次の日の朝。
重たい足取りで、それでも私は学校に向かっていた。
こんな時期に、一人になるわけにはいかない。もしも不登校になんてなったら、今までの努力が全部無意味になる。
柚木と美優が、たしか同じグループだったはず。うまく取り入れば、そこに入れてもらえるかもしれない。
ーー最悪、三軍まで下がればきっと拾ってくれる人はいる。
頭ではいろいろ考えていた。けど、心の奥ではずっとざわざわしていた
昇降口に入った瞬間だった。
「ねぇ、あの子じゃない? みんなが言ってるの」
「ほんとだ、全然違う~......マジで別人じゃん」
一一何のこと?
状況がつかめず、私は足早に教室に向かった。けど、その違和感は、すぐに現実になった。
ガラッと扉を開けた瞬間、視界がぐらついた。
黒板一面に書かれた言葉ーー
「整形女」
「偽善者」
「ブス」
机にも、壁にも、窓ガラスにも。びっしりと貼られた昔の卒業アルバムの写真。
「なにこれ......」
私はふらふらと中に足を踏み入れるとみんなが、あからさまに避けた。教室が、私を中心に、ぽっかり穴があいたみたいだった。
誰かが笑った。
誰かがスマホで動画を撮っていた。
ああ、私、終わったんだ。
心のどこかで、冷静にそう思った。
「あれでよくイキってたよね」
「マジで整形だったんだ......やば」
「リアルビフォーアフターじゃん」
理子と春日が、獲物を見つけたように笑っていた。
「うっわぁ、やばすぎ......まじであの顔だったんだw」
「てか昔いじめられてたのに、よくあんな顔できたよね〜」
当たりを見渡すと春樹と目があった。
「ねぇ、春樹......」
助けを求めるように一歩近づくと、春樹は私の手を振り払った。
「こっちくんなよ」
あの優しかった目が私を白い目で見つめた。
私の視線が、無意識にひとりの人間に向かっていた。
......朱里。
お前しかいない。お前しか知らない。
私は、衝動的に飛びついた。
「お前だろ......! お前がやったんだろ!」
「えっ、ちがう!! やめてよっ!」
朱里が叫んだ。だけど、私の耳には届かなかった。
「他に誰がいんの!? あんたしか知らないじゃん、あの写真.....! ふざけんな、最初からバカにしてたんでしょょ!?」
「.....ちがうってば!! 私じゃない!! 私、そんなこと......!」
もう、信じられなかった。
信じる余裕なんてなかった。
だって、今の私は、どこにも、誰にも、救われなかったから。
*
昔から、自分の顔が嫌いだった。
まるでパーツが喧嘩してるみたいな顔で太い眉、にきびだらけの肌、下膨れの輪郭。
友達がいたことなんてなかった。
でも――あの人だけは、違った。
明るくて、誰にでも優しくて、クラスの人気者。体育祭の準備のとき、道具運びで手伝ってくれた。
「ありがとう」って言ったら、「全然! 気にすんなよ」って笑ってくれた。
その笑顔が、ずっと頭から離れなくて......初めての恋だった。
こんな私でも、変われるんじゃないか。誰かに、好きになってもらえるんじゃないかって。
そして、私は――告白した。
精一杯の化粧をした。
勇気を出して、震える声で「好きです」って、伝えた。
「いや、ブスとかマジで無理」
「......えっ?」
「てか、何勘違いしてんの? お前にモテたくて優しくしたわけじゃねーから」
意味が分からなくて頭が真っ白になった。
あとで聞いた......彼は、部活で一緒だった朱里にいいところを見せたくて、私にだけ過剰に優しくしてたんだって。
惨めで、恥ずかしくて、死にたくなった。
次の日、学校に行ったらもう、全部広まってた。
「ブスのくせに告白w」
「よくできたよね、あの顔で」
「メンタル強すぎ」
くすくす笑われる視線に小声でひそひそ話す声。毎日が地獄だった。
そして、私は転校した。
全部、終わりにしたくて。生まれ変わりたくて整形した。
お母さんには「自分で返すから」って土下座して頼んだ。
