「よし、後は中古で……これとこれだな。夏用の単衣と冬用の袷も入れて……三着あれば着まわせるだろう。帯と足袋もそろえて……」
後から出て来た雨水が、また着物のかかっている所に返り、顎に手を当てて思案している。
部費で賄えるとはいえ、着物三着とは豪勢だ。十二は、決して後を振り向かないぞ。と心の中で思った。雨水がこれだけ心を砕いて選んでくれた着物を、無駄にしたくなかったのだ。
「よし。これだけあれば粗方は……うん。高座扇子を買いに行こう。母さん、草履ある?」
「あるよ。小鳥遊ちゃん、足は何センチかしら」
「25.5です」
店の奥から草履が運ばれてきて、雨水がそれを玄関に並べる。
「高座扇子って、なんですか?」
ひょこひょこと雨水の側へ寄り、十二が尋ねる。
「高座で使う扇子だよ。落語家二大アイテムの一つ。ついお向かいに扇子屋があるから、一緒に行こう。おおい。パーリィ、福々、ちょっと出てくるよ」
「はいはい、いってらっしゃいまし~」
パーリィと福々が手を振る。十二は、雨水と一緒に草履を履いた。鼻緒で足の指が広がる。普段履きなれないものだから、足の指と指が広がる感覚も何だか新鮮だ。
十二は、雨水と一緒に店を出た。履きなれない草履でおぼつかなく歩く。
「うわっ」
「おっと」
草履のつま先を上手く上げることができず、何も無い所に躓いて、十二が姿勢を崩す。さっと雨水の手が伸びて、その体を支えた。
「あ……っ」
十二の体が、雨水の腕に支えられて、宙に浮いている。
(わ、わあ~っ!)
抱き留められて、雨水の顔が、十二の視界いっぱいに映り込む。
(ま、髷……っ!)
目が合って、頭の髷も一層目立つ。どうしよう。世界が髷に染まってしまった。
(お、俺……幸せ……!)
雨水が、心配そうに十二の顔を覗き込んでたずねた。
「大丈夫か?」
「イイッヒッ!だ、すいませんっ!」
慌てて、手足をばたつかせ十二は姿勢を立て直す。そっと雨水が十二の背中から手を離した。
「頑張れ。草履も履き慣れれば、結構歩きやすいぞ。さあ、ここだ」
手招きして、雨水が暖簾をくぐる。お向かいの店には、<扇子屋六角庵>と書かれた看板が下がっていた。
十二も、転げないようにゆっくりと暖簾をくぐる。
「わあ……っ」
店の中には、色とりどりの扇子が陳列されていた。雨水が軽く会釈をして店主に挨拶する。
「こんにちは」
「いらっしゃい、菊花の坊ちゃん! 来ると思ってたよ!」
威勢のいい話ぶりで、店主が笑って言った。お向かいなので、さっきのすったもんだも見られていたのだろう。自由にはちょっと恥ずかしかった。
「高座扇、だしてあるよ。見て行きなさい」
「ありがとうございます」
見ると、レジ横に白い扇子が開いて置かれていた。これが高座扇子か。と十二はそれをしげしげと眺めた。
「大きいだろう」
雨水がめくばせして言う。十二は、こっくりと頷いた。
「高座映えするように普通の扇子より大きいのさ。色も白無地と決まってる」
高座扇子を手に取り、雨水がゆっくりとレジに向かう。
「高座扇子は白無地以外は使わない。手紙になったり盃になったりするから、具体的な絵を見せないことで、抽象性を表現するんだ」
「へえ……だから白なんだ……」
「持ち手から扇面を支える竹の部分は骨と言って、今回は色を選べるが……うん。着物の色がやわらかいから、焦げ茶色はどうだ?」
「はい、いいと思います」
「じゃあ決まりだな。お願いします」
レジで、雨水が店主に高座扇子を渡す。会計が済み、店主が「頑張ってね」と言いながら、高座扇子を袋に入れて十二に出渡してくれた。
「ありがとうございます!」
時刻は正午を回っていた。
十二含む落研のメンバーは、菊花屋を後にするとお昼ごはんを食べに小料理屋へ向かった。
着物のまま座敷に座り、料理を待つ。雨水が、手ぬぐいを二枚出して、一枚を十二の衿に引っ掛け、もう一枚を膝に広げた。
「それをやるから、使ってくれ」
「いいんですか!?」
華やいだ声をあげて、十二は胸元に目をやった。一枚は桜に小鳥が遊んでいる柄で、もう一枚は、麻の葉が描かれた藍染だった。
「お、粋なはからいっすねえ、部長」
パーリィが、このこの、と十二を肘で小突く。福々はちょっと笑って、十二に言った。
「麻って子供に持たせるお守りの柄だね。すくすく育てって意味の」
「そうなんだ……!」
十二が顔を上げて雨水を見つめる。雨水は、微笑して十二を見つめ返した。
「本当の意味はご飯で着物汚さないようにってことだと思うけどね」
福々がぼそりと呟く。わあ。本当だ。と十二は思った。そう言えば、着物でご飯食べるのって初めてかも知れない。
「さて。着物と扇子とてぬぐい。これで落語に必要なアイテムがそろったわけだ」
