次の日の朝。
重たい足取りで、それでも私は学校に向かっていた。
こんな時期に、一人になるわけにはいかない。もうすぐ体育祭がある。この時期に"ぼっち”になるのは致命的だった。
もしも不登校になんてなったら、今までの努力が全部ら無意味になる。
柚木と美優が、たしか同じグループだったはず。うまく取り入れば、そこに入れてもらえるかもしれない。
理子たちのことをちょっとネタにすれば、むしろ同情してくれるかもしれない。
ーー最悪、三軍まで下がればきっと"拾ってくれる人はいる。
頭ではいろいろ考えていた。けど、心の奥ではずっとざわざわしていた。
昨日のこと。美術室のこと。壊した絵。朱里の目。
考えない。いまは、立て直すことだけを考える。
しかし、昇降口に入った瞬間だった。
「ねぇ、あの子じゃない?みんなが言ってるの」
「ほんとだ、全然違う~......マジで別人じゃん」
一一何のこと?
状況がつかめず、私は足早に教室に向かった。だけど、その違和感は、すぐに「現実」になった。
教室の前のざわつき。中から聞こえる笑い声。
......何かおかしい。
ガラッと扉を開けた瞬間、視界がぐらついた。
唖然とした。
言葉を失った。
黒板一面に書かれた言葉ーー
「整形女」
「偽善者」
「昔いじめられてたくせに」
「全部ウソだったんだ」
机にも、壁にも、窓ガラスにも。
びっしりと貼られた昔の卒業アルバムの写真。
あの頃の、泣いて、腫れぼったくて、歪んだ顔。
......うそ。
私はふらふらと中に足を踏み入れる。
みんなが、避けた。あからさまに。
教室が、私を中心に、ぽっかり穴があいたみたいだった。
私を"囲むのではない。”避ける”。
見る価値もないもののように。
誰かが笑った。
誰かがスマホで動画を撮っていた。
ああ、私、今、終わったんだ。
心のどこかで、冷静にそう思った。
笑ってる子がいた。見ないふりしてる子も。
でも、全員が一一見ていた。私を。
「あれでよくイキってたよね」
「マジで整形だったんだ......やば」
「リアルビフォーアフターじゃん」
理子と春日が、獲物を見つけたように笑っていた。
「うっわぁ、やばすぎ......まじであの顔だったんだw」
「てか昔いじめられてたのに、よくあんな顔できたよね〜」
当たりを見渡すと春樹と目があった。
「ねぇ、春樹......」
助けを求めるように一歩近づくと、春樹は私の手を振り払った。
「こっちくんなよ、俺を巻き込むな」
あの優しかった目が私を白い目で見つめた。
私の視線が、無意識にひとりの人間に向かっていた。
......朱里。
お前しかいない。あんたしか知らない。
私は、衝動的に彼女に飛びついた。
「お前だろ......!お前がやったんだろ!」
「えっ、ちがう!!やめてよっ!」
朱里が叫んだ。だけど、私の耳には届かなかった。
「他に誰がいんの!?あんたしか知らないじゃん、あの写真.....!ふざけんな、最初からバカにしてたんでしょょ!?」
「.....ちがうってば!!私じゃない!!私、そんなこと......!」
もう、信じられなかった。
信じる余裕なんてなかった。
だって、今の私は、
どこにも、誰にも、救われなかったから。
昔から、自分の顔が嫌いだった。
鏡を見るたび、溜め息が出た。
まるでパーツが喧嘩してるみたいな顔。
太い眉、にきびだらけの肌、下膨れの輪郭。
友達にいたことなんてなかった。
でも――あの人だけは、違った。
クラスの人気者。明るくて、誰にでも優しくて。
体育祭の準備のとき、道具運びで手伝ってくれた。
「ありがとう」って言ったら、「全然!気にすんなよ」って笑ってくれた。
その笑顔が、ずっと頭から離れなくて......初めての恋だった。
こんな私でも、変われるんじゃないかって。
誰かに、好きになってもらえるんじゃないかって。
そして、私は――告白した。
精一杯の化粧をした。
勇気を出して、手紙じゃなくて、言葉で。
震える声で「好きです」って、伝えた。
......そのとき、彼は、私を見た。
見下すみたいな目で。
「いや、ブスとかマジで無理」
「てか、何勘違いしてんの? お前にモテたくて優しくしたわけじゃねーから」
