風が、頬を撫ぜる。九月の終わりの、秋の気配が色濃くなり始めていた。
 小髷と小鳥は、二人並んで、八百万亭寄席からの帰り道を歩いていた。
 今日のトリの<時超え男>余韻が、まだ小鳥の胸に熱く残っていた。

 「今日の新作落語、本当にすごかったですね!」

 興奮冷めやらぬ様子の小鳥が、隣を歩く小髷に語りかけた。

 「ああ、見事だったな」

 小髷がうなずく。しかし、その声はどこか落ち着きがなく、上の空でいるようにも聞こえた。

 「あんなSFっぽい話も、落語の題材になるんですね。まさか、あんなテーマを、ああいう形で表現できるなんて……」

 小鳥は、熱っぽく語り続ける。公園の入り口に差し掛かると、小髷がふと立ち止まった。

 「少し、寄っていくか」

 小髷の提案に、小鳥はうなずいた。小さな公園には、いくつかベンチが設置されている。人影もまばらで、街灯がぼんやりと周囲を照らしているだけだ。二人は、ブランコが見えるベンチに並んで座った。

 小鳥は、身振り手振りを交えながら、今日の新作落語がいかに素晴らしかったかを力説する。

 「落語って、古典だけじゃなくて、新しいものを取り入れて、時代に合わせて進化していくんだなって思いました!」
 「……」

 小髷は、黙って小鳥の言葉に耳を傾けていた。時折、小鳥の顔をじっと見つめるが、何も口にしない。その視線に、小鳥はなんとなく居心地の悪さを感じていたが、興奮でずっと喋り続けていた。

 「僕も、いつかあんな新作落語を書いてみたいです。今の時代のことを題材に、でも、落語の型はきちんと守って。難しそうですけど、挑戦してみたい!」

 小鳥は、キラキラと目を輝かせている。彼の瞳は燃える様に熱くなっていた。その炎は、まさに、落語への情熱そのものに思われた。

 「落語って、本当にすごいんだなって、改めて思いました」

 彼が締めくくるようにそう言うと、公園の静寂が訪れた。
 小髷は、これまでと同じように黙って小鳥の隣に座っていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。

 街灯の光が、小鳥の涼やかな目元を照らす。
 その瞳は、いつになく真剣で、そして、何かを決意したかのように、真っ直ぐに十小鳥を見つめていた。

 「小鳥」

 小髷の声が、静かな公園に響いた。
 それは、普段の飄々とした彼からは想像できないほど、低く、そして、どこか震えているように聞こえた。

 「は、はい」

 小鳥は、ゴクリと唾を飲み込んだ。小髷の只ならぬ雰囲気に、心臓が大きく跳ねた。

 「お前が、好きだ」

 その言葉は、突然、そして、あまりにも真っ直ぐに、小鳥の耳に届いた。
 時間も、空気も、全てが止まったように感じられた。
 小髷の瞳は、一点の曇りもなく、小鳥を見つめ続けている。
 彼の顔には、微かな赤みが差しているのが分かった。
 バニラのような香りが、ふわりと鼻腔をくすぐる。
 その香りが、いつもは心地よいはずなのに、今は、心が激しく乱される。

 「え……?」

 小鳥は、意味を理解できず、呆然と小髷を見つめ返した。
 彼の口から紡がれた言葉が、現実のものとして認識できない。

 好きだ。

 その言葉が、まるで呪文のように、小鳥の頭の中を駆け巡った。

 静かな公園に、風が吹き抜ける。

 その風だけが、止まってしまった二人の時間の中で、かろうじて、今が現実であることを示していた。
 小鳥の心臓は、まるで激しい打ち上げ花火のように、鼓動を早めていた。