昼休み。
教室のすみにずらした机を囲んで、8人でお弁当を広げる。
誰かが「一緒に食べよ」って言い出したせいで、こうなってるけど――正直、多すぎる。
理想は4人、多くて5人。 3人でもいいけど偶然じゃないのと、ペア決めとかで後々めんどくさいことになる。
プリクラ撮るときも、人数多いと顔入らないし、誰かしら後ろに押しやられて地蔵になる。
でも、今はまだ我慢の時期。
始業式からまだそんなに経ってないし、誰が誰とつるむか、まだ曖味。
今、うっかり離れたら「あの子ひとりになったね」って、すぐに噂のネタにされる。
だから私は、にこにこしながら愛想よく、みんなと話す。
笑って、相槌打って、時々ちゃんとボケて。でもその裏では、冷静に見てる。誰が誰にツッコむか。話を振るのは誰か。会話の主導権と、空気感の流れ。
たぶんこの中で、最終的に残るのは半分。あとの子たちは、別の子とくっついたり、徐々に離れてく。
私はその"残る半分”に入らなきゃいけない。それも、ちゃんと "勝ちポジで。
もちろん、朱里の隣。
目立ちすぎず、でも埋もれない場所。.....難しいけど、それが今の課題。
口元ではおにぎりを頬張りながら、頭の中では、静かにゲームが始まっていた。
グループって、自然にできるように見えて、実は選ばれてる。無意識に、でも確実に。
つまり、これは選別。
これが、高校一年の春からの"恒例行事”。
誰といれば得か、誰は切っていいか、無意識に計算してる。
「ねぇ、みんなってどういう人がタイプなの?」
ひとりが口火を切ると、すぐに別の子が「それずっと聞きたかった!」って笑って、恋バナが始まった。
「優しい人! ちゃんと話聞いてくれる人!」
「面白い人~。一緒にいて楽しい人がいいなあ」
「私は顔! そこそこイケメンじゃないと無理ー」
笑い声と共感の相づちが飛び交う。みんなそれぞれに、自分の“理想の恋”を語りながら、誰かの顔を思い浮かべてるんだろうなって思う。
恋バナの定番、好きなタイプトークはいつの時代も盛り上がる。
「心春は誰かタイプの男子いないのー?」
あまり喋っていなかった心春に、春日が話を振る。
「うーん、私は......あっ、大雅くんとか」
心春は少し考えてから、思いついたように口にした。
「え〜? 大雅はさすがにナシじゃない?」
すかさず柚木が余計な一言をかます。うわぁー、こいつ空気読めよ。お前のせいで微妙な空気になってんじゃん。
柚希と私はきっと合わない。今もせっかく盛り上がっていたのに水を刺すような発言。
柚希は自己主張がはっきりしてて、意見がぶつかっても引かないタイプ。だから、私は無理。波風立てずに笑ってるこの私とは、きっと水と油。
「......あはは、そうかな?」
心春はちょっと困った顔で笑った。
心春は口数は少ないけど、笑うタイミングを必死で探してる。わかるよ。本当は、あんまりこういうノリ得意じゃないんだよね。無理してる感じが、ちょっと痛々しい。
「でも、大雅くんバスケちょー上手いよね!去年の球技大会すっごい活躍してたもん」
理子がそう言って空気を和ませた。心春が「そうそう!」と大きく頷く。
「あ〜、大雅くんって言えば、美優ね、告白されたことあるんだぁ」
次に美優。甘ったるい声で、ドヤ顔で爆弾投下。自分のこと“美優”って呼ぶのも、語尾伸ばすのも、しゃべり方遅いのも、全部ムリ。
......女子ウケ、最悪。生理的に受け付けないタイプだ。
ああいうタイプと一緒にいると、こっちまで巻き込まれる。
「朱里は? どんな人が好きなの?」
「えー、私は......一緒にいて安心できる人がいいな。無理しないでいられる感じの」
朱里の答えに、また一斉に「わかる〜!」の声。
私にも順番が回ってくる。
「んー......デートとかで引っ張ってくれる人、かな? 」
当たり障りなく、でもちょっとわかってる風に。それでいて共感も取りやすい。これが一番ちょうどいい。
