瞬間、時間が止まったような気がした。
俺の似顔絵と、ありがとうという文字。そしてジャンヌ自身の名前が書かれていた。
(そういや前に教えたっけ、、、)
ありがとうのスペルを少し間違えているのが、余計に可愛かった。
まぁ、読める範囲なので良しとしよう。
これは確か、ジャンヌと共に前線に立つ数ヶ月前の思い出。
時は十五世紀。
戦わないと生き残れない、嫌な時代だ。
「戦争か、、、」
どいつもこいつも偉い人は口癖のようにその言葉を発する。戦争するって言わないと死ぬ病気なの?
もう長い間、イングランドと戦っている。いつから始めたかなんて、覚えちゃいない。
確かに戦わないと遠慮なく消される世の中だけど―――毎度、武力行使以外の方法はないのかと考えてしまう。
無意識にため息が零れ、ふらふらと癒しを求めて馬小屋へ足を運ぶ。
案の定、探し人は馬小屋で愛馬の世話をしていた。
「おーい、ジャンヌー!」
声をかけると、馬のブラッシングをしていた彼女が振り返る。
「どうしましたか?」
そして花が咲くように笑うジャンヌ。
その笑顔が、何よりも俺の支えとなっていた。
俺の正体など知らないだろう。というか知っている人はいないけど。
彼女は、フランスを救う為に戦うと言ってくれた。もし、そのフランスが俺だと知ったら、どんな反応をするだろうか?
試してみたい。
「、、、俺さ、この戦いで生き残れると思う?」
「貴方なら大丈夫です」
ジャンヌは俺の横顔を見ながら、笑顔で言う。
その笑顔があまりにも眩しくて、まるで太陽のようだった。
「―――っていうか、貴方はまともに戦えば士官より強いじゃないですか。それなのに私に泣きついてきて、、、」
「あ、やっぱりバレてた?」
「当たり前です!!」
返答はすぐに帰ってきた。
「君だけに泣きつくんだ」
パチンとウィンクを飛ばしてみる。
「何カッコつけているんですか、、、」
ジャンヌは呆れ顔だが、軽口にいちいち反応してくれた。
「あー、、、あのさ、ジャンヌ」
「何ですか?ブラッシングが終われば稽古に行くんですけれど、、、」
「やっぱり戦いに行くのやめない?」
「またその話ですか?」
「ほら、危ないし、ジャンヌは女の子なんだから」
そう言うと、ジャンヌはいつものようにムスッとする。
「分かってます。でも、、、私はこの国で生まれた!祖国の力になりたいと思うのは当然じゃないですか!貴方だってそうでしょう!?」
「う、、、」
言葉に詰まる。こうなれば今回もジャンヌの勝ちになりそうだ。、、、まぁ、一度も俺が勝てたことはないんだけどね?
