「い、一万円」

 十二(とうじ)が聞き返す。入学したての学生にとって、一万円は結構大金だ。
 雨水が、真剣な顔で十二を見つめて言った。

 「そう。一万円」

 何だか、来て早々金をせびられているような気がしてしまった。
 でも、一万円が何なのだ。それで入部が許可されるのなら、安いものだ。
 十二は、雨水の側にいられるのなら、金を払ったっていいとさえ思えていた。 
 つまり、何ていうか、雨水は十二の<推し>になってしまったのだ。
 あの時、大ホールの前で雨水を見つけた時から。

 「……持ってきます!」
 「よく言ったなあ!」

 パーリィがバンバンと十二の背中を叩く。

 「新歓当日ちゅうことはねえ!用意出来たら、いつでも持ってきたらええぞ!」

 何となくホストに貢ぐ客の気持ちって、こんな感じかなと、十二は思った。
 


 次の日、十二は一万円を財布にしっかり入れてしゃにむに部室に向かった。
 サークル棟について、二階にあがり、深呼吸して、部室のドアを叩く。

 「おはいり」

 中から声がして、十二はゴクリと唾を飲み込んだ。

 「お、おじゃまします」
 「うん」

 入口から、部室の中に入る。雨水が立ち上がり、フローリングの一角にある水屋へ立った。

 「茶を淹れてやろう」

 急須を取り出し、湯飲みに電気ケトルからお湯を注ぐ。その湯飲みのお湯を、急須に少しづつ注ぐ。一分待って、急須から湯飲みにお茶を淹れる。
 所作は手慣れていて、完璧だ。
 それを見つめながら、十二はこたつのある場所の隅の方にちょこんと座った。

 (後ろ姿もかっこいい……)

 雨水の頭の後ろで、ぴかぴかの髷が揺れている。何の整髪料をつけているのだろう。根本は赤い艶のある和紙にくるまれていて、それが髪の黒さを引き立てている。
 一万円は、持って来た。
 いつ切り出そう。お金のことだし、早く渡した方がいいだろうか。
 それにしても立派な髷だ。髷……綺麗だな……やっぱり凄く、良い。
 時代劇なんかで見てもときめかないのに、本物の髷には、強くときめく。
 じっと髷を見つめながら、そんなことを想っていた十二に、雨水が背中で話しかけた。

 「気になるか?髷が」
 「えっ!」
 「よく言われる。何故髷なのか。地毛なのかともな」
 「その……えっと……」
 「もちろん地毛だ」

 二つの湯飲みを盆に乗せて、雨水がこたつまでやって来る。彼は卓の前にひざまずくと、湯飲みを十二の前に置いて、自分の分も取って目の前に置いた。

 「その……」

 十二が言葉を詰まらせる。どうしよう。褒めたいのに、頭が真っ白で上手く言葉が出てこない。
 雨水は、十二の様子を解っているのか、湯飲みのお茶をちびちびと飲み始めた。完璧に待つスタイルだ。しばらく沈黙が続いて、雨水が口を開いた。

 「落語でも……言葉が詰まってしまうことがある」
 「ら、落語でもあるんだ……」
 「そうだ。そう言うときは」
 「ど、どうするんですか?」
 「深呼吸して、心を落ち着けるんだ」

 雨水が、手を広げて深呼吸する。十二もそれに続いて息を吸い込んだ。
 ドキドキが、少し遠のいていく。詰まっていた言葉が、少し出かかる。

 「それでも駄目なら、『冗談言っちゃいけねえ』で終わらせるんだ。これを冗談落ちと言う」
 「じょ……」

 違う。違う。そうじゃない。冗談じゃない。俺がいいたいことは。
 雨水が心を砕いてくれたのだ。ここで言わなければいつ言うのだ。
 十二は、湯飲みを持って中のお茶をぐっと飲み干して、卓の上にそれを置くと目をぎゅっとつむって、開いた。

 「冗談じゃないです!俺、初めて見た時から、雨水先輩の、ま、髷に!」

 十二の必死な剣幕に、雨水が目を丸くする。

 「髷を……素敵だと思ってました!カッコイイって思いました!推してます!」

 はぁはぁと、息を切らせて十二は雨水を見つめた。切り出してしまったことは恥ずかしいけど、これが言いたいことの全てだった。
 髷、カッコイイ。
 雨水先輩、カッコイイ。

 雨水が、きょとんとした顔をする。ああ、そう言う顔も、良いと思う。
 全部良い。

 「ふ……ふ……あははは!」

 ぷっと吹きだして、雨水が笑い始めた。目の下に、笑い皺が寄る。

 「なんだと思えば!告白かあ!ははは!こりゃあ、ありがたい!ははは!」

 闊達に笑う雨水の髷が、ちょっと揺れる。ああずっと見ていたい。十二は口を半開きにさせて、髷を見つめながら相槌を打った。

 「は、はひ……」
 「いや、いや、君は可愛い奴だな。ありがとう」

 言うなり、雨水はじっと十二の瞳を見つめた。視線が合い、交差する。ごくあたたかい目と目の触れ合いが、そこにはあった。

 「嬉しいぜ」

 まだ喜色の残った顔で、雨水が言う。彼と顔を突き合わせて、十二も笑う。だしぬけに、雨水が彼に聞いた。

 「一万円、持って来たよな?」
 「は、はいっ」

 慌てて財布から、十二が一万円を出す。雨水がそれを受け取った。

 「ありがとう。確かに受け取った」

 雨水が自分の着物のたもとに一万円を入れた。

 「これは月々とは違う一回のみ別途徴収する部費だ。通常部費は月千円だから、安心してくれ。今度の土曜日、空いてるか?」
 「土曜日ですか?大丈夫です」
 「よしよし。君、名前は?」
 「小鳥遊十二(たかなしとうじ)っていいます」

 雨水が、満足そうにうなずく。そして、十二に向かって言った。

 「よし、十二くん。土曜日にみんなで浅草へ行こう」