百花は......感情がすぐに顔に出ちゃう。あれは致命的。居心地がよくないグループは、すぐに崩れる。
こうして、私は静かに振り分けていく。
誰となら、勝ち残れるか。
誰となら、“可愛い子たちの輪”にいられるか。
朱里は、そんな計算なんてしなくても、自然にそこにいられる。
結局、残るのは――私と朱里と、春日と理子。
朱里は当然、外せない。あの子がいるだけで、グループの格が上がる。人気もあって、女子にも嫌われない。まさに「勝ちグループ」の象徴みたいな子。
春日は、たまに気が強いのが惜しいけど、ノリは合わせられるし、なにより聞き役に徹してくれるのがありがたい。
前にちょっと話したら、すぐに「うんうん、わかる〜」って頷いてくれた。
ああいう子は、人数合わせにも最適。ちゃんと空気も読むし、自己主張しすぎないから貴重。
理子は、気配り上手で、バランサータイプ。あの自然なツッコミがあるだけで、会話がスムーズに回る。
――この4人なら、たぶん、うまくやれる。
私の“居場所”として、最適解。
別に、みんなのことが好きってわけじゃない。
でも、“勝ちグループ”には入っていたいし、そこで浮きたくない。
そのためには、今ここで、ちゃんと選ばなきゃいけない
このゲーム、負けたら終わりなんだ。
私は笑う。ごく自然に、いつもの“いい子”の顔で。
弁当を食べ終えて、トイレに行ったり、購買でデザートを買いに行ったり、ちょうど4人が教室に残った。
「ねえ、来週の放課後さ、4人でプリ撮らない?」
「いいね!行こ行こ!」
「ついでにさ、限定のいちごフラッペも飲みに行かない? 駅前のカフェのやつ」
「それ、飲みたかったやつ~!」
にこって笑った私に、朱里も春日も理子も、ためらいなく頷いた。
この“4人だけ”の誘いがどういう意味を持つか、みんな、わかってる。
誰も、「他の4人は?」なんて言わない。
聞いた時点で、自分がその“他の4人”だって名乗り出るようなものだから。
笑い声の奥に、静かに線が引かれていく音がした。
優しいフリをして、誰かを締め出す。これが、グループってやつだ。
私は笑う。上手に、可愛く、何も知らない顔をして。
「ありのままの自分でいい」
「みんな違って、みんないい」
「見た目じゃない、中身が大事」
そうやって並べられる正しさは、まるで教科書の抜き打ちテストみたい。
わかってるよ、模範解答。
でもさ、それで本当にうまくいくなら、こんなに息苦しくないでしょ?
綺麗ごとって、優しさのふりして首を絞めてくる。
言えば言うほど、本音から遠ざかる。
嫌いなのに、笑って。
苦しいのに、頑張ってるふりして。
ほんとの私は、ずっと置き去り。
それでも私たちは、
「青春って素敵だよね」って顔をして今日も、"正しさの仮面をかぶる。
でもね、私は知ってる。
この世界がそんなに綺麗じゃないことを。
誰もが誰かに、見えないナイフを向けてることを。
***
放課後。
喧騒の残る教室を抜けて、美術室の扉を開けると、絵の具と古い木材の匂いが迎えてくれる。
キャンバスが並ぶ静かなこの場所だけは、昼間の“きゃぴきゃぴ”を脱げる気がする。
私たちは、これから数ヶ月をかけて高校生活、最後の全国コンクールに挑む。
今回のテーマは自分らしさ。
大賞を取れば、美大への推薦も視野に入る。
「朱里の絵って、やっぱりすげぇな......」
そうつぶやいたのは同じクラスの春樹だった。私は視線を絵の具から奥のイーゼルにいた朱里の後ろ姿を見つめる。
白いシャツに透ける肩甲骨。髪を結んで、無言で筆を動かしている。
朱里の母親は、現代アート界の巨匠。
そして、朱里自身もおそろしいほど、才能がある。色彩の使い方も、構図の切り取り方も、世界の見え方が違う。
どのコンテストに出しても、朱里の作品は必ず“1位”に選ばれる。
私は?