意味が分からなかった。
頭が真っ白になった。
あとで聞いた......彼は、部活で一緒だった朱里にいいところを見せたくて、私にだけ過剰に優しくしてたんだって。
――最悪の道化だった。
惨めで、恥ずかしくて、死にたくなった。
次の日、学校に行ったら――もう、全部広まってた。
「ブスのくせに告白w」
「よくできたよね、あの顔で」
「メンタル強すぎ、いや無神経か」
くすくす笑われる視線。
小声でひそひそ話す声。
「かわいそう」
「ウケる」
毎日、地獄だった。
“イジり”って言葉で誤魔化された悪意が、私の身体を少しずつ蝕んでいった。
そして、私は――転校した。
全部、終わりにしたくて。
生まれ変わりたくて。
整形した。
お母さんには「自分で返すから」って土下座して頼んだ。
整形はズルじゃない。
痛いし、怖いし、金もかかる。
それでも、変わりたかった。
ダイエットして、化粧を研究して、話し方も変えて、
全部、努力した。
“新しい私”を作りたかった。
そして――転校先の学校で、
私は「みんなから好かれる莉音」になった。
可愛くて、明るくて、誰からも好かれる私。
ようやく“普通の青春”が手に入ると思った。私が憧れていた青春。
いや、それ以上に、“あの時の私”を超えられると思ってた。
でも“過去”ってやつは、どれだけ顔を変えても、心の中に居座り続けるんだ。
――逃げられないくらい、深く。
あれから、学校は少しだけ騒ぎになった。
黒板の落書き、貼り出された写真、飛び交った中傷。
先生たちが「いじめは許さない」だの「SNSの恐ろしさ」だの、綺麗事を並べた反省会を開いた。
私はその日、一日中、指導室にいた。
誰もが「かわいそうな被害者」として私を見る。でも、違う。私はただ“壊された”だけじゃない。
ずっと、誰にも本当の自分を見せられないまま、「いい子」と「可愛い子」の皮を被って生きてきた。
クソみたいな青春を、なんとか“まとも”に見せかけようとしてきただけだ。
誰も私の努力なんて見ていない。
教室に荷物を取りに戻ったのは、放課後の五時を過ぎた頃だった。
誰もいない。
静かで、夕焼けに染まった机の列が、どこか他人の世界みたいだった。
鞄を手に取ろうとした、そのとき。
後ろから名前を呼ばれて、振り向く。そこにいたのは結衣だった。
「.....なんで、あんたが......」
「全部、私がやったの。あの写真も、噂も、全部」
私は一瞬、理解が追いつかず目を見開く。
「は?なに言って......」
だって、あれは朱里が......。
「あの頃のこと覚えてない?」
「あの頃......?」
「私、昔は坂本なんだけど。それでもわからない?中学のとき、あんたにいじめられてた」
その名前に、私の顔から色が引いた。
「一一嘘......」
「嘘じゃない!覚えてないんでしょ?私のことなんて。
自分がどれだけ酷いことしたかも、思い出せないんだ」
私は立ち尽くしたまま、声も出ない。
坂本結衣。あの地味で大人しかった、坂本結衣。
結衣は前に出て、吐き捨てるように言った。
「ざまあみろ!ざまあみろッ!あんたの作った人生なんか、ぜーんぶ壊してやった!」
ヒステリックな声が教室に響く。
結衣の目は怒りと、何か別の感情に濡れていた。
「私、ずっとあんたに憧れてた。地味な私に、声かけてくれたとき、ほんとに嬉しかったんだよ?初めて、あんなふうに笑ってくれた人がいて......それなのに、気づいたら、みんなの前で無視されて、馬鹿にされて......」
結衣は目を伏せたまま、小さく息を吸い込む。
――あの頃のことを、思い出す。
***
クラスの隅っこで、本を読んでばかりいた私に、最初に話しかけてくれたのは莉音だった。
「ねえ、それって最近ドラマ化した漫画だよね? 私も大好きなんだよね!」
ぱっと目の前が明るくなったようだった。
キラキラした笑顔で、当たり前みたいに話しかけてくれた。気さくで、明るくて、誰にでも優しい子。でもその優しさが、私にとっては特別だった。
それから、何度か話しかけてくれるようになった。
「結衣ちゃん、もとはいいんだから、絶対可愛くなるよ!」
そんなふうに言ってくれる子、他にいなかった。
私は地味で、何をするにも人の顔色ばかり伺っていた。
