嘘だらけの青春劇場

 次の日の朝。
 重たい足取りで、それでも私は学校に向かっていた。
 こんな時期に、一人になるわけにはいかない。もしも不登校になんてなったら、今までの努力が全部無意味になる。
 柚木と美優が、たしか同じグループだったはず。うまく取り入れば、そこに入れてもらえるかもしれない。
 ーー最悪、三軍まで下がればきっと拾ってくれる人はいる。
 頭ではいろいろ考えていた。けど、心の奥ではずっとざわざわしていた
 昇降口に入った瞬間だった。

「ねぇ、あの子じゃない? みんなが言ってるの」

「ほんとだ、全然違う~......マジで別人じゃん」

 一一何のこと?
 状況がつかめず、私は足早に教室に向かった。けど、その違和感は、すぐに現実になった。
 ガラッと扉を開けた瞬間、視界がぐらついた。
 黒板一面に書かれた言葉ーー
「整形女」
「偽善者」
「ブス」
 机にも、壁にも、窓ガラスにも。びっしりと貼られた昔の卒業アルバムの写真。

「なにこれ......」

 私はふらふらと中に足を踏み入れるとみんなが、あからさまに避けた。教室が、私を中心に、ぽっかり穴があいたみたいだった。
 誰かが笑った。
 誰かがスマホで動画を撮っていた。
 ああ、私、終わったんだ。
 心のどこかで、冷静にそう思った。

「あれでよくイキってたよね」

「マジで整形だったんだ......やば」

「リアルビフォーアフターじゃん」

 理子と春日が、獲物を見つけたように笑っていた。

「うっわぁ、やばすぎ......まじであの顔だったんだw」

「てか昔いじめられてたのに、よくあんな顔できたよね〜」

 当たりを見渡すと春樹と目があった。

「ねぇ、春樹......」

 助けを求めるように一歩近づくと、春樹は私の手を振り払った。

「こっちくんなよ」

 あの優しかった目が私を白い目で見つめた。
 私の視線が、無意識にひとりの人間に向かっていた。
 ......朱里。
 お前しかいない。お前しか知らない。
 私は、衝動的に飛びついた。

「お前だろ......! お前がやったんだろ!」

「えっ、ちがう!! やめてよっ!」

 朱里が叫んだ。だけど、私の耳には届かなかった。

「他に誰がいんの!? あんたしか知らないじゃん、あの写真.....! ふざけんな、最初からバカにしてたんでしょょ!?」

「.....ちがうってば!! 私じゃない!! 私、そんなこと......!」

 もう、信じられなかった。
 信じる余裕なんてなかった。
 だって、今の私は、どこにも、誰にも、救われなかったから。

 *

 昔から、自分の顔が嫌いだった。
 まるでパーツが喧嘩してるみたいな顔で太い眉、にきびだらけの肌、下膨れの輪郭。
 友達がいたことなんてなかった。
 でも――あの人だけは、違った。
 明るくて、誰にでも優しくて、クラスの人気者。体育祭の準備のとき、道具運びで手伝ってくれた。
「ありがとう」って言ったら、「全然! 気にすんなよ」って笑ってくれた。
 その笑顔が、ずっと頭から離れなくて......初めての恋だった。
 こんな私でも、変われるんじゃないか。誰かに、好きになってもらえるんじゃないかって。
 そして、私は――告白した。
 精一杯の化粧をした。
 勇気を出して、震える声で「好きです」って、伝えた。

「いや、ブスとかマジで無理」

「......えっ?」

「てか、何勘違いしてんの? お前にモテたくて優しくしたわけじゃねーから」

 意味が分からなくて頭が真っ白になった。
 あとで聞いた......彼は、部活で一緒だった朱里にいいところを見せたくて、私にだけ過剰に優しくしてたんだって。
 惨めで、恥ずかしくて、死にたくなった。
 次の日、学校に行ったらもう、全部広まってた。

「ブスのくせに告白w」

「よくできたよね、あの顔で」

「メンタル強すぎ」

 くすくす笑われる視線に小声でひそひそ話す声。毎日が地獄だった。
 そして、私は転校した。
 全部、終わりにしたくて。生まれ変わりたくて整形した。
 お母さんには「自分で返すから」って土下座して頼んだ。
 整形はズルじゃない。痛いし、怖いし、金もかかる。ダイエットして、化粧を研究して、話し方も変えて、全部、努力した。
 “新しい私”を作りたかった。
 そして――転校先の学校で、私は「みんなから好かれる莉音」になった。
 可愛くて、明るくて、誰からも好かれる私。ようやく普通の青春が手に入ると思った。私が憧れていた青春。でも過去ってやつは、どれだけ顔を変えても、消えれことはないんだ。