優秀賞。参加賞。そんなのばかり。
自分のイーゼルに向き直るけど、描きかけの絵が目に入るだけで、胸の奥がつまる。
最近じゃ、自分が何を描きたいのかさえ、わからなくなっていた。
「朱里っぽい絵」を描こうとしてる自分に気づいて、筆が止まる。
――こんなの、私じゃないのに。
私はイーゼルの前に立ちながら、真っ白なキャンバスをじっと見つめていた。
手には筆。けれど、動かせない。どこから描けばいいのか、何を描けば“自分らしさ”になるのか、それすらもう分からなかった。
「テーマ、自分らしさって......皮肉だよね」
思わず、口に出していた。
「ん? なんか言った?」
振り向くと、春樹が後ろでパレットの準備をしていた。彼はこっちに近づきながら、優しく笑った。
「莉音の絵、俺は好きだけどな」
春樹って本当に優しいんだよなぁ。けれど、そう言った春樹の視線が、ほんの一瞬、朱里の方にも流れた。
......その瞬間を、私は見逃さなかった。
『え?……いや、ないわ。ブスはまじで無理』
一瞬、過去の言葉がフラッシュバックした。まるで勘違いするなよと忠告するように。
春樹が優しく笑ってくれるのは、今の“仮面をかぶった私”に対して。
あの頃みたいな、ダサくて、自信もなくて、全部諦めてた“本当の私”だったら、
こんなふうに褒めてなんかくれなかったでしょ?
ああ、そう思ったら、なんかちょっと、笑えてきた。
キャンバスに描きかけの空。
グラデーションだけは丁寧に塗ったけど、それ以上は手が止まっていた。これは私の絵じゃない。誰かの評価を気にして、媚びた絵。形だけ整えようとして、魂のない絵。
春樹は少しだけ覗きこんでから、静かに言った。
「もしかして......朱里のこと、意識してる?」
その名前が出た瞬間、胸がきゅっと締めつけられた。否定するのが悔しくて、黙っていた。
「朱里、すごいよな。朱里の絵って、見る人を引き込む力があるっていうか......」
「うん、わかる。でも――」
私はぐっと唇を噛んだ。
「なんか、私まで“朱里っぽい絵”を描こうとしてるの。朱里の絵なんて真似しても私の絵にはならないのに」
春樹は一瞬だけ黙って、それから私の隣に並んで座った。
「たとえ朱里を意識して描いた絵でも、それはその時の莉音の絵だよ」
「......ずるいな、春樹って」
「なんで?」
「それが私が言って欲しかった言葉だから」
私はチラリと春樹の顔を覗き込む。
「ありがとう。......ちょっとだけ、描けそうな気がしてきた」
「なら良かった。無理せず、莉音のペースでな」
春樹は少し照れた顔で私から視線を逸らした。
男子と話すのはあまり得意ではない。けど春樹は私を肯定してくれる。周りからの評判もよくてきっと私のステータスになる。
みんなのように愛だとか恋だとかそんな綺麗なものじゃないけど、付き合うのにそんなものはなくてもいい。
「春樹は? テーマ決まった?」
私は尋ねた。
「うん。『境界』ってテーマにしようかなって思って」
「へぇ......春樹っぽい」
「それ、褒めてる?」
「たぶんね」
ふたりで軽く笑い合う。
こんな会話の中で、私はようやく“ちゃんと呼吸してる”って思える。
でも――
「春樹、細い筆、貸してくれない? 今日、忘れちゃって」
朱里の声だった。
振り返ると、朱里がこっちを見ていた。表情は、別になんてことのない顔。でも、タイミングが、完璧すぎた。
「......あ、いいよ。ちょっと待って」
春樹は私の隣から立ち上がって、自分の画材ケースを取りに行った。
朱里は、少しだけ口角を上げて、それを受け取る。
全部もってるくせに。
才能も、センスも、目立つ顔立ちも、人を惹きつける“空気”も。
「莉音、どうしたの?」
春樹が戻ってきてそう聞いたけど、私はただ首をふる。
「ううん、なんでもないよ」
笑ってみせたその顔が、ちゃんと“自分”のままだったかどうか、自信はなかった。