整形はズルじゃない。痛いし、怖いし、金もかかる。ダイエットして、化粧を研究して、話し方も変えて、全部、努力した。
“新しい私”を作りたかった。
そして――転校先の学校で、私は「みんなから好かれる莉音」になった。
可愛くて、明るくて、誰からも好かれる私。ようやく普通の青春が手に入ると思った。私が憧れていた青春。でも過去ってやつは、どれだけ顔を変えても、消えれことはないんだ。
*
あれから、学校は少しだけ騒ぎになった。
先生たちが「いじめは許さない」だの綺麗事を並べた反省会を開いてる間、私は一日中、指導室にいた。
ずっと、誰にも本当の自分を見せられないまま、「いい子」と「可愛い子」の仮面を被って生きてきた。クソみたいな青春を、なんとかまともに見せかけようとしてきただけだ。
教室に荷物を取りに戻ったのは、放課後の五時を過ぎた頃だった。
誰もいない。静かで、夕焼けに染まった机の列が、どこか他人の世界みたいだった。
鞄を手に取ろうとした、そのとき。
「莉音......」
そこにいたのは結衣だった。
「.....なんで、あんたが......」
「全部、私がやったの。あの写真も、噂も、全部」
私は一瞬、理解が追いつかず目を見開く。
「は? なに言って......」
だって、あれは朱里が......。
「あの頃のこと覚えてない?」
「あの頃......?」
「私、昔は坂本なんだけど。それでもわからない? 中学のとき、あんたにいじめられてた」
その名前に、私の顔から色が引いた。
「一一嘘......」
「覚えてないんでしょ? 私のことなんて」
私は立ち尽くしたまま、声も出ない。
坂本結衣、あの地味で大人しかった、坂本結衣。
結衣は前に出て、吐き捨てるように言った。
「ざまあみろ! ざまあみろッ! あんたの作った人生なんか、ぜーんぶ壊してやったッ!」
ヒステリックな声が教室に響く。結衣の目は怒りと、何か別の感情に濡れていた。
「私、ずっとあんたに憧れてた。地味な私に、声かけてくれたとき、ほんとに嬉しかったんだよ? 初めて、あんなふうに笑ってくれた人がいて......それなのに、気づいたら、みんなの前で無視されて、馬鹿にされて......」
結衣が私を見つめた。あの時と変わらない真っ直ぐな瞳で――
*
クラスの隅っこで、本を読んでばかりいた私に、最初に話しかけてくれたのは莉音だった。
「ねえ、それって最近ドラマ化した漫画だよね? 私も大好きなんだよね!」
ぱっと目の前が明るくなったようだった。キラキラした笑顔で、当たり前みたいに話しかけてくれた。気さくで、明るくて、誰にでも優しい子。でもその優しさが、私にとっては特別だった。
「結衣ちゃん、もとはいいんだから、絶対可愛くなるよ!」
私は地味で、何をするにも人の顔色ばかり伺っていた。だから私はいつのまにか、莉音に憧れていた。あんなふうに笑えて、人に囲まれて、みんなに好かれて――。
でも......いつからか、空気が変わった。
女子のグループの視線と笑い声が、じわじわと私を刺してきた。
机に「キモい」「死ね」って落書きされていた。靴がゴミ箱に捨てられていて、体操服に生ゴミが入ってた。怖くて、怖くて、震える声で、莉音にすがった。
「......莉音ちゃん、私、いじめられてて......」
「え、さすがに気のせいじゃない?」
笑いながら、流された。
そして、次の日だった。
教室で、莉音は笑っていた。私の名前を呼んで、あの「一軍グループ」の中で馬鹿にするように笑っていた。
「結衣ちゃんって、挙動不審でまじ受ける」
「人と話すとき、いつもキョドってるよね」
その声は、あの日の優しい声と同じで、だけどまるで別の人みたいだった。
「あんなの話合わせただけなのに本気にしてさー」
莉音は私との会話を話のネタにしていた。気まずそうな顔ひとつせず、みんなと笑ってた。
あの子の「優しさ」は、ただの演技だったんだ。
信じてたのに。
あの笑顔も、言葉も、全部......嘘だったの?