だから私はいつのまにか、莉音に憧れていた。
あんなふうに笑えて、人に囲まれて、みんなに好かれて――。
でも......いつからか、空気が変わった。
女子のグループの視線と笑い声が、じわじわと私を刺してきた。
机に「キモい」「死ね」って落書きされていた。
靴がゴミ箱に捨てられていて、体操服に生ゴミが入ってた。
怖くて、情けなくて、息が詰まりそうで。
震える声で、莉音にすがった。
きっと、彼女なら何か言ってくれると思ってた。
信じてた。
「......莉音ちゃん、私、いま......」
「え、さすがに気のせいじゃない?」
笑いながら、流された。
そして、次の日だった。
教室で、莉音は笑っていた。
私の名前を呼んで、あの「一軍グループ」の中で馬鹿にするように笑っていた。
「結衣ちゃんって、挙動不審でまじ受ける」
「人と話すとき、いつもキョドってるよね」
私が何か言おうとすると、莉音が先回りして笑った。
「ごめんごめん、冗談だからぁ~!」
その声は、あの日の優しい声と同じで、だけどまるで別の人みたいだった。
「あんなの話合わせただけなのに本気にしてさー」
莉音は私との会話を話のネタにしていた。
気まずそうな顔ひとつせず、みんなと笑ってた。
自分の居場所を守るために、私を切り捨てた。
あの子の「優しさ」は、ただの演技だったんだ。
信じてたのに。
あの笑顔も、言葉も、全部......嘘だったの?
私は、ただでさえひとりだったのに。
やっとできた、たったひとりの「味方」だと思ってたのに。
優しいフリをして、私を裏切ったあの子。
私の世界を奪ったくせに、何も知らない顔をして生きてるあの子。
私を捨てたあの時のように――今度は、あんたを捨ててやる。
***
「だから復讐してやろうって。壊してやろうって、全部。昔の私みたいに、みんなの前で笑われるようにしてやろうって......」
私は、鮮明に思い出した。
あの頃の自分のことを、吐き気がするほどはっきりと。
私はクラスの中心にいたかった。
笑われたくなかった。置いていかれたくなかった。
誰からも嫌われたくなかった。
だから私は、笑った。
結衣に優しくして、周りにも気を遣って、「みんなの人気者」を演じた。
それが自分の生き残る術だと思い込んでた。
でも、ある日、一軍の子が結衣を標的にし始めた。
空気が変わった。
笑っていた教室が、誰かひとりを見下すことで保たれていった。
私は、知ってた。
何が正しいか、どっちが間違ってるか、わかってた。
でも、それでも――私は、笑った。
結衣が無視されても、靴を隠されても、ノートを破られても。
私は見て見ぬふりをした。
いや、見ぬふりなんかじゃない。
私も、一緒になって笑ってた。
同じ教室で、同じ空気を吸って、同じ加害者の顔をしてた。
なんで......そんなの、簡単だった。
自分が笑われたくなかったから。
結衣の味方になることで、次は自分が標的になるのが怖かったから。
結局私は、私のことしか考えてなかったんだ。
それって――昔、私のことを笑ってたアイツらと、なにが違うの?
いや、違わない。
むしろ私のほうがタチが悪い。
だって私は、最初は結衣に優しくしてたんだよ?
「結衣ちゃん可愛いよ、もっと自信持てばいいのに」なんて笑ってたくせに。
裏で誰よりも冷たいことしてたんだ。
最低だよ。
私は、私が一番嫌ってた「いじめる側」の人間になってた。
誰かを踏みつけることでしか、自分を守れなかったなんて。
――結衣に謝ったって、何も変わらない。
許されるわけなんて、ない。
でも......。
「ごめん。謝ったってなにか変わるわけないのはわかってる。だから......結衣の気が済むまで、殴ってくれて構わない」
私は目を閉じた。ほんとに殴られてもいいと思ってた。
それで少しでも、結衣の気が晴れるなら。少しでも、あの頃の苦しさが報われるなら――。
けれど、次の瞬間。
結衣は、吐き捨てるように叫んだ。
「......はっ!?なにそれ。今さらいい子ぶるのやめてよ!!」
ビンタより痛い言葉が、私を打った。
「なんでそんな綺麗なこと言えるの!?殴っていいって、自分が傷ついたら許されるとでも思ってるの!?
