春の風が、教室のカーテンをふわりと揺らした。

新しい教科書のインクのにおい。
名前の書かれていない、まだ白いノート。

高校2年生の春が、静かに始まろうとしていた。
特に何のわくわくもない。高1の時のような1年を、きっと繰り返すんだろう。
そう思いながら、窓の外に咲く桜を見つめていた。

「ねえ、ねえ。まどか」

たまたま私の前の席になった果歩が、HRをしている担任にばれないよう、小さな声で私に話しかける。
高1の時に仲良くなり、そのまま今回も同じクラスになった。

「何?」

「今日、うちのクラスに転校生来るの知ってる?」

果歩は茶に染めたボブの髪を揺らし、大きな目をキラキラとさせる。

「え、初耳」

中学はマンモス校だった果歩。
そのため顔は広く、この手の情報を入手するのは非常に速い。

「なんかね、噂によるとかなりの爽やかイケメンらしいよ」

「何その、少女漫画お決まりの展開」

思わず苦笑すると、果歩は「ほらきたきた!」と、教室の入り口に目線を向けた。
その瞬間、前方の扉が音もなく開いた。
担任の倉田先生が「知っている人もいるかもしれないが紹介する」と言って、開けられた扉のほうに目配せをする。
日に焼けた肌と髪、やや筋肉質で高身長の青年が現れた。

ああ、確かに爽やかイケメンかも、と心の中で呟く。

青年は担任に誘導されるまま、教卓の前まで進みにこりと、無邪気に笑みをこぼした。

中村海斗(なかむら かいと)です。石川県から引っ越してきました。よろしくお願いします」

静かな声だった。
だけど、不思議と教室の空気がすっと整ったような気がした。

石川県。たしか……北のほうだっけ?

そんなぼんやりとした地理の知識が頭をかすめる。

「席は、斎藤の隣だな。斎藤、ちょっと教科書とか見せてやって」

不意に担任から名前を呼ばれ、少し驚きながらも頷いた。
隣に座った中村海斗が、軽く私に会釈をする。

「よろしく」

そう言って無邪気に笑う彼。

「うん、こちらこそ」

それだけの会話。
ただの、春のある日。
けれどこれが、私の運命を大きく変えるきっかけになるなんて___この時は思ってもいなかった。