私は、ただでさえひとりだったのに。やっとできた、たったひとりの味方だと思ってたのに。
優しいフリをして、私を裏切ったあの子。
私の世界を奪ったくせに、何も知らない顔をして生きてるあの子。
私を捨てたあの時のように――今度は、私があんたを捨ててやる。
*
「だから復讐してやろうって。壊してやろうって、全部。昔の私みたいに、みんなの前で笑われるようにしてやろうって......」
私は、鮮明に思い出した。
あの頃の自分のことを、吐き気がするほどはっきりと。
結衣に優しくして、周りにも気を遣って、「みんなの人気者」を演じた。
それが自分の生き残る術だと思い込んでた。でも、ある日、一軍の子が結衣を標的にし始めた。
笑っていた教室が、誰かひとりを見下すことで保たれていった。
私は、知ってた。何が正しいか、どっちが間違ってるか、わかってた。
でも、それでも――私は、笑った。
結衣が無視されても、靴を隠されても、ノートを破られても。
私は見て見ぬふりをした。いや、見ぬふりなんかじゃない。私も、一緒になって笑っていた。
なんで......そんなの、簡単だった。自分が笑われたくなかったから。
結衣の味方になることで、次は自分が標的になるのが怖かったから。
結局私は、私のことしか考えてなかったんだ。
それって――昔、私のことを笑ってたアイツらと、なにが違うの?
私は、私が一番嫌ってた「いじめる側」の人間になってた。
誰かを踏みつけることでしか、自分を守れなくて。
――結衣に謝ったって、何も変わらない。
許されるわけなんて、ない。
でも......。
「ごめん。謝ったってなにか変わるわけないのはわかってる。だから......結衣の気が済むまで、殴っていいよ」
私は目を閉じた。それで少しでも、結衣の気が晴れるなら。少しでも、あの頃の苦しさが報われるなら――。
けれど、次の瞬間。
結衣は、吐き捨てるように叫んだ。
「......はっ!? なにそれ。今さらいい子ぶるのやめてよ!!」
ビンタより痛い言葉が、私を打った。
「なんでそんなこと言えるの!? 殴っていいって、自分が傷ついたら許されるとでも思ってるの!」
結衣の目に、涙がにじんでいた。でも、その目は鋭く、私を射抜いてくる。
「もっと絶望してよ。もっと、自分のこと嫌いになってよ。私みたいに、全部失って......誰にも見向きされなくなって、どこにも居場所がなくなって......! そうやって、ひとりで泣いててよ!!」
沈黙が落ちる。
「そしたら......結衣はスッキリする?」
思わず口から出た言葉だった。私の声が思ったより冷たかったのか、結衣が少しだけ目を見開いた。
「......しないよ」
ぽつりと、結衣が言った。
「なんか、すごく空っぽ。あんたが崩れてくの見て、スカッとしたのに......でも、すぐに終わった。なんでだろうね。思ってたほど、気持ちよくなんてなかった」
静かな声だった。憎しみの奥から、滲み出るような寂しさ。
「本当はただ、あの時.....優しくしてくれたあんたに、ずっと会いたかった。なんでって聞きたかった。ごめんって言ってほしかった.....のかな。今になってはよくわかんないけどさ.....」
そう言って、結衣は目を伏せた。
そのときの顔が昔の結衣の顔と重なった。
「ほんとは整形も、痩せたのも、メイクも、全部あいつらを見返したいって気持ちが最初だった。でも途中から違った。認められたいとか、上に立ちたいとか、羨ましがられたいとかーーそういうのが混ざって、ぐちゃぐちゃになった」
私は自嘲するように笑った。
「でも、もう限界。こんなのおかしい。誰に何言われたって、平気なフリして、全部うまくやってるフリして......あんたに壊されて、やっと私楽になった」
