五月の新緑が、目に眩しい。柔らかい風が吹いて、十二(とうじ)の前髪を撫でて行った。土曜日で、からっと快晴。晴れて新入部員候補になった彼は今、浅草にいた。
 新歓という名目だが、今午前10時である。めちゃくちゃ朝だ。
 500メートルほど目前に、雨水たち落研部員三人がいて、十二に軽く手を振った。待ち合わせ場所でも雨水《うすい》は目立っている。パーリィと福々の二人も和装だけれど、三人の中でも彼の髷はやっぱり別格だ。
 浅草に観光にきたのであろう外国人の一団が、雨水を指さして何事かわめく。
 良く聞いてみると「オー、オサムライ!」「チョンマゲー!」とか言っている。

 「あ、あの!」

 声をかけようとした瞬間、外国人がどやどやと雨水の元になだれ込む。雨水とパーリィと福々、十二の間には、外国人観光客の深い川が出来ていた。

 (わあ……!)


 外国人観光客が雨水に写真を求める。だが彼は、憮然とした表情でそれを断った。

 「十二くん!」

 観光客の間を縫って、雨水が十二のもとにやってくる。躊躇わず、彼の手が十二の手首に伸ばされて、掴まれる。
 ドキン、と十二の心臓が跳ねた。雨水が十二の手首を握って引き寄せ、歩き出す。

 「行こう。ついておいで」
 「ひっ」

 十二は返事もできずに、雨水の後を付いて歩き出した。外国人観光客の姿が、みるみるうちに遠ざかる。

 「相手をしてもいいのだが、今日は用事があるからな」

 言いながら、雨水はずんずん歩いて行く。

 (手、手が)

 雨水の乾いて温かい指が、十二の手首を優しく、しかし、しっかりと掴んでいる。

 (さ、触られてる)

 その手が妙に意識されて、十二の顔がみるみるうちに紅潮し、耳まで赤くなる。
 それに気が付いた福々が、小首をかしげて十二に尋ねる。

 「あれ?十二ちゃん、顔真っ赤だよ?大丈夫?」
 「だ、大丈夫です……ついて行くのに必死で……」

 取り繕う十二に、雨水が声をかける。

 「もう少しだ。頑張れ」
 「はいっ」

 元気よく返事をして、十二はまた手に視線を戻した。

 「あの、俺、自分で歩けます」
 「いーんじゃよ~……連れて行ってもらえばええ」

 パーリィが横で歩きながら言った。

 「貴重な新入部員じゃから大切にしたいですよね、部長」
 「その通りだ」

 こともなげに、雨水が言う。

 「寄席に来てくれる者は後を絶たないが……入部となると、あまり振るわないのが現実でな」

 雨水はちらりと振り返って十二に微笑んだ。

 「君のように自分から入部したいと言ってくれる者は、大切にしたい」
 「そーそー、だから遠慮しないで。ね」

 福々に言われて、十二は再度目を伏せた。確かにどこに行くのかわからないし、お言葉に甘えたいが、これではドキドキで心臓が止まってしまいそうだ。

 「ここだ」
 「わぷっ」

 雨水が、いきなり立ち止まる。
 顔を上げると、そこは着物が所せましと並べられた、呉服屋の入り口だった。頭上の看板には、<新品・リサイクル着物 菊屋>と書かれていた。

 「ただいま」

 そう言って、雨水が暖簾(のれん)をくぐる。十二は、訝し気に雨水を見た。

 (ただいま?)

 中には和服のご婦人が立っていた。彼女は振り向くと、にっこりと雨水に微笑んだ。

 「あら、お帰り」