教室のすみにずらした机を囲んで、8人でお弁当を広げる。
誰かが「一緒に食べよ」って言い出したせいで、こうなってるけど――正直、多すぎる。
理想は4人、多くて5人。 3人でもいいけど偶然じゃないのと、ペア決めとかで後々めんどくさいことになる。
プリクラ撮るときも、人数多いと顔入らないし、誰かしら後ろに押しやられて地蔵になる。
でも、今はまだ我慢の時期。
始業式からまだそんなに経ってないし、誰が誰とつるむか、まだ曖味。
今、うっかり離れたら「あの子ひとりになったね」って、すぐに噂のネタにされる。
だから私は、にこにこしながら愛想よく、みんなと話す。
笑って、相槌打って、時々ちゃんとボケて。でもその裏では、冷静に見てる。誰が誰にツッコむか。話を振るのは誰か。会話の主導権と、空気感の流れ。
たぶんこの中で、最終的に残るのは半分。あとの子たちは、別の子とくっついたり、徐々に離れてく。
私はその"残る半分”に入らなきゃいけない。それも、ちゃんと "勝ちポジで。
もちろん、朱里の隣。
目立ちすぎず、でも埋もれない場所。.....難しいけど、それが今の課題。
口元ではおにぎりを頬張りながら、頭の中では、静かにゲームが始まっていた。
グループって、自然にできるように見えて、実は選ばれてる。無意識に、でも確実に。
つまり、これは選別。
これが、高校一年の春からの"恒例行事”。
誰といれば得か、誰は切っていいか、無意識に計算してる。
「ねぇ、みんなってどういう人がタイプなの?」
ひとりが口火を切ると、すぐに別の子が「それずっと聞きたかった!」って笑って、恋バナが始まった。
「優しい人! ちゃんと話聞いてくれる人!」
「面白い人~。一緒にいて楽しい人がいいなあ」
「私は顔! そこそこイケメンじゃないと無理ー」
笑い声と共感の相づちが飛び交う。みんなそれぞれに、自分の“理想の恋”を語りながら、誰かの顔を思い浮かべてるんだろうなって思う。
恋バナの定番、好きなタイプトークはいつの時代も盛り上がる。
「心春は誰かタイプの男子いないのー?」
あまり喋っていなかった心春に、春日が話を振る。
「うーん、私は......あっ、大雅くんとか」
心春は少し考えてから、思いついたように口にした。
「え〜? 大雅はさすがにナシじゃない?」
すかさず柚木が余計な一言をかます。うわぁー、こいつ空気読めよ。お前のせいで微妙な空気になってんじゃん。
柚希と私はきっと合わない。今もせっかく盛り上がっていたのに水を刺すような発言。
柚希は自己主張がはっきりしてて、意見がぶつかっても引かないタイプ。だから、私は無理。波風立てずに笑ってるこの私とは、きっと水と油。
「......あはは、そうかな?」
心春はちょっと困った顔で笑った。
心春は口数は少ないけど、笑うタイミングを必死で探してる。わかるよ。本当は、あんまりこういうノリ得意じゃないんだよね。無理してる感じが、ちょっと痛々しい。
「でも、大雅くんバスケちょー上手いよね!去年の球技大会すっごい活躍してたもん」
理子がそう言って空気を和ませた。心春が「そうそう!」と大きく頷く。
「あ〜、大雅くんって言えば、美優ね、告白されたことあるんだぁ」
次に美優。甘ったるい声で、ドヤ顔で爆弾投下。自分のこと“美優”って呼ぶのも、語尾伸ばすのも、しゃべり方遅いのも、全部ムリ。
......女子ウケ、最悪。生理的に受け付けないタイプだ。
ああいうタイプと一緒にいると、こっちまで巻き込まれる。
「朱里は? どんな人が好きなの?」
「えー、私は......一緒にいて安心できる人がいいな。無理しないでいられる感じの」
朱里の答えに、また一斉に「わかる〜!」の声。
私にも順番が回ってくる。
「んー......デートとかで引っ張ってくれる人、かな? 」