雨水が場を仕切り直す。そして、十二を見据えて言った。
「高座名を決めよう」
後から出て来た雨水が、また着物のかかっている所に返り、顎に手を当てて思案している。
部費で賄えるとはいえ、着物三着とは豪勢だ。十二は、決して後を振り向かないぞ。と心の中で思った。雨水がこれだけ心を砕いて選んでくれた着物を、無駄にしたくなかったのだ。
「よし。これだけあれば粗方は……うん。高座扇子を買いに行こう。母さん、草履ある?」
「あるよ。小鳥遊ちゃん、足は何センチかしら」
「25.5です」
店の奥から草履が運ばれてきて、雨水がそれを玄関に並べる。
「高座扇子って、なんですか?」
ひょこひょこと雨水の側へ寄り、十二が尋ねる。
「高座で使う扇子だよ。落語家二大アイテムの一つ。ついお向かいに扇子屋があるから、一緒に行こう。おおい。パーリィ、福々、ちょっと出てくるよ」
「はいはい、いってらっしゃいまし~」
パーリィと福々が手を振る。十二は、雨水と一緒に草履を履いた。鼻緒で足の指が広がる。普段履きなれないものだから、足の指と指が広がる感覚も何だか新鮮だ。
十二は、雨水と一緒に店を出た。履きなれない草履でおぼつかなく歩く。
「うわっ」
「おっと」
草履のつま先を上手く上げることができず、何も無い所に躓いて、十二が姿勢を崩す。さっと雨水の手が伸びて、その体を支えた。
「あ……っ」
十二の体が、雨水の腕に支えられて、宙に浮いている。
(わ、わあ~っ!)
抱き留められて、雨水の顔が、十二の視界いっぱいに映り込む。
(ま、髷……っ!)
目が合って、頭の髷も一層目立つ。どうしよう。世界が髷に染まってしまった。
(お、俺……幸せ……!)
雨水が、心配そうに十二の顔を覗き込んでたずねた。
「大丈夫か?」
「イイッヒッ!だ、すいませんっ!」
慌てて、手足をばたつかせ十二は姿勢を立て直す。そっと雨水が十二の背中から手を離した。
「頑張れ。草履も履き慣れれば、結構歩きやすいぞ。さあ、ここだ」
手招きして、雨水が暖簾をくぐる。お向かいの店には、<扇子屋六角庵>と書かれた看板が下がっていた。
十二も、転げないようにゆっくりと暖簾をくぐる。
「わあ……っ」
店の中には、色とりどりの扇子が陳列されていた。雨水が軽く会釈をして店主に挨拶する。
「こんにちは」
「いらっしゃい、菊花の坊ちゃん! 来ると思ってたよ!」
威勢のいい話ぶりで、店主が笑って言った。お向かいなので、さっきのすったもんだも見られていたのだろう。自由にはちょっと恥ずかしかった。
「高座扇、だしてあるよ。見て行きなさい」
「ありがとうございます」
見ると、レジ横に白い扇子が開いて置かれていた。これが高座扇子か。と十二はそれをしげしげと眺めた。
「大きいだろう」
雨水がめくばせして言う。十二は、こっくりと頷いた。
「高座映えするように普通の扇子より大きいのさ。色も白無地と決まってる」
高座扇子を手に取り、雨水がゆっくりとレジに向かう。
「高座扇子は白無地以外は使わない。手紙になったり盃になったりするから、具体的な絵を見せないことで、抽象性を表現するんだ」
「へえ……だから白なんだ……」
「持ち手から扇面を支える竹の部分は骨と言って、今回は色を選べるが……うん。着物の色がやわらかいから、焦げ茶色はどうだ?」
「はい、いいと思います」
「じゃあ決まりだな。お願いします」
レジで、雨水が店主に高座扇子を渡す。会計が済み、店主が「頑張ってね」と言いながら、高座扇子を袋に入れて十二に出渡してくれた。
「ありがとうございます!」
時刻は正午を回っていた。
十二含む落研のメンバーは、菊花屋を後にするとお昼ごはんを食べに小料理屋へ向かった。
着物のまま座敷に座り、料理を待つ。雨水が、手ぬぐいを二枚出して、一枚を十二の衿に引っ掛け、もう一枚を膝に広げた。
「それをやるから、使ってくれ」
「いいんですか!?」
華やいだ声をあげて、十二は胸元に目をやった。一枚は桜に小鳥が遊んでいる柄で、もう一枚は、麻の葉が描かれた藍染だった。
「お、粋なはからいっすねえ、部長」
パーリィが、このこの、と十二を肘で小突く。福々はちょっと笑って、十二に言った。
「麻って子供に持たせるお守りの柄だね。すくすく育てって意味の」
「そうなんだ……!」
十二が顔を上げて雨水を見つめる。雨水は、微笑して十二を見つめ返した。
「本当の意味はご飯で着物汚さないようにってことだと思うけどね」
福々がぼそりと呟く。わあ。本当だ。と十二は思った。そう言えば、着物でご飯食べるのって初めてかも知れない。
「さて。着物と扇子とてぬぐい。これで落語に必要なアイテムがそろったわけだ」
雨水が場を仕切り直す。そして、十二を見据えて言った。
「高座名を決めよう」
