それから十二《とうじ》は、もう死に物狂いだった。次の日大学へ行くと、一目散に文科系サークル棟に駆けていき、二階の一番奥、和室のドアを叩いたのだ。
 トントン、とドアを叩く。本当に。流行る気を抑えて。
 しばらく待つと、中から誰かが動く気配がして、ドアがさっと開いた。

 「いらっしゃい」

 あの、忘れもしないセロのような声が聞こえる。つやつやに光る髷。涼やかな切れ長の眼。渋いが、ケレン味を忘れない和装。部室の中、火鉢の近くに座っていたのは、芳月亭だった。

 「あ……っ」


 十二は、びくりと肩を震わせてその姿を見つめた。思わず、二、三歩前へまろび出る。

 「おっ!?こないだの寄席に来てた子じゃね!?」

 耳元で大きな声がして、十二はハッと我に返った。目をやると、狐目の花楽亭パーリィが、ドアの側でこちらを見降ろしていた。

 「こけー、一人で来てくれたんか!ありがとうなぁ!入って入って!」
 「は、はいお邪魔します!」

 促されて、十二は部室に入った。中に入ると結構広い。そこは昔ながらの趣を残す畳敷きの和室で、中央には火鉢(ひばち)が置かれ、芳月亭がそこにゆったりと腰かけている。その横にこたつ。こたつの中には福々が座っていた。奥の方に高座セットがあった。どこか懐かしい空気が流れているようで、何となく落ち着く。十二は鼻を膨らませて、息を吸い込んだ。

 「にゅ、入部したいです!」
 「うおっ」

 パーリィがその声に驚いてちょっと身を引く。
 いきなり喉の奥から、上ずった大きな声が出てしまって、十二は我がことながら目を白黒させてしまった。
 ふっと芳月亭が微笑する。そして、すっと立ち上がると、しずしずと十二の目の前までやって来た。
 ふわりと、バニラのような芳香が鼻先をくすぐった。

 (い、良い匂い……!)

 どうやらそれは髷から香っているらしかった。芳月亭の髷は、艶々と輝いている。
 十二はポカンと口を開けたまま髷を見つめていた。彼のまなざしを受けて、芳月亭が穏やかに微笑んだ。

 「俺の名前は山田雨水《やまだうすい》。高座名は芳月亭小髷《ほうげつていこまげ》」

 続いて、パーリィと福々も十二に向かって挨拶をした。

 「俺の名前も気になるか?へへ、俺は三宅巴里夫《みやけぱりお》じゃ。高座名は花楽亭パーリィじゃ」
 「鈴木愛花《ずすきあいか》。高座名は清音亭福々《せいおんていふくふく》。よろしく~」

 雨水が、ポンと十二の肩に手を置く。そして、彼の耳元にすっと顔を寄せる。

 「君、やる気あるみたいだな」

 ドキリと心臓が鼓動する音がした。バニラのような香りが強くなって、十二はめまいがしそうだった。
 芳月亭……もとい雨水が耳元で囁く。

 「新歓に一万円持ってきたら、入部許可するよ」