結衣は少し目を見開いたまま、何も言わない。
「壊してくれて、ありがとう。あんたがいなかったら、私はこの先も周りの目に怯えてた。たぶん、どっちにしろ自分から壊れてたと思うから」
私は正面から結衣を見た。
「でも一ーあんたが私にしたことも、許すなんて言わない。けど、私があんたにしたことは謝る」
一瞬の沈黙が、教室を満たす。
「だから私はーーかわいそうなヒロインにもなってやらない。これは、私の人生だから。私が、私のために、謝るよ」
「......そんなふうに言うと思ってなかった」
しばらくして、結衣がつぶやいた。
「もっと、自分のこと正当化するかと思った」
「......昔の私ならそうしてた」
「ふーん」
結衣がふっと笑った。さっきまでのあの、意地悪な笑いじゃなくて一ーどこか、素の笑みだった。
「私も、謝らないといけないのかもね。復讐なんてしても、何にも残んないってわかった。私、ただあんたに見て欲しかっただけなんだと思う」
結衣がそう言ったとき、私の中で何かが音を立てて崩れていった。
「......ほんと、人と人ってめんどくさいね。わかってるのに、傷つけて、でも離れられなくて、また関わっちゃう」
結衣が頷く。
「綺麗ごとだけじゃ、ほんとにうまくいかない。でも――ぶつかって、壊しあって、それでも、こうして向き合えたから......よかったと思う」
結衣が、ポツリと笑う。
「こんな不器用なやり方しかできなかったけど......それでも、私、やっと自分の気持ちを言えた」
――歪で、間違っていて、優しさだけじゃ繋がれなかった。けれど、その間違いを経て、ようやく本音をぶつけあえた。
この先、どうなるかなんて誰にもわからない。でも、誰かと関わるということは、こんなふうに、面倒で、苦しくて、それでもどこか、救いがあることなのかもしれない。
重たい足取りで、それでも私は学校に向かっていた。
こんな時期に、一人になるわけにはいかない。もしも不登校になんてなったら、今までの努力が全部無意味になる。
柚木と美優が、たしか同じグループだったはず。うまく取り入れば、そこに入れてもらえるかもしれない。
ーー最悪、三軍まで下がればきっと拾ってくれる人はいる。
頭ではいろいろ考えていた。けど、心の奥ではずっとざわざわしていた
昇降口に入った瞬間だった。
「ねぇ、あの子じゃない? みんなが言ってるの」
「ほんとだ、全然違う~......マジで別人じゃん」
一一何のこと?
状況がつかめず、私は足早に教室に向かった。けど、その違和感は、すぐに現実になった。
ガラッと扉を開けた瞬間、視界がぐらついた。
黒板一面に書かれた言葉ーー
「整形女」
「偽善者」
「ブス」
机にも、壁にも、窓ガラスにも。びっしりと貼られた昔の卒業アルバムの写真。
「なにこれ......」
私はふらふらと中に足を踏み入れるとみんなが、あからさまに避けた。教室が、私を中心に、ぽっかり穴があいたみたいだった。
誰かが笑った。
誰かがスマホで動画を撮っていた。
ああ、私、終わったんだ。
心のどこかで、冷静にそう思った。
「あれでよくイキってたよね」
「マジで整形だったんだ......やば」
「リアルビフォーアフターじゃん」
理子と春日が、獲物を見つけたように笑っていた。
「うっわぁ、やばすぎ......まじであの顔だったんだw」
「てか昔いじめられてたのに、よくあんな顔できたよね〜」
当たりを見渡すと春樹と目があった。
「ねぇ、春樹......」
助けを求めるように一歩近づくと、春樹は私の手を振り払った。
「こっちくんなよ」
あの優しかった目が私を白い目で見つめた。
私の視線が、無意識にひとりの人間に向かっていた。