「男でなければ守りたいと思うのはダメなのですか、、、?」
悲しそうな顔をする。
違う。
そんな表情をさせたい訳じゃないんだ。
ただ、君の手は剣を持つより花を持つ方が似合うと思うんだよ。
花のように、太陽のような笑みを浮かべてほしい。
「ジャンヌ」
「聞きませんよ」
「、、、ジャンヌが助けを求めた時は、俺の持てる力を全て使ってでも君を守るからね、、、!」
「え、は、はぁ、、、」
びっくりしたように、目を大きく見開く。
「ねぇジャンヌ。ちょっと俺を殴って」
「、、、はい?」
あら、初めて見る種類の呆れ顔だね。
「良いから」
促され、ジャンヌは俺の頬を殴る。当然、地面に倒れて悶えた。
「〜〜~っ!う〜ん、痛い!」
「何がしたかったんですか!?」
じんじんと痛む頬を押さえ、ジャンヌを見上げる。心配している顔。
「いやぁ、、、ジャンヌは強いっていう再確認?」
「、、、何ですかそれ」
心配が呆れに変わり、吹き出すように笑い出した。その表情は年相応で、、、。
この笑顔が見られるのなら守られるのも悪くないと思った。
ジャンヌに見守られながら、体を起こした。
あの子は戦場に立って、幸せだっただろうか?戦場に関わらない普通の娘としていてくれた方があの子は幸せだったんじゃないか?―――なんて、考えなかった日は一度もない。
よく似た誰かの人生に、よく似た誰かの面影を感じている。
彼女はまさに死地へと連れて行かれようとしていた。
踏み荒らされようとしている故郷を、崩壊しかけているこの国を、見過ごすことをしない少女だった。
本当は怖くて仕方ないくせに、泣き叫んで逃げ出したいくせに、それでも踏みとどまることが出来る少女だった。
『私は、祖国の為に戦っているのです』
そう言って俺に微笑んでくれるような、そんな少女だった。
それなのに、一体なぜ。
彼女は救った。滅びゆくこの国を、折れかけていた人々の心を、救ってみせた。
与えられているばかりで何も返せていないというのに。受けた恩は返しきれていないのに。
そんなあの子を、この国は、俺は見捨てようというのか。
ああ、生きて帰って来てほしい。生きて幸せになってほしい。助けてやりたい。
夢を見ているようだった。目の前で燃える炎の熱さも、自分がどうやってルーアンまで来たのかさえも分からない。
ただ、この場に立ち、目の前の光景を見つめているだけだった。
火刑は、刑として重い。
生きたまま縛り付けられ、己を焼き尽くす炎の感覚が息絶えるまで続くのだ。
それは、どんな精神力や忍耐力がある者でも『死』という恐怖に、阿鼻叫喚する。
「待てよ、何でだよ!あの子は魔女なんかじゃない!!頼むから、、、散々フランスに尽くしてきたその子の未来を、奪わないでくれよ、、、!」
その切実な願いさえも、彼女の死を望む声にかき消された。
風が吹き、黒煙と、炎が舞う。
立ち込める炎の匂い。
飛び交う罵倒。
しかし、中には彼女の死を嘆く者もいた。
太陽の光を受け、あの子の金髪が輝いた。
あの子は、微笑んだ。
自分を、俺を見て。
炭と化していく白いワンピース。
自らを包む赤い炎。
そんなものを、気にもしないように。
「我が祖国に栄光あれ―――」
ふわりと微笑み、呟いた。
彼女はこの国の、フランスの栄光を願ったのだ。
あの光景を、いつまで経っても忘れられない。
俺が初めて本気で愛した女性は、自分とは流れる時間が違う『人間』の少女だった。
燃えた木の前に立っていたイングランドにの胸ぐらを掴む。
「何でだよ、、、イングランド、、、」
しかし、イングランドは返答するのも面倒くさそうに「何がだ?」と目線で答える。
「何であの子を殺した!答えろ!!あの子は、、、あの子は普通の、普通の女の子だったんだ、、、なのに、、、何故、あの子が、、、」
怒りから絞り出した声は震えている。
イングランドは眉を八の字に動かし、焼け跡だけ残ったジャンヌが縛られていた場所を横目で見る。
今の俺はそれすらも腹が立った。
「、、、頼む。ジャンヌを返してくれ、、、」
呟くようにイングランドに縋る。
本当は、分かっていた。どんなにコイツに願ったって、何も元に戻らないということくらい、分かっていた。
どうしてもあの子の死を受け入れたくなくて、、、。
どうしてもあの子を見殺しにしてしまった自分を許せなくて、、、。
異端と判断されて処刑されてしまった十九歳の少女。フランスを勝利へと導いた少女剣士。
勝利なんか、、、どうだっていい。あの子が戻ってくるのなら勝利なんかいらない。
伝えられないまま終わってしまった気持ち。
そんなの、、、酷いじゃないか。
かつて、ジャンヌは俺に言った。
『神様はいます』と。
もし、本当に神様がいるのなら、、、あの子を、ジャンヌを返してくれよ。
なのに神様、何で―――
王でも貴族でも軍人でもなく、後ろ盾も何もないあの子に貴方の声が聞こえてしまったのですか、、、?
