嘘だらけの青春劇場

 九月一日。
 空気はまだ蒸し暑いのに、教室の窓から入り込む風に、ほんの少しだけ秋の匂いが混じっていた。

「夏休みたりないよー!」

「てかさ、夏課題出し忘れたんだけど終わった?」

 そんなふうに、あちこちで久しぶりの再会に声が弾む。
 夏休みが終わっても、教室の空気はまだどこか浮ついていた。
 私たちはこの夏で私、朱里、理子、春日の「4人」がしっくりくる形になった。
 それはちょっとした安心感で、ちょっとした優越感だった。

「え、今さら転校生?」

 朝のSHR前、理子が机に頬杖をつきながらぽつりとつぶやいた。

「もう9月なのにね。珍しくない?」

「ねー、なんかやらかしたとか」

 そんな転校生の話で盛り上がる中、教室のドアが開いた。

「みんな席についてー。転校生を紹介します」

 担任のその言葉に、教室中の目が一斉にドアへ向けた。
 そして現れたのは――

「橘結衣(たちばなゆい)です。よろしくお願いします!」

 それは、なんというか、絵になる子だった。笑顔がはっきりしてて、声もよく通る。日焼けした腕、まだ新しい制服、肩にかかる髪がふわっと揺れる。

 まるで、夏の映画から抜け出してきたみたいな存在。

「え〜! 可愛い〜!」

「よろしくねー!」

 前の席の子が声をあげると、それに続いて教室がパッと華やぐ。誰もが、彼女を歓迎モードで受け入れていくのがわかった、

「じゃあ......席は莉音の隣、空いてたよな。そこに座って」

 担任に促され、結衣がこっちに歩いてくる。

「莉音ちゃん?  今日からよろしくね!」

 私を見て、目を輝かせながら名前を呼ぶ。
 初対面なのにびっくりするくらい、すっと距離を詰めてきた。その目が、まっすぐすぎて、ちょっとだけ、ぞわっとした。

「うん、よろしくね」

「莉音って、呼んでもいい?」

 明るくて、いい子で、社交的で、すぐに人気者になりそうだと思った。

「ねぇねぇ、どこから来たの?」

「前の学校どうだった?」

 お弁当の時間になり気がつけば、周りの子たちがどんどん結衣に話しかけていた。そんな中、

「ねぇ、莉音!」

 後ろから声をかけられて私は嫌な予感をしながら振り返る。

「どうした?」

「私も一緒に食べていいかな?」

 結衣は明るく笑いかけてきた。こんなの断れるわけないじゃん。

「全然いいよー」

 自然に笑い返したつもりだったけど、心の中はざわついていた。
 ――どうして私なの?
 さっき他にも、話しかけてくれてた子がいたはずなのに。結衣は嬉しそうに「ありがとう」と私に駆け寄ってくる。

「あれっ、結衣ちゃんじゃん」

「私も入れてもらってもいいかな」

「いいよ、いいよ!」

 朱里も、理子も、春日も、この夏でやっと固まった私たちの中に、結衣は何の違和感もなく入り込んでいく。

「――なにそれウケる!  結衣ちゃん、おもしろい!」

「呼び捨てでもいい?」

「私もー!」

 あっという間に、教室の中心が動いていく。
 私の中で、何かが、静かにきしんだ。でも、それはまだ、音にもならないほんの少しの違和感だった。
 ただ――夏が終わって、空気が落ち着いたはずのこの教室に、もう一度、“何か”が流れ込んできた気がした。

 *

 気づけば、結衣は私たちのグループに自然と溶け込んでいた。
 結衣は明るくて、気配りができて、少しドジで、でも話題も豊富でーーほんと、完璧だった。だからだろうか。
 気づかないうちに、彼女が”中心”になっていったのは。
 最近、写真を撮るときのポジションが、少しずつ変わってきた。
 今まで真ん中にいたのは、私と朱里だった。でも今は、結衣と朱里。その隣に理子、春日がきて私は端っこ。
「莉音、こっち来て一!」って言われても、それは形だけで、誰も私の顔を見てない。