あんたが勝手に罪悪感で酔って、勝手に反省して、勝手に許されようとしないでよ!!」
結衣の目に、涙がにじんでいた。でも、その目は鋭く、私を射抜いてくる。
「もっと絶望してよ。もっと、自分のこと嫌いになってよ。私みたいに、全部失って......誰にも見向きされなくなって、どこにも居場所がなくなって......!そうやって、ひとりで泣いててよ!!」
沈黙が落ちる。
「そしたら......結衣はスッキリする?」
思わず口から出た言葉だった。私の声が思ったより冷たかったのか、結衣が少しだけ目を見開いた。
「......しないよ」
ぽつりと、結衣が言った。
「なんか、すごく空っぽ。あんたが崩れてくの見て、確かにスカッとしたけど......でも、すぐに終わった。なんでだろうね。思ってたほど、気持ちよくなんてなかった」
静かな声だった。憎しみの奥から、滲み出るような寂しさ。
「本当はただ、あの時.....優しくしてくれたあんたに、ずっと会いたかった。なんでって聞きたかった。ごめんって言ってほしかった.....のかな。今になって、よくわかんないけどさ.....」
そう言って、結衣は目を伏せた。
そのときの顔が昔の結衣の顔と重なった。
「ほんとは整形も、痩せたのも、メイクも、全部あいつらを見返したいって気持ちが最初だった。でも途中から違った。認められたいとか、上に立ちたいとか、羨ましがられたいとかーーそういうのが混ざって、ぐちゃぐちゃになった」
私は自嘲するように笑った。
「でも、もう限界。こんなのおかしい。誰に何言われたって、平気なフリして、全部うまくやってるフリして......あんたに壊されて、やっと全部バレて、私一一
楽になった」
結衣は少し目を見開いたまま、何も言わない。
「壊してくれて、ありがとう。あんたがいなかったら、私はこの先も周りの目に怯えてた。"バレたら終わり”って、ビクビクしてた。たぶん、どっちにしる自分から壊れてたと思うから」
私は正面から結衣を見た。
「でも一ーあんたが私にしたことも、許すなんて言わない。けど、私があんたにしたことも、ちゃんと認める」
一瞬の沈黙が、教室を満たす。
「だから私はーーかわいそうなヒロインにもなってやらない。これは、私の人生だから。私が、私のために、あやまってんの。......それだけ」
「......そんなふうに言うと思ってなかった」
しばらくして、結衣がつぶやいた。
「もっと、自分のこと正当化するかと思った。"可愛くなった私が勝ち”とか、"努力したんだもん”って、開き直るのかと」
「.....思ってた。でも.....結局、勝ち負けじゃなかった」
「ふーん」
結衣がふっと笑った。さっきまでのあの、意地悪な笑いじゃなくて一ーどこか、素の笑みだった。
「私も、ちゃんと謝らないといけないのかもね。復讐なんてしても、何にも残んないってわかった。私、ただあんたに見て欲しかっただけだったんだと思う。ずっと。あの頃の、優しかったあんたに」
結衣がそう言ったとき、私の中で何かが音を立てて崩れていった。
「......ほんと、人と人ってめんどくさいね。わかってるのに、傷つけて、でも離れられなくて、また関わっちゃう」
結衣がは頷く。
「綺麗ごとだけじゃ、ほんとにうまくいかない。でも――ぶつかって、壊しあって、それでも、こうして向き合えたことは......よかったと思う」
結衣が、ポツリと笑う。
「こんな不器用なやり方しかできなかったけど......それでも、私、やっと自分の気持ちを言えた」
――歪で、間違っていて、優しさだけじゃ繋がれなかった。けれど、その間違いを経て、ようやく本音をぶつけあえた。
この先、どうなるかなんて誰にもわからない。でも、誰かと関わるということは、こんなふうに、面倒で、苦しくて、それでもどこか、救いがあることなのかもしれない。
過去に戻ることはできない。
でも、あの頃の私たちを知っているのは、今この場にいる、私と結衣だけだった。
重たい足取りで、それでも私は学校に向かっていた。
こんな時期に、一人になるわけにはいかない。もうすぐ体育祭がある。この時期に"ぼっち”になるのは致命的だった。
もしも不登校になんてなったら、今までの努力が全部ら無意味になる。
柚木と美優が、たしか同じグループだったはず。うまく取り入れば、そこに入れてもらえるかもしれない。
理子たちのことをちょっとネタにすれば、むしろ同情してくれるかもしれない。
ーー最悪、三軍まで下がればきっと"拾ってくれる人はいる。
頭ではいろいろ考えていた。けど、心の奥ではずっとざわざわしていた。
昨日のこと。美術室のこと。壊した絵。朱里の目。
考えない。いまは、立て直すことだけを考える。
しかし、昇降口に入った瞬間だった。
「ねぇ、あの子じゃない?みんなが言ってるの」
「ほんとだ、全然違う~......マジで別人じゃん」
一一何のこと?