......朱里。
お前しかいない。お前しか知らない。
私は、衝動的に飛びついた。
「お前だろ......! お前がやったんだろ!」
「えっ、ちがう!! やめてよっ!」
朱里が叫んだ。だけど、私の耳には届かなかった。
「他に誰がいんの!? あんたしか知らないじゃん、あの写真.....! ふざけんな、最初からバカにしてたんでしょょ!?」
「.....ちがうってば!! 私じゃない!! 私、そんなこと......!」
もう、信じられなかった。
信じる余裕なんてなかった。
だって、今の私は、どこにも、誰にも、救われなかったから。
*
昔から、自分の顔が嫌いだった。
まるでパーツが喧嘩してるみたいな顔で太い眉、にきびだらけの肌、下膨れの輪郭。
友達がいたことなんてなかった。
でも――あの人だけは、違った。
明るくて、誰にでも優しくて、クラスの人気者。体育祭の準備のとき、道具運びで手伝ってくれた。
「ありがとう」って言ったら、「全然! 気にすんなよ」って笑ってくれた。
その笑顔が、ずっと頭から離れなくて......初めての恋だった。
こんな私でも、変われるんじゃないか。誰かに、好きになってもらえるんじゃないかって。
そして、私は――告白した。
精一杯の化粧をした。
勇気を出して、震える声で「好きです」って、伝えた。
「いや、ブスとかマジで無理」
「......えっ?」
「てか、何勘違いしてんの? お前にモテたくて優しくしたわけじゃねーから」
意味が分からなくて頭が真っ白になった。
あとで聞いた......彼は、部活で一緒だった朱里にいいところを見せたくて、私にだけ過剰に優しくしてたんだって。
惨めで、恥ずかしくて、死にたくなった。
次の日、学校に行ったらもう、全部広まってた。
「ブスのくせに告白w」
「よくできたよね、あの顔で」
「メンタル強すぎ」
くすくす笑われる視線に小声でひそひそ話す声。毎日が地獄だった。
そして、私は転校した。
全部、終わりにしたくて。生まれ変わりたくて整形した。
お母さんには「自分で返すから」って土下座して頼んだ。
整形はズルじゃない。痛いし、怖いし、金もかかる。ダイエットして、化粧を研究して、話し方も変えて、全部、努力した。
“新しい私”を作りたかった。
そして――転校先の学校で、私は「みんなから好かれる莉音」になった。
可愛くて、明るくて、誰からも好かれる私。ようやく普通の青春が手に入ると思った。私が憧れていた青春。でも過去ってやつは、どれだけ顔を変えても、消えれことはないんだ。
*
あれから、学校は少しだけ騒ぎになった。
先生たちが「いじめは許さない」だの綺麗事を並べた反省会を開いてる間、私は一日中、指導室にいた。
ずっと、誰にも本当の自分を見せられないまま、「いい子」と「可愛い子」の仮面を被って生きてきた。クソみたいな青春を、なんとかまともに見せかけようとしてきただけだ。
教室に荷物を取りに戻ったのは、放課後の五時を過ぎた頃だった。
誰もいない。静かで、夕焼けに染まった机の列が、どこか他人の世界みたいだった。
鞄を手に取ろうとした、そのとき。
「莉音......」
そこにいたのは結衣だった。
「.....なんで、あんたが......」
「全部、私がやったの。あの写真も、噂も、全部」
私は一瞬、理解が追いつかず目を見開く。
「は? なに言って......」
だって、あれは朱里が......。
「あの頃のこと覚えてない?」
「あの頃......?」
「私、昔は坂本なんだけど。それでもわからない? 中学のとき、あんたにいじめられてた」
その名前に、私の顔から色が引いた。
「一一嘘......」
「覚えてないんでしょ? 私のことなんて」
私は立ち尽くしたまま、声も出ない。