「なんかさ、莉音って最近ピリピリしてない?」

 誰かが言ったその言葉に、私はその場で固まった。心の中で何かが崩れる音がした。

「え、そんなことないよ?」

「莉音ってちょっとクールだから!」

 笑いに変えたのは結衣だった。場を和ませたのかもしれないけど、私はそれにイライラが隠せなかった。
 あんたが私の何を知ってるの?
 それから、些細なことが積み重なっていった。
 私たちは文化祭が近ずき、5人で装飾係になった。誰がめんどくきく役を担当するかで少し揉めたとき、朱里が自然な顔で言った。

「莉音、やってよ!」

 何気ないその一言に、私は頷けなかった。

「なんでいつも私ばっかなの?  分担するって言ってたじゃん」

 空気がピシ、と凍る。

「え......ごめん、そんなつもりじゃ――」

「そういうの、地味に積もるんだよ」

 自分でもびっくりするくらい、攻撃的な言葉が口からこぼれた。そしてすぐに、後悔が喉の奥を詰まらせた。

「莉音、ちょっと......言い方キツくない?」

 春日が眉をひそめる。

「別に、間違ったこと言ってないけど?」

 そう返したけれど、誰も何も言わなかった。代わりに結衣がちょっと困ったように笑いながら「じゃあ私、やるよ」と言った。

「......そういうとこ、ずるいよ」

 本音が出てしまった。みんなの視線が一斉に集まる。自分がどんどん孤立していくのが肌で感じた。
 私だけが、悪者みたいに。

 *

 まただ。また、こうやって、私は外されていく。
 家に帰って布団にもぐったけど、涙は出てこなかった。ただひたすら、頭の中で過去の映像が繰り返された。
 机に落書きされて、持ち物を隠されて、誰も味方がいなかった。そこから抜け出すために、どれだけ努力したと思ってるの?
 髪型も、メイクも、話し方も、全部変えて、やっと可愛い私になったのに。
 なのに――結局、何も変わってなかったの?

「......ふざけんなよ」

 唇を噛んだ。
 翌朝、鏡に向かって笑顔を作ってみたけど、いつもみたいにうまくできなかった。
 教室に入っても、誰も私に話しかけてこなかった。
 唯一声をかけてきたのは、結衣だった。

「莉音、大丈夫?  昨日、ちょっとみんな言い過ぎてたと思うんだ」

 ......ねえ、どうしてそんな顔で私を見るの?
 奪った側のくせに、救う側みたいな顔しないでよ。

「ありがとう」

 口ではそう言った。でも心の中では、言葉と真逆の感情が渦を巻いていた。

 ――こいつがいなければ。

 もう限界だった。だから私は、逃げるように絵に没頭した。
 キャンバスの上だけが、私の居場所だった。誰に邪魔されることもない。線を引くたび、色を重ねるたびに、自分がここにいると確かめられる気がした。
 何十回も描いた。寝る間も惜しんで描いた。
 その中で、一枚だけーー自信作ができた。これはきっと、認められる。この絵だけは、誰にも奪わせない。そう思って、私はその絵を大きなバッグに入れる。
 私はドキドキしながら学校に向かった。
 教室に入ろうとした瞬間、耳に入ったのは、自分の名前だった。