当たり障りなく、でもちょっとわかってる風に。それでいて共感も取りやすい。これが一番ちょうどいい。
百花は......感情がすぐに顔に出ちゃう。あれは致命的。居心地がよくないグループは、すぐに崩れる。
こうして、私は静かに振り分けていく。
誰となら、勝ち残れるか。
誰となら、“可愛い子たちの輪”にいられるか。
朱里は、そんな計算なんてしなくても、自然にそこにいられる。
結局、残るのは――私と朱里と、春日と理子。
朱里は当然、外せない。あの子がいるだけで、グループの格が上がる。人気もあって、女子にも嫌われない。まさに「勝ちグループ」の象徴みたいな子。
春日は、たまに気が強いのが惜しいけど、ノリは合わせられるし、なにより聞き役に徹してくれるのがありがたい。
前にちょっと話したら、すぐに「うんうん、わかる〜」って頷いてくれた。
ああいう子は、人数合わせにも最適。ちゃんと空気も読むし、自己主張しすぎないから貴重。
理子は、気配り上手で、バランサータイプ。あの自然なツッコミがあるだけで、会話がスムーズに回る。
――この4人なら、たぶん、うまくやれる。
私の“居場所”として、最適解。
別に、みんなのことが好きってわけじゃない。
でも、“勝ちグループ”には入っていたいし、そこで浮きたくない。
そのためには、今ここで、ちゃんと選ばなきゃいけない
このゲーム、負けたら終わりなんだ。
私は笑う。ごく自然に、いつもの“いい子”の顔で。
弁当を食べ終えて、トイレに行ったり、購買でデザートを買いに行ったり、ちょうど4人が教室に残った。
「ねえ、来週の放課後さ、4人でプリ撮らない?」
「いいね!行こ行こ!」
「ついでにさ、限定のいちごフラッペも飲みに行かない? 駅前のカフェのやつ」
「それ、飲みたかったやつ~!」
にこって笑った私に、朱里も春日も理子も、ためらいなく頷いた。
この“4人だけ”の誘いがどういう意味を持つか、みんな、わかってる。
誰も、「他の4人は?」なんて言わない。
聞いた時点で、自分がその“他の4人”だって名乗り出るようなものだから。
笑い声の奥に、静かに線が引かれていく音がした。
優しいフリをして、誰かを締め出す。これが、グループってやつだ。
私は笑う。上手に、可愛く、何も知らない顔をして。
「ありのままの自分でいい」
「みんな違って、みんないい」
「見た目じゃない、中身が大事」
そうやって並べられる正しさは、まるで教科書の抜き打ちテストみたい。
わかってるよ、模範解答。
でもさ、それで本当にうまくいくなら、こんなに息苦しくないでしょ?
綺麗ごとって、優しさのふりして首を絞めてくる。
言えば言うほど、本音から遠ざかる。
嫌いなのに、笑って。
苦しいのに、頑張ってるふりして。
ほんとの私は、ずっと置き去り。
それでも私たちは、
「青春って素敵だよね」って顔をして今日も、"正しさの仮面をかぶる。
でもね、私は知ってる。
この世界がそんなに綺麗じゃないことを。
誰もが誰かに、見えないナイフを向けてることを。
***
放課後。
喧騒の残る教室を抜けて、美術室の扉を開けると、絵の具と古い木材の匂いが迎えてくれる。
キャンバスが並ぶ静かなこの場所だけは、昼間の“きゃぴきゃぴ”を脱げる気がする。
私たちは、これから数ヶ月をかけて高校生活、最後の全国コンクールに挑む。
今回のテーマは自分らしさ。
大賞を取れば、美大への推薦も視野に入る。
「朱里の絵って、やっぱりすげぇな......」
そうつぶやいたのは同じクラスの春樹だった。私は視線を絵の具から奥のイーゼルにいた朱里の後ろ姿を見つめる。
白いシャツに透ける肩甲骨。髪を結んで、無言で筆を動かしている。
朱里の母親は、現代アート界の巨匠。
そして、朱里自身もおそろしいほど、才能がある。色彩の使い方も、構図の切り取り方も、世界の見え方が違う。
どのコンテストに出しても、朱里の作品は必ず“1位”に選ばれる。
私は?
