(まげ)だ。
 (まげ)がやって来る。

 大学構内。入学式の後。
 サークル勧誘の上級生たちが、新入生を大ホールの入り口で待ち構えている。

 「テニス部ーッ!テニス部楽しいよー!」
 「茶道部をどうぞよろしくー!」
 「バト部!バトミントン部いいよ!」

 口々に部員たちが新入部員を求めて勧誘の声をあげている。小鳥遊十二(たかなしとうじ)は、ぼんやりそれを眺めながら、列に流されるようにして入り口から外へ押し出された。
 隅の方に移動して、植え込みの花壇の上にしゃがみこむ。

 「はー……っ」

 すごい熱気だ。入学式の静けさが嘘のように、サークル勧誘の場は華々しい。こちらではふらふらと彷徨う新入生がサークルに吸い寄せられていき、あちらでは声の大きいサークルに新入生が捕まっている。

 「ふう……」

 それを遠巻きに眺めながら、十二はため息をついた。サークルか。どうしよう。十二は、小学校から高校まで帰宅部だった。習い事もしていないし、あまり興味もなかった。学校で勉強して、家に帰って、寝て起きて学校で勉強して……の繰り返し。友達はそれなりにいたが、熱い部活動にかける青春もなかった。だからわからないのだ。サークルに掛ける情熱が。
 ふと、人だかりの向こうが騒めく。十二は、顔をあげた。
 遠くに、(まげ)がいた。
 人だかりが波のように割れ、道の向こうから(まげ)がやって来ようとしていた。
 (まげ)だ。
 丁髷(ちょんまげ)頭の男がやって来る。
 江戸時代もかくやと思う、つるつるに剃られた月代(さかやき)
 そこに乗っかった、黒々とした丁髷(ちょんまげ)
 派手ではないが、かっこよく着こなされた黒い羽織と縦縞の小袖。黒い足袋に、真っ赤な鼻緒の草履と帯が目に眩しい。

 (ま、髷!?)

 十二は、目を丸くしてその髷男を見つめた。髷男は風を切って群衆の間を一直線に歩いて行く。周りが、水を打ったように静かになる。

 「髷……」
 「髷だ……」

 新入生たちが髷を指して、ひそひそ声をあげる。


 「部長!」
 「うん」

 引き連れていた学生の一人が、髷男に後ろからサッとメガホンを差し出す。髷男はメガホンを受け取ると、それを口にあてて喋り始めた。

 「えー」

 メガホンから声が発される。低くて、セロのように心地よい声音。

 (わ、あ……)

 十二は、思わずその声に耳を傾けた。

 「芳月亭古髷(ほうげつていこまげ)でございます。本日は皆々様、ご入学おめでとうございます」

 ホウゲツテイ?変な名前だ。本名ではないのだろうか。

 「我が落語研究会、通称落研(おちけん)では、新入生諸君の参入を待っている。本日は<時そば><饅頭こわい><目黒のさんま>という噺を講演する。興味のあるものはB棟ホールに来るように。なお部室は文学部の裏手、文化系サークル棟の二階・一番奥の和室だ。以上」


 髷男改めホウゲツテイは、一礼すると、メガホンをさげてまた颯爽と歩き出す。後ろの部員たちが、「どうぞ~」「どうぞどうぞ」と言いながら周囲の新入生にビラを配る。彼の羽織姿の背中が、遠く、小さくなっていく。
 ざわざとした喧噪が戻り、十二はその中で、ゆっくりと立ち上がった。

 髷だ。
 髷だった。

 (か……)

 頭の中で、髷がぐるぐる回っている。

 (格好、良い)

 十二はふらふらと落研部員に歩み寄ると、手を出した。

 「あ。君、落語興味ある?この後部長が一席やるから、短い噺だし、おいでよ。はい」
 「ふぇい……」

 ビラを受け取って、十二は返事をした。間の抜けた声が出てしまった。ホウゲツテイの羽織がひるがえる時見えた、白地に赤い雲と松と蔦の描かれた裏地の色が、チカチカと眼裏(まなうら)に残り続けていた。