 *

 あれから、学校は少しだけ騒ぎになった。
 先生たちが「いじめは許さない」だの綺麗事を並べた反省会を開いてる間、私は一日中、指導室にいた。
 ずっと、誰にも本当の自分を見せられないまま、「いい子」と「可愛い子」の仮面を被って生きてきた。クソみたいな青春を、なんとかまともに見せかけようとしてきただけだ。
 教室に荷物を取りに戻ったのは、放課後の五時を過ぎた頃だった。
 誰もいない。静かで、夕焼けに染まった机の列が、どこか他人の世界みたいだった。
 鞄を手に取ろうとした、そのとき。

「莉音......」

 そこにいたのは結衣だった。

「.....なんで、あんたが......」

「全部、私がやったの。あの写真も、噂も、全部」

 私は一瞬、理解が追いつかず目を見開く。

「は? なに言って......」

 だって、あれは朱里が......。

「あの頃のこと覚えてない?」

「あの頃......?」

「私、昔は坂本なんだけど。それでもわからない? 中学のとき、あんたにいじめられてた」

 その名前に、私の顔から色が引いた。

「一一嘘......」

「覚えてないんでしょ? 私のことなんて」

 私は立ち尽くしたまま、声も出ない。
 坂本結衣、あの地味で大人しかった、坂本結衣。
 結衣は前に出て、吐き捨てるように言った。

「ざまあみろ! ざまあみろッ! あんたの作った人生なんか、ぜーんぶ壊してやったッ!」

 ヒステリックな声が教室に響く。結衣の目は怒りと、何か別の感情に濡れていた。

「私、ずっとあんたに憧れてた。地味な私に、声かけてくれたとき、ほんとに嬉しかったんだよ? 初めて、あんなふうに笑ってくれた人がいて......それなのに、気づいたら、みんなの前で無視されて、馬鹿にされて......」

 結衣が私を見つめた。あの時と変わらない真っ直ぐな瞳で――

 *

 クラスの隅っこで、本を読んでばかりいた私に、最初に話しかけてくれたのは莉音だった。

「ねえ、それって最近ドラマ化した漫画だよね? 私も大好きなんだよね!」

 ぱっと目の前が明るくなったようだった。キラキラした笑顔で、当たり前みたいに話しかけてくれた。気さくで、明るくて、誰にでも優しい子。でもその優しさが、私にとっては特別だった。

「結衣ちゃん、もとはいいんだから、絶対可愛くなるよ!」

 私は地味で、何をするにも人の顔色ばかり伺っていた。だから私はいつのまにか、莉音に憧れていた。あんなふうに笑えて、人に囲まれて、みんなに好かれて――。
 でも......いつからか、空気が変わった。
 女子のグループの視線と笑い声が、じわじわと私を刺してきた。
 机に「キモい」「死ね」って落書きされていた。靴がゴミ箱に捨てられていて、体操服に生ゴミが入ってた。怖くて、怖くて、震える声で、莉音にすがった。

「......莉音ちゃん、私、いじめられてて......」

「え、さすがに気のせいじゃない?」

 笑いながら、流された。
 そして、次の日だった。
 教室で、莉音は笑っていた。私の名前を呼んで、あの「一軍グループ」の中で馬鹿にするように笑っていた。

「結衣ちゃんって、挙動不審でまじ受ける」

「人と話すとき、いつもキョドってるよね」

 その声は、あの日の優しい声と同じで、だけどまるで別の人みたいだった。

「あんなの話合わせただけなのに本気にしてさー」

 莉音は私との会話を話のネタにしていた。気まずそうな顔ひとつせず、みんなと笑ってた。
 あの子の「優しさ」は、ただの演技だったんだ。
 信じてたのに。
 あの笑顔も、言葉も、全部......嘘だったの?
 私は、ただでさえひとりだったのに。やっとできた、たったひとりの味方だと思ってたのに。
 優しいフリをして、私を裏切ったあの子。
 私の世界を奪ったくせに、何も知らない顔をして生きてるあの子。
 私を捨てたあの時のように――今度は、私があんたを捨ててやる。

 *

「だから復讐してやろうって。壊してやろうって、全部。昔の私みたいに、みんなの前で笑われるようにしてやろうって......」

 私は、鮮明に思い出した。
 あの頃の自分のことを、吐き気がするほどはっきりと。
 結衣に優しくして、周りにも気を遣って、「みんなの人気者」を演じた。
 それが自分の生き残る術だと思い込んでた。でも、ある日、一軍の子が結衣を標的にし始めた。
 笑っていた教室が、誰かひとりを見下すことで保たれていった。
 私は、知ってた。何が正しいか、どっちが間違ってるか、わかってた。
 でも、それでも――私は、笑った。
 結衣が無視されても、靴を隠されても、ノートを破られても。
 私は見て見ぬふりをした。いや、見ぬふりなんかじゃない。私も、一緒になって笑っていた。
 なんで......そんなの、簡単だった。自分が笑われたくなかったから。
 結衣の味方になることで、次は自分が標的になるのが怖かったから。
 結局私は、私のことしか考えてなかったんだ。
 それって――昔、私のことを笑ってたアイツらと、なにが違うの?
 私は、私が一番嫌ってた「いじめる側」の人間になってた。
 誰かを踏みつけることでしか、自分を守れなくて。
 ――結衣に謝ったって、何も変わらない。
 許されるわけなんて、ない。
 でも......。