坂本結衣、あの地味で大人しかった、坂本結衣。
結衣は前に出て、吐き捨てるように言った。
「ざまあみろ! ざまあみろッ! あんたの作った人生なんか、ぜーんぶ壊してやったッ!」
ヒステリックな声が教室に響く。結衣の目は怒りと、何か別の感情に濡れていた。
「私、ずっとあんたに憧れてた。地味な私に、声かけてくれたとき、ほんとに嬉しかったんだよ? 初めて、あんなふうに笑ってくれた人がいて......それなのに、気づいたら、みんなの前で無視されて、馬鹿にされて......」
結衣が私を見つめた。あの時と変わらない真っ直ぐな瞳で――
*
クラスの隅っこで、本を読んでばかりいた私に、最初に話しかけてくれたのは莉音だった。
「ねえ、それって最近ドラマ化した漫画だよね? 私も大好きなんだよね!」
ぱっと目の前が明るくなったようだった。キラキラした笑顔で、当たり前みたいに話しかけてくれた。気さくで、明るくて、誰にでも優しい子。でもその優しさが、私にとっては特別だった。
「結衣ちゃん、もとはいいんだから、絶対可愛くなるよ!」
私は地味で、何をするにも人の顔色ばかり伺っていた。だから私はいつのまにか、莉音に憧れていた。あんなふうに笑えて、人に囲まれて、みんなに好かれて――。
でも......いつからか、空気が変わった。
女子のグループの視線と笑い声が、じわじわと私を刺してきた。
机に「キモい」「死ね」って落書きされていた。靴がゴミ箱に捨てられていて、体操服に生ゴミが入ってた。怖くて、怖くて、震える声で、莉音にすがった。
「......莉音ちゃん、私、いじめられてて......」
「え、さすがに気のせいじゃない?」
笑いながら、流された。
そして、次の日だった。
教室で、莉音は笑っていた。私の名前を呼んで、あの「一軍グループ」の中で馬鹿にするように笑っていた。
「結衣ちゃんって、挙動不審でまじ受ける」
「人と話すとき、いつもキョドってるよね」
その声は、あの日の優しい声と同じで、だけどまるで別の人みたいだった。
「あんなの話合わせただけなのに本気にしてさー」
莉音は私との会話を話のネタにしていた。気まずそうな顔ひとつせず、みんなと笑ってた。
あの子の「優しさ」は、ただの演技だったんだ。
信じてたのに。
あの笑顔も、言葉も、全部......嘘だったの?
私は、ただでさえひとりだったのに。やっとできた、たったひとりの味方だと思ってたのに。
優しいフリをして、私を裏切ったあの子。
私の世界を奪ったくせに、何も知らない顔をして生きてるあの子。
私を捨てたあの時のように――今度は、私があんたを捨ててやる。
*
「だから復讐してやろうって。壊してやろうって、全部。昔の私みたいに、みんなの前で笑われるようにしてやろうって......」
私は、鮮明に思い出した。
あの頃の自分のことを、吐き気がするほどはっきりと。
結衣に優しくして、周りにも気を遣って、「みんなの人気者」を演じた。
それが自分の生き残る術だと思い込んでた。でも、ある日、一軍の子が結衣を標的にし始めた。
笑っていた教室が、誰かひとりを見下すことで保たれていった。
私は、知ってた。何が正しいか、どっちが間違ってるか、わかってた。
でも、それでも――私は、笑った。
結衣が無視されても、靴を隠されても、ノートを破られても。
私は見て見ぬふりをした。いや、見ぬふりなんかじゃない。私も、一緒になって笑っていた。
なんで......そんなの、簡単だった。自分が笑われたくなかったから。
結衣の味方になることで、次は自分が標的になるのが怖かったから。
結局私は、私のことしか考えてなかったんだ。
それって――昔、私のことを笑ってたアイツらと、なにが違うの?