「......莉音ってさ、最近めんどくさいよね」

 それは、理子の声だった。

「うん......わかる。なんか、空気読めてないって言うか」

 結衣が同意して、春日が頷く。

「朱里もそう思うよね?」

「めんどくさいっていうか.......ちょっと疲れちゃうかな」

 共感を求められた朱里はあくまでみんなの意見を肯定した。

「......聞こえてるんだけど」

 静かな声で言ったはずなのに、空気が凍りついた。
 全員の動きが止まる。

「莉音......今のは、そういうつもりじゃなくてーー」

「そういうつもりじゃないなら、どういうつもりなの?言ってみてよ。私がめんどくさい?空気読めてない?よかったね、全員同じ意見じゃん」

「......莉音、そんな言い方――」

「うるさい」

 言葉が止まる。自分でも驚くくらい、冷たくて、刺すような声だった。

「最初は私のこと、顔色うかがってたくせに、陰でコソコソ馬鹿にして。口では仲良し~とか言って、裏じゃ悪口。あーあ、薄っぺら」

「は? なにそれ。自分は違うみたいな......私たちだって、ずっと気を遣ってたよ!」

 春日が眉をひそめて言い返す。

「空気悪くなりそうなとき、フォローしてたの、誰だと思ってんの?」

「フォロー? あんたたちが私をフォローしてあげてた、って言いたいんだ」

「ていうかさ、被害妄想すごいよ、莉音。誰もそこまで言ってないじゃん」

 理子がぽつりと呟いた。

「そういう全部、被害者みたいな、困るんだよね」

「じゃあ、何? 私が加害者だって言いたい訳?私がどれだけ努力してきたと思ってんのッ!」

「努力した? 知らないよ、そんなの」

 春日が言った。

「私は莉音のこと、ちゃんと友達だと思ってた。なのに、いつからか無視されてる感じがして......」

 結衣が小さく口を開く。

「......あんたが奪ったんだよ、全部」

 空気が変わった。

「私が積み上げてきた関係も、居場所も......全然! お前が全部奪ったんだろ!」

「私そんなこと......」

「偽善者ぶるなよッ!」

 机を思いきり叩いた。教室に音が響く。

「そういうところだってわかんないの? マジでめんどくさいよ、最近の莉音」

 理子の鋭い声。莉音の眉がピクリと動く。

「なにそれ。今まで我慢してきていざ本音言ったらそれ?」

「我慢っていうけど、誰が頼んだの? それでうまくいかなくなったら被害者面して」

 春日の声には、いつになく強い棘があった。
 理子が乾いた笑いを漏らす。

「自分勝手に周り責めて、それを本音って言われても、こっちは困るんだけど」

「......はあ。そっちが勝手に仲良しごっこしてただけじゃん。私が合わせなきゃいけない理由なんてどこにあんの?」

「それを友達って言うんじゃないの?」

 朱里の声には、冷たさがにじんでいた。

「......もういい。わかった。あんたたちは、あんたたちだけで仲良くやってなよ」

「そうするつもりだけど?」

 ガタン、と机が揺れる音。空気が裂けるような沈黙。

「.....っざけんな」

 私は絵を抱えて教室を飛び出した。
 逃げるように向かったのは、美術室だった。誰もいない、その空間が、唯一の避難所だった。
 バッグから、自信作の絵を取り出そうとしてーーふと、別の絵に目が吸い寄せられた。壁に立てかけられていた、大きなキャンバス。光の差し込み方、人物の輪郭、滲むような色彩、そしてーー感情。
 それは、私が描きたくて描けなかったものだった。
 一目でわかった......朱里の絵だ。こんなの、どれだけ頑張っても私には描けない。
 悔しい。羨ましい。殺したいほどに。
 気づけば手が動いていた。爪で、絵の具を剥ぎ取る。近くにあった筆を掴んで叩きつけた。赤。青。黒。めちゃくちゃに絵の具をぶちまけて、床まで汚れていく。

「なんで......!  なんで、なんでなんで......!」

 喉が裂けるほど叫んでも何も変わらなかった。その絵の中に宿っていた“何か”は、まだそこにあった。消えてくれなかった。
 ガタッ――振り向いた瞬間、心臓が止まった。
 朱里がいた。いつからそこにいたのか、わからない。朱里はただ、壊された絵を見ていた。

「......なんで黙ってんの?怒ればいいじゃん......!  なんか、言えよ......!」

 震える声で叫んだ。なのに、朱里は瞬きひとつしない。
 まるで、何も感じていないような顔で。
 なんでそんな顔できるの。

「......謝んないから」

 自分でもよくわからないことを言った。でも、謝る気はなかった。
 朱里は最後まで何も言わなかった。だから私はそのまま、何も言わずに美術室を出た。
 そして、その日は早退した。

 外は、やけにまぶしくて、世界から完全に浮いているような気がした。
 私は今まで、いったい何がしたかったんだろう。