状況がつかめず、私は足早に教室に向かった。だけど、その違和感は、すぐに「現実」になった。
教室の前のざわつき。中から聞こえる笑い声。
......何かおかしい。
ガラッと扉を開けた瞬間、視界がぐらついた。
唖然とした。
言葉を失った。
黒板一面に書かれた言葉ーー
「整形女」
「偽善者」
「昔いじめられてたくせに」
「全部ウソだったんだ」
机にも、壁にも、窓ガラスにも。
びっしりと貼られた昔の卒業アルバムの写真。
あの頃の、泣いて、腫れぼったくて、歪んだ顔。
......うそ。
私はふらふらと中に足を踏み入れる。
みんなが、避けた。あからさまに。
教室が、私を中心に、ぽっかり穴があいたみたいだった。
私を"囲むのではない。”避ける”。
見る価値もないもののように。
誰かが笑った。
誰かがスマホで動画を撮っていた。
ああ、私、今、終わったんだ。
心のどこかで、冷静にそう思った。
笑ってる子がいた。見ないふりしてる子も。
でも、全員が一一見ていた。私を。
「あれでよくイキってたよね」
「マジで整形だったんだ......やば」
「リアルビフォーアフターじゃん」
理子と春日が、獲物を見つけたように笑っていた。
「うっわぁ、やばすぎ......まじであの顔だったんだw」
「てか昔いじめられてたのに、よくあんな顔できたよね〜」
当たりを見渡すと春樹と目があった。
「ねぇ、春樹......」
助けを求めるように一歩近づくと、春樹は私の手を振り払った。
「こっちくんなよ、俺を巻き込むな」
あの優しかった目が私を白い目で見つめた。
私の視線が、無意識にひとりの人間に向かっていた。
......朱里。
お前しかいない。あんたしか知らない。
私は、衝動的に彼女に飛びついた。
「お前だろ......!お前がやったんだろ!」
「えっ、ちがう!!やめてよっ!」
朱里が叫んだ。だけど、私の耳には届かなかった。
「他に誰がいんの!?あんたしか知らないじゃん、あの写真.....!ふざけんな、最初からバカにしてたんでしょょ!?」
「.....ちがうってば!!私じゃない!!私、そんなこと......!」
もう、信じられなかった。
信じる余裕なんてなかった。
だって、今の私は、
どこにも、誰にも、救われなかったから。
昔から、自分の顔が嫌いだった。
鏡を見るたび、溜め息が出た。
まるでパーツが喧嘩してるみたいな顔。
太い眉、にきびだらけの肌、下膨れの輪郭。
友達にいたことなんてなかった。
でも――あの人だけは、違った。
クラスの人気者。明るくて、誰にでも優しくて。
体育祭の準備のとき、道具運びで手伝ってくれた。
「ありがとう」って言ったら、「全然!気にすんなよ」って笑ってくれた。
その笑顔が、ずっと頭から離れなくて......初めての恋だった。
こんな私でも、変われるんじゃないかって。
誰かに、好きになってもらえるんじゃないかって。
そして、私は――告白した。
精一杯の化粧をした。
勇気を出して、手紙じゃなくて、言葉で。
震える声で「好きです」って、伝えた。
......そのとき、彼は、私を見た。
見下すみたいな目で。
「いや、ブスとかマジで無理」
「てか、何勘違いしてんの? お前にモテたくて優しくしたわけじゃねーから」
意味が分からなかった。
頭が真っ白になった。
あとで聞いた......彼は、部活で一緒だった朱里にいいところを見せたくて、私にだけ過剰に優しくしてたんだって。
――最悪の道化だった。
惨めで、恥ずかしくて、死にたくなった。
次の日、学校に行ったら――もう、全部広まってた。
「ブスのくせに告白w」
「よくできたよね、あの顔で」
「メンタル強すぎ、いや無神経か」
くすくす笑われる視線。
小声でひそひそ話す声。
「かわいそう」
「ウケる」
毎日、地獄だった。
“イジり”って言葉で誤魔化された悪意が、私の身体を少しずつ蝕んでいった。
