学園祭も終わり、大学はいつもの静けさを取り戻していた。
 しかし、小鳥遊十二の心の中は、相変わらず波風が立っていた。あの九月の、雨水からの突然の告白以来、十二は部活に顔を出していなかった。小髷に会うのが、正直、怖かったのだ。彼の真剣な眼差しを、まともに受け止められる自信がなかった。

 大学の講義棟の休憩スペースで、一人、レポート課題を進める。
 部活には、今日も行けそうにない。

 「小鳥くん」

 部活でしか呼ばれないその名を呼ばれて、十二はびくりと肩を震わせた。
 顔をあげると、福々がやって来た。
 彼女はいつも通り、にこにことした福々しい笑顔で、十二の隣に腰を下ろした。

 「小鳥くん、元気にしてた?」
 「あ、福々先輩……はい、なんとか」

 十二は思わず俯いた。部活を休んでいる後ろめたさがあって、まともに顔を見られない。
 福々は、そんな彼を咎めるでもなく諫めるでもなく、静かに続けた。

 「部活、来てないから心配してたんだ。部長も寂しがってるよ」
 「すみません……」
 「別に謝らなくていいんだ。ただ、小鳥くんがいなくて、部長も、みんなも、なんだか元気がないんだよね」

 福々は、優しい声で言った。

 「そう、ですか……」
 「うん。部長なんか、毎日部室にいるんだよ。小鳥くんが来るんじゃないかって、ずっと待ってる」

 十二の胸が、ぎゅっと締め付けられた。小髷が、自分のことを待ってくれている。
 その事実に、喜びと同時に、さらに強い罪悪感が込み上げてきた。

 「僕、小髷先輩に、なんて顔して会えばいいのか、分からなくて……」
 「そうか。部長に告白されたのが、そんなにショックだった?」
 「え!?」
 「ごめん。知ってる。パーリィから聞いた」
 「ショ、ショ、ショック、というわけでは……ただ、俺、部長のこと、究極の推しだと思ってたから……」

 十二は、正直な気持ちを打ち明けた。福々は、十二の言葉に、ゆっくりと頷いた。

 「そうだよね。突然、自分の推しから、恋愛感情をぶつけられたら、誰だって戸惑うよ」
 「俺、どうしたらいいのか、分からなくて。部活も、落語も、好きなんです。でも、部長に会うのが怖くて……」

 十二の声は、だんだんと小さくなっていった。福々は、そんな十二の肩に優しく手を置いた。

 「小鳥くん。推しが恋に変わっても、いいんだよ」

 福々の、その一言に、十二はハッと顔を上げた。

 「え……?」
 「推しって、誰かを強く想う気持ちのことでしょ?尊敬したり、憧れたり、応援したり。それは、恋とは違うのかもしれない。でもさ、その『好き』っていう気持ちは、支えたいって気持ちも入ってるでしょ?」

 「『恋』の『好き』でも、それは出来るんだよ」

 福々は、真っ直ぐに十二の目を見つめて言った。

 「でも、俺、小髷先輩のこと、そんな風に考えたこと……」
 「推しが、応援するだけの対象じゃなくなって、もっと触れたいとか、もっと傍にいたいとか、もっと色々な感情が湧いてくる。ねえ、それ、小鳥くんも想ってたよね?」

 十二は、混乱した。

 「小鳥くん、部長の髷に触りたくなるって、前、言ってたよね? 部長の匂い、好きだって言って嬉しそうだったよね? それって、ただの『推し』の感情だけだったのかな?」

 福々の言葉に、十二はドキリとした。確かに、小髷が自分を褒めてくれた時、頭を撫でてくれた時、そして彼のバニラの香りがした時、胸が高鳴るのを感じた。それは、憧れだけでは説明できない、温かくて、甘酸っぱい感情だった。

 「『推し』も『恋』も、始まりは『好き』っていう気持ちなんだよ。その『好き』の形が少しずつ変わっていくだけなんだよ。だから、別に悩むことないんだ。推しが恋に変わっても、全然、いいんだよ」

 福々は、穏やかに微笑んだ。