私は、私が一番嫌ってた「いじめる側」の人間になってた。
誰かを踏みつけることでしか、自分を守れなくて。
――結衣に謝ったって、何も変わらない。
許されるわけなんて、ない。
でも......。
「ごめん。謝ったってなにか変わるわけないのはわかってる。だから......結衣の気が済むまで、殴っていいよ」
私は目を閉じた。それで少しでも、結衣の気が晴れるなら。少しでも、あの頃の苦しさが報われるなら――。
けれど、次の瞬間。
結衣は、吐き捨てるように叫んだ。
「......はっ!? なにそれ。今さらいい子ぶるのやめてよ!!」
ビンタより痛い言葉が、私を打った。
「なんでそんなこと言えるの!? 殴っていいって、自分が傷ついたら許されるとでも思ってるの!」
結衣の目に、涙がにじんでいた。でも、その目は鋭く、私を射抜いてくる。
「もっと絶望してよ。もっと、自分のこと嫌いになってよ。私みたいに、全部失って......誰にも見向きされなくなって、どこにも居場所がなくなって......! そうやって、ひとりで泣いててよ!!」
沈黙が落ちる。
「そしたら......結衣はスッキリする?」
思わず口から出た言葉だった。私の声が思ったより冷たかったのか、結衣が少しだけ目を見開いた。
「......しないよ」
ぽつりと、結衣が言った。
「なんか、すごく空っぽ。あんたが崩れてくの見て、スカッとしたのに......でも、すぐに終わった。なんでだろうね。思ってたほど、気持ちよくなんてなかった」
静かな声だった。憎しみの奥から、滲み出るような寂しさ。
「本当はただ、あの時.....優しくしてくれたあんたに、ずっと会いたかった。なんでって聞きたかった。ごめんって言ってほしかった.....のかな。今になってはよくわかんないけどさ.....」
そう言って、結衣は目を伏せた。
そのときの顔が昔の結衣の顔と重なった。
「ほんとは整形も、痩せたのも、メイクも、全部あいつらを見返したいって気持ちが最初だった。でも途中から違った。認められたいとか、上に立ちたいとか、羨ましがられたいとかーーそういうのが混ざって、ぐちゃぐちゃになった」
私は自嘲するように笑った。
「でも、もう限界。こんなのおかしい。誰に何言われたって、平気なフリして、全部うまくやってるフリして......あんたに壊されて、やっと私楽になった」
結衣は少し目を見開いたまま、何も言わない。
「壊してくれて、ありがとう。あんたがいなかったら、私はこの先も周りの目に怯えてた。たぶん、どっちにしろ自分から壊れてたと思うから」
私は正面から結衣を見た。
「でも一ーあんたが私にしたことも、許すなんて言わない。けど、私があんたにしたことは謝る」
一瞬の沈黙が、教室を満たす。
「だから私はーーかわいそうなヒロインにもなってやらない。これは、私の人生だから。私が、私のために、謝るよ」
「......そんなふうに言うと思ってなかった」
しばらくして、結衣がつぶやいた。
「もっと、自分のこと正当化するかと思った」
「......昔の私ならそうしてた」
「ふーん」
結衣がふっと笑った。さっきまでのあの、意地悪な笑いじゃなくて一ーどこか、素の笑みだった。
「私も、謝らないといけないのかもね。復讐なんてしても、何にも残んないってわかった。私、ただあんたに見て欲しかっただけなんだと思う」
結衣がそう言ったとき、私の中で何かが音を立てて崩れていった。
「......ほんと、人と人ってめんどくさいね。わかってるのに、傷つけて、でも離れられなくて、また関わっちゃう」
結衣が頷く。
「綺麗ごとだけじゃ、ほんとにうまくいかない。でも――ぶつかって、壊しあって、それでも、こうして向き合えたから......よかったと思う」
結衣が、ポツリと笑う。
「こんな不器用なやり方しかできなかったけど......それでも、私、やっと自分の気持ちを言えた」
――歪で、間違っていて、優しさだけじゃ繋がれなかった。けれど、その間違いを経て、ようやく本音をぶつけあえた。
この先、どうなるかなんて誰にもわからない。でも、誰かと関わるということは、こんなふうに、面倒で、苦しくて、それでもどこか、救いがあることなのかもしれない。