優秀賞。参加賞。そんなのばかり。
自分のイーゼルに向き直るけど、描きかけの絵が目に入るだけで、胸の奥がつまる。
最近じゃ、自分が何を描きたいのかさえ、わからなくなっていた。
「朱里っぽい絵」を描こうとしてる自分に気づいて、筆が止まる。
――こんなの、私じゃないのに。
私はイーゼルの前に立ちながら、真っ白なキャンバスをじっと見つめていた。
手には筆。けれど、動かせない。どこから描けばいいのか、何を描けば“自分らしさ”になるのか、それすらもう分からなかった。
「テーマ、自分らしさって......皮肉だよね」
思わず、口に出していた。
「ん? なんか言った?」
振り向くと、春樹が後ろでパレットの準備をしていた。彼はこっちに近づきながら、優しく笑った。
「莉音の絵、俺は好きだけどな」
春樹って本当に優しいんだよなぁ。けれど、そう言った春樹の視線が、ほんの一瞬、朱里の方にも流れた。
......その瞬間を、私は見逃さなかった。
『え?……いや、ないわ。ブスはまじで無理』
一瞬、過去の言葉がフラッシュバックした。まるで勘違いするなよと忠告するように。
春樹が優しく笑ってくれるのは、今の“仮面をかぶった私”に対して。
あの頃みたいな、ダサくて、自信もなくて、全部諦めてた“本当の私”だったら、
こんなふうに褒めてなんかくれなかったでしょ?
ああ、そう思ったら、なんかちょっと、笑えてきた。
キャンバスに描きかけの空。
グラデーションだけは丁寧に塗ったけど、それ以上は手が止まっていた。これは私の絵じゃない。誰かの評価を気にして、媚びた絵。形だけ整えようとして、魂のない絵。
春樹は少しだけ覗きこんでから、静かに言った。
「もしかして......朱里のこと、意識してる?」
その名前が出た瞬間、胸がきゅっと締めつけられた。否定するのが悔しくて、黙っていた。
「朱里、すごいよな。朱里の絵って、見る人を引き込む力があるっていうか......」
「うん、わかる。でも――」
私はぐっと唇を噛んだ。
「なんか、私まで“朱里っぽい絵”を描こうとしてるの。朱里の絵なんて真似しても私の絵にはならないのに」
春樹は一瞬だけ黙って、それから私の隣に並んで座った。
「たとえ朱里を意識して描いた絵でも、それはその時の莉音の絵だよ」
「......ずるいな、春樹って」
「なんで?」
「それが私が言って欲しかった言葉だから」
私はチラリと春樹の顔を覗き込む。
「ありがとう。......ちょっとだけ、描けそうな気がしてきた」
「なら良かった。無理せず、莉音のペースでな」
春樹は少し照れた顔で私から視線を逸らした。
男子と話すのはあまり得意ではない。けど春樹は私を肯定してくれる。周りからの評判もよくてきっと私のステータスになる。
みんなのように愛だとか恋だとかそんな綺麗なものじゃないけど、付き合うのにそんなものはなくてもいい。
「春樹は? テーマ決まった?」
私は尋ねた。
「うん。『境界』ってテーマにしようかなって思って」
「へぇ......春樹っぽい」
「それ、褒めてる?」
「たぶんね」
ふたりで軽く笑い合う。
こんな会話の中で、私はようやく“ちゃんと呼吸してる”って思える。
でも――
「春樹、細い筆、貸してくれない? 今日、忘れちゃって」
朱里の声だった。
振り返ると、朱里がこっちを見ていた。表情は、別になんてことのない顔。でも、タイミングが、完璧すぎた。
「......あ、いいよ。ちょっと待って」
春樹は私の隣から立ち上がって、自分の画材ケースを取りに行った。
朱里は、少しだけ口角を上げて、それを受け取る。
全部もってるくせに。
才能も、センスも、目立つ顔立ちも、人を惹きつける“空気”も。
「莉音、どうしたの?」
春樹が戻ってきてそう聞いたけど、私はただ首をふる。
「ううん、なんでもないよ」
笑ってみせたその顔が、ちゃんと“自分”のままだったかどうか、自信はなかった。