あれから数十年経った一四五六年、復権裁判により彼女が魔女ではないと証明された。
まだ夜が明けて間もない早朝。
揺れる川面が岸に当たる僅かな水音くらいしかしない静かな街の中を、一人で歩いていた。
口元に浮かぶのは薄い笑み。だが、その瞳にあるのは哀惜の光。
『七月七日』
あの子が無罪とされた日だ。
あの子に罪などあるはずがなかった。俺にとってのあの子は、罪なんて言葉とは極端なくらい遠くにいる。
人間の裁きというのは随分お粗末というのは知っていたし、あの子がこの世からいなくなるのは仕方ないことだと諦めたはずだったのに――――――まっすぐで綺麗なあの子にあてがわれた罪が消えた日、俺は年甲斐もなく泣き喚いた。
何であの子が、あんな死に方しなければいけないんだと恨む気持ちが七割。あの子が天に昇り、神に巡り会えると安堵した気持ちが三割。
家の庭で育てた白いユリの花束を持って、緩やかな流れのセーヌ川へ向かう。
「君の無実が証明されたよ。、、、君は最初から美しく清らかな女性なのに、魔女だなんて酷い話だよね、、、」
善良で、純粋で、信仰深く、真面目で、あんなにも可愛らしく笑う少女だったのに。
「、、、、、、」
不意に強い風が吹き、目を細める。ユリの花が風に揺られて音を立てた。
ねぇ、君がいなくなってから数十年が経ったね。俺はやっと君を『特別なんだ』って笑えるようになったよ。
あの時、俺が君にしてしまったこと、約束を守れなかったこと、許してくれなんて思わないけど、、、ただ、これくらいはしても良いだろ?心を込めて大切に育てたからさ。
君の為に俺が出来ること、、、何もないかもしれないけど、ただ強く生きるよ。
優しい君が、天国で笑っていることを願おう。
手に持っていた花束を持ち上げて、シルクのような純白に軽いキスをひとつ落とすと、花束を川面へと放る。
ジャンヌ、、、。今年も、綺麗なユリが咲いたよ。
ぽちゃん、と水面を僅かに揺らして、ユリはその身を傾ける。
あの子の灰が流されたのが、この川だから。
「会いたいなぁ、、、」
俺はいつあの子に会えるのだろうか。
あまり早く会いに行けば怒られてしまうから、まだ会える日は遠い。
次会う時には、血や灰の匂いのしない場所で、一緒に踊りたいな。
「今度生まれる時は、幸せになってな」
きっと、俺がそっちに行くより先に、ジャンヌが生まれ変わる方が早いから。
徐々に小さくなっていく花束。
目を閉じ、じっと立ち尽くした。そのまま動かなかった。
、、、本当に驚いたんだよ。
アメリカに半ば引きずられるようにしてリビングに入ってきた、俺達の体を作ってくれた十三歳の女の子。
その瞬間、彼女以外の全てが視界から消え失せた。
歳の割にあどけない顔は、忘れるはずもない造作。
その姿は、一瞬で過去の記憶へと俺を突き落とした。
甲冑を身にまとっていないことがなければ、あの時代ではないかと錯覚する程に。
呼吸も、思考も全てが止まった。
目の前で微笑み佇む姿は、何度瞬いても消えることはなく、呼吸さえも忘れた体とは別に頭の妙に冷静な部分はふと、『懐かしい』と思った。
そう―――懐かしかった。
確かに彼女は俺の知っている彼女だったのに、今を生きる普通の女の子になっていて―――
血生臭い匂いも、肺が痛むような焼け焦げた匂いもしなかった。
俺はずっと、あの匂いが忘れられなかったのに。