「ごめん。謝ったってなにか変わるわけないのはわかってる。だから......結衣の気が済むまで、殴っていいよ」

 私は目を閉じた。それで少しでも、結衣の気が晴れるなら。少しでも、あの頃の苦しさが報われるなら――。
 けれど、次の瞬間。
 結衣は、吐き捨てるように叫んだ。

「......はっ!? なにそれ。今さらいい子ぶるのやめてよ!!」

 ビンタより痛い言葉が、私を打った。

「なんでそんなこと言えるの!? 殴っていいって、自分が傷ついたら許されるとでも思ってるの!」

 結衣の目に、涙がにじんでいた。でも、その目は鋭く、私を射抜いてくる。

「もっと絶望してよ。もっと、自分のこと嫌いになってよ。私みたいに、全部失って......誰にも見向きされなくなって、どこにも居場所がなくなって......! そうやって、ひとりで泣いててよ!!」

 沈黙が落ちる。

「そしたら......結衣はスッキリする?」

 思わず口から出た言葉だった。私の声が思ったより冷たかったのか、結衣が少しだけ目を見開いた。

「......しないよ」

 ぽつりと、結衣が言った。

「なんか、すごく空っぽ。あんたが崩れてくの見て、スカッとしたのに......でも、すぐに終わった。なんでだろうね。思ってたほど、気持ちよくなんてなかった」

 静かな声だった。憎しみの奥から、滲み出るような寂しさ。

「本当はただ、あの時.....優しくしてくれたあんたに、ずっと会いたかった。なんでって聞きたかった。ごめんって言ってほしかった.....のかな。今になってはよくわかんないけどさ.....」

 そう言って、結衣は目を伏せた。
 そのときの顔が昔の結衣の顔と重なった。

「ほんとは整形も、痩せたのも、メイクも、全部あいつらを見返したいって気持ちが最初だった。でも途中から違った。認められたいとか、上に立ちたいとか、羨ましがられたいとかーーそういうのが混ざって、ぐちゃぐちゃになった」

 私は自嘲するように笑った。

「でも、もう限界。こんなのおかしい。誰に何言われたって、平気なフリして、全部うまくやってるフリして......あんたに壊されて、やっと私楽になった」

 結衣は少し目を見開いたまま、何も言わない。

「壊してくれて、ありがとう。あんたがいなかったら、私はこの先も周りの目に怯えてた。たぶん、どっちにしろ自分から壊れてたと思うから」

 私は正面から結衣を見た。

「でも一ーあんたが私にしたことも、許すなんて言わない。けど、私があんたにしたことは謝る」

 一瞬の沈黙が、教室を満たす。

「だから私はーーかわいそうなヒロインにもなってやらない。これは、私の人生だから。私が、私のために、謝るよ」

「......そんなふうに言うと思ってなかった」

 しばらくして、結衣がつぶやいた。

「もっと、自分のこと正当化するかと思った」

「......昔の私ならそうしてた」

「ふーん」

 結衣がふっと笑った。さっきまでのあの、意地悪な笑いじゃなくて一ーどこか、素の笑みだった。

「私も、謝らないといけないのかもね。復讐なんてしても、何にも残んないってわかった。私、ただあんたに見て欲しかっただけなんだと思う」

 結衣がそう言ったとき、私の中で何かが音を立てて崩れていった。

「......ほんと、人と人ってめんどくさいね。わかってるのに、傷つけて、でも離れられなくて、また関わっちゃう」

 結衣が頷く。

「綺麗ごとだけじゃ、ほんとにうまくいかない。でも――ぶつかって、壊しあって、それでも、こうして向き合えたから......よかったと思う」

 結衣が、ポツリと笑う。

「こんな不器用なやり方しかできなかったけど......それでも、私、やっと自分の気持ちを言えた」

 ――歪で、間違っていて、優しさだけじゃ繋がれなかった。けれど、その間違いを経て、ようやく本音をぶつけあえた。
 この先、どうなるかなんて誰にもわからない。でも、誰かと関わるということは、こんなふうに、面倒で、苦しくて、それでもどこか、救いがあることなのかもしれない。