そして、私は――転校した。
全部、終わりにしたくて。
生まれ変わりたくて。
整形した。
お母さんには「自分で返すから」って土下座して頼んだ。
整形はズルじゃない。
痛いし、怖いし、金もかかる。
それでも、変わりたかった。
ダイエットして、化粧を研究して、話し方も変えて、
全部、努力した。
“新しい私”を作りたかった。
そして――転校先の学校で、
私は「みんなから好かれる莉音」になった。
可愛くて、明るくて、誰からも好かれる私。
ようやく“普通の青春”が手に入ると思った。私が憧れていた青春。
いや、それ以上に、“あの時の私”を超えられると思ってた。
でも“過去”ってやつは、どれだけ顔を変えても、心の中に居座り続けるんだ。
――逃げられないくらい、深く。
あれから、学校は少しだけ騒ぎになった。
黒板の落書き、貼り出された写真、飛び交った中傷。
先生たちが「いじめは許さない」だの「SNSの恐ろしさ」だの、綺麗事を並べた反省会を開いた。
私はその日、一日中、指導室にいた。
誰もが「かわいそうな被害者」として私を見る。でも、違う。私はただ“壊された”だけじゃない。
ずっと、誰にも本当の自分を見せられないまま、「いい子」と「可愛い子」の皮を被って生きてきた。
クソみたいな青春を、なんとか“まとも”に見せかけようとしてきただけだ。
誰も私の努力なんて見ていない。
教室に荷物を取りに戻ったのは、放課後の五時を過ぎた頃だった。
誰もいない。
静かで、夕焼けに染まった机の列が、どこか他人の世界みたいだった。
鞄を手に取ろうとした、そのとき。
後ろから名前を呼ばれて、振り向く。そこにいたのは結衣だった。
「.....なんで、あんたが......」
「全部、私がやったの。あの写真も、噂も、全部」
私は一瞬、理解が追いつかず目を見開く。
「は?なに言って......」
だって、あれは朱里が......。
「あの頃のこと覚えてない?」
「あの頃......?」
「私、昔は坂本なんだけど。それでもわからない?中学のとき、あんたにいじめられてた」
その名前に、私の顔から色が引いた。
「一一嘘......」
「嘘じゃない!覚えてないんでしょ?私のことなんて。
自分がどれだけ酷いことしたかも、思い出せないんだ」
私は立ち尽くしたまま、声も出ない。
坂本結衣。あの地味で大人しかった、坂本結衣。
結衣は前に出て、吐き捨てるように言った。
「ざまあみろ!ざまあみろッ!あんたの作った人生なんか、ぜーんぶ壊してやった!」
ヒステリックな声が教室に響く。
結衣の目は怒りと、何か別の感情に濡れていた。
「私、ずっとあんたに憧れてた。地味な私に、声かけてくれたとき、ほんとに嬉しかったんだよ?初めて、あんなふうに笑ってくれた人がいて......それなのに、気づいたら、みんなの前で無視されて、馬鹿にされて......」
結衣は目を伏せたまま、小さく息を吸い込む。
――あの頃のことを、思い出す。
***
クラスの隅っこで、本を読んでばかりいた私に、最初に話しかけてくれたのは莉音だった。
「ねえ、それって最近ドラマ化した漫画だよね? 私も大好きなんだよね!」
ぱっと目の前が明るくなったようだった。
キラキラした笑顔で、当たり前みたいに話しかけてくれた。気さくで、明るくて、誰にでも優しい子。でもその優しさが、私にとっては特別だった。
それから、何度か話しかけてくれるようになった。
「結衣ちゃん、もとはいいんだから、絶対可愛くなるよ!」
そんなふうに言ってくれる子、他にいなかった。
私は地味で、何をするにも人の顔色ばかり伺っていた。
だから私はいつのまにか、莉音に憧れていた。
あんなふうに笑えて、人に囲まれて、みんなに好かれて――。
でも......いつからか、空気が変わった。
女子のグループの視線と笑い声が、じわじわと私を刺してきた。
机に「キモい」「死ね」って落書きされていた。
靴がゴミ箱に捨てられていて、体操服に生ゴミが入ってた。
怖くて、情けなくて、息が詰まりそうで。
震える声で、莉音にすがった。
きっと、彼女なら何か言ってくれると思ってた。
信じてた。
「......莉音ちゃん、私、いま......」
「え、さすがに気のせいじゃない?」
笑いながら、流された。
そして、次の日だった。
教室で、莉音は笑っていた。
私の名前を呼んで、あの「一軍グループ」の中で馬鹿にするように笑っていた。
「結衣ちゃんって、挙動不審でまじ受ける」
「人と話すとき、いつもキョドってるよね」
私が何か言おうとすると、莉音が先回りして笑った。
「ごめんごめん、冗談だからぁ~!」
その声は、あの日の優しい声と同じで、だけどまるで別の人みたいだった。
「あんなの話合わせただけなのに本気にしてさー」
莉音は私との会話を話のネタにしていた。
気まずそうな顔ひとつせず、みんなと笑ってた。
自分の居場所を守るために、私を切り捨てた。
あの子の「優しさ」は、ただの演技だったんだ。
信じてたのに。
あの笑顔も、言葉も、全部......嘘だったの?
私は、ただでさえひとりだったのに。
やっとできた、たったひとりの「味方」だと思ってたのに。
優しいフリをして、私を裏切ったあの子。
私の世界を奪ったくせに、何も知らない顔をして生きてるあの子。
私を捨てたあの時のように――今度は、あんたを捨ててやる。
***
「だから復讐してやろうって。壊してやろうって、全部。昔の私みたいに、みんなの前で笑われるようにしてやろうって......」
私は、鮮明に思い出した。
あの頃の自分のことを、吐き気がするほどはっきりと。
私はクラスの中心にいたかった。
笑われたくなかった。置いていかれたくなかった。
誰からも嫌われたくなかった。
だから私は、笑った。
結衣に優しくして、周りにも気を遣って、「みんなの人気者」を演じた。
それが自分の生き残る術だと思い込んでた。
でも、ある日、一軍の子が結衣を標的にし始めた。
空気が変わった。
笑っていた教室が、誰かひとりを見下すことで保たれていった。
私は、知ってた。
何が正しいか、どっちが間違ってるか、わかってた。
でも、それでも――私は、笑った。
結衣が無視されても、靴を隠されても、ノートを破られても。
私は見て見ぬふりをした。
いや、見ぬふりなんかじゃない。
私も、一緒になって笑ってた。
同じ教室で、同じ空気を吸って、同じ加害者の顔をしてた。
なんで......そんなの、簡単だった。
自分が笑われたくなかったから。
結衣の味方になることで、次は自分が標的になるのが怖かったから。
結局私は、私のことしか考えてなかったんだ。
それって――昔、私のことを笑ってたアイツらと、なにが違うの?
いや、違わない。
むしろ私のほうがタチが悪い。
だって私は、最初は結衣に優しくしてたんだよ?
「結衣ちゃん可愛いよ、もっと自信持てばいいのに」なんて笑ってたくせに。
裏で誰よりも冷たいことしてたんだ。
最低だよ。
私は、私が一番嫌ってた「いじめる側」の人間になってた。
誰かを踏みつけることでしか、自分を守れなかったなんて。
――結衣に謝ったって、何も変わらない。
許されるわけなんて、ない。
でも......。
「ごめん。謝ったってなにか変わるわけないのはわかってる。だから......結衣の気が済むまで、殴ってくれて構わない」
私は目を閉じた。ほんとに殴られてもいいと思ってた。
それで少しでも、結衣の気が晴れるなら。少しでも、あの頃の苦しさが報われるなら――。
けれど、次の瞬間。
結衣は、吐き捨てるように叫んだ。
「......はっ!?なにそれ。今さらいい子ぶるのやめてよ!!」
ビンタより痛い言葉が、私を打った。
「なんでそんな綺麗なこと言えるの!?殴っていいって、自分が傷ついたら許されるとでも思ってるの!?
あんたが勝手に罪悪感で酔って、勝手に反省して、勝手に許されようとしないでよ!!」
結衣の目に、涙がにじんでいた。でも、その目は鋭く、私を射抜いてくる。
「もっと絶望してよ。もっと、自分のこと嫌いになってよ。私みたいに、全部失って......誰にも見向きされなくなって、どこにも居場所がなくなって......!そうやって、ひとりで泣いててよ!!」
沈黙が落ちる。
「そしたら......結衣はスッキリする?」
思わず口から出た言葉だった。私の声が思ったより冷たかったのか、結衣が少しだけ目を見開いた。
「......しないよ」
ぽつりと、結衣が言った。
「なんか、すごく空っぽ。あんたが崩れてくの見て、確かにスカッとしたけど......でも、すぐに終わった。なんでだろうね。思ってたほど、気持ちよくなんてなかった」
静かな声だった。憎しみの奥から、滲み出るような寂しさ。
「本当はただ、あの時.....優しくしてくれたあんたに、ずっと会いたかった。なんでって聞きたかった。ごめんって言ってほしかった.....のかな。今になって、よくわかんないけどさ.....」
そう言って、結衣は目を伏せた。
そのときの顔が昔の結衣の顔と重なった。
「ほんとは整形も、痩せたのも、メイクも、全部あいつらを見返したいって気持ちが最初だった。でも途中から違った。認められたいとか、上に立ちたいとか、羨ましがられたいとかーーそういうのが混ざって、ぐちゃぐちゃになった」
私は自嘲するように笑った。
「でも、もう限界。こんなのおかしい。誰に何言われたって、平気なフリして、全部うまくやってるフリして......あんたに壊されて、やっと全部バレて、私一一
楽になった」
結衣は少し目を見開いたまま、何も言わない。
「壊してくれて、ありがとう。あんたがいなかったら、私はこの先も周りの目に怯えてた。"バレたら終わり”って、ビクビクしてた。たぶん、どっちにしる自分から壊れてたと思うから」
私は正面から結衣を見た。
「でも一ーあんたが私にしたことも、許すなんて言わない。けど、私があんたにしたことも、ちゃんと認める」
一瞬の沈黙が、教室を満たす。
「だから私はーーかわいそうなヒロインにもなってやらない。これは、私の人生だから。私が、私のために、あやまってんの。......それだけ」
「......そんなふうに言うと思ってなかった」
しばらくして、結衣がつぶやいた。
「もっと、自分のこと正当化するかと思った。"可愛くなった私が勝ち”とか、"努力したんだもん”って、開き直るのかと」
「.....思ってた。でも.....結局、勝ち負けじゃなかった」
「ふーん」
結衣がふっと笑った。さっきまでのあの、意地悪な笑いじゃなくて一ーどこか、素の笑みだった。
「私も、ちゃんと謝らないといけないのかもね。復讐なんてしても、何にも残んないってわかった。私、ただあんたに見て欲しかっただけだったんだと思う。ずっと。あの頃の、優しかったあんたに」
結衣がそう言ったとき、私の中で何かが音を立てて崩れていった。
「......ほんと、人と人ってめんどくさいね。わかってるのに、傷つけて、でも離れられなくて、また関わっちゃう」
結衣がは頷く。
「綺麗ごとだけじゃ、ほんとにうまくいかない。でも――ぶつかって、壊しあって、それでも、こうして向き合えたことは......よかったと思う」
結衣が、ポツリと笑う。
「こんな不器用なやり方しかできなかったけど......それでも、私、やっと自分の気持ちを言えた」
――歪で、間違っていて、優しさだけじゃ繋がれなかった。けれど、その間違いを経て、ようやく本音をぶつけあえた。
この先、どうなるかなんて誰にもわからない。でも、誰かと関わるということは、こんなふうに、面倒で、苦しくて、それでもどこか、救いがあることなのかもしれない。
過去に戻ることはできない。
でも、あの頃の私たちを知っているのは、今この場にいる、私と結衣だけだった。



