L.U.K.A.〜遠い星からやってきた少女〜

4-3 ◇ 不測の事態

「父さんが倒れた⁉︎」

唯一の家族である俺は病状も訊かず急いで空港近くにある病院に向かう。
時間が時間だったので遅い時間になってしまった。
パイロットである父さんはあまり実家に帰れない。
奥湊からだと勤務に支障が出るので空港近くで一人暮らしをしている。

「父さん、大丈夫?」

病室で横になっている父さんは心配していたよりも元気だった。
話によると、突如高熱が出たと思ったら立てないほどの頭痛があったという。
病院での診断結果は副鼻腔炎(ふくびくうえん)
顔がパンパンに腫れ上がってしまい急遽入院となった。
幸いその日は予備勤務中だったため飛行機の操縦はしていない。
簡単な手術で治るようなので二〜三日もすれば仕事復帰できる状態だという。

「連絡するほどのことでもないってお医者さんには言ったんだけど」

そういうわけにはいかない。
明仁家はもう父さんと俺しかいないんだから。
母さんは俺が幼いころに亡くなった。
心筋梗塞(しんきんこうそく)だった。
母さんが亡くなったとき、奥湊を出て父さんと住むことも考えたが止めた。
母さんを忘れることは決してないけれど、家族全員の地元だし、この島を出ていったら想い出が薄まってしまう気がしたから。
俺は母さんが大好きだった。
歌手を目指していた母さんは高校卒業と同時に街に出て一人暮らしをしていて、父さんは航空系の高校に行くため中学卒業後すぐ街に出た。
二人はもともと同じ小・中学校で面識はあったが、母さんはアイドル的存在で、父さんはあまり目立たないタイプだったらしく交流はほとんどない。
航空学校の授業の一環として父さんが空港内を見学していたとき、そこでバイトをしていた母さんと偶然再会し、二人の中に互いの存在が浮かび上がる。
父さんは当時自分のことを覚えていないと思っていたようで、少しよそよそしく接してしまっていたことを冗談混じりで母さんにツッコまれていたらしい。
そもそも人口の少ない島なんだから九年間も一緒にいたクラスメイトを覚えていない方が不思議だと思うが。
そこから二人は一気に距離を縮めて付き合うことになり、数年後に俺が産まれた。
歌が上手かった母さんは昭和の曲から流行りの曲まで幅広く歌えるし、何より声が綺麗だった。
子守唄は優しく柔らかな声でその細く小さな手でポンポンとゆっくり叩かれると泣くことを忘れてしまうほどにぐっすり眠れた。
俺が産まれたとき、父さんはしばらく育休を取り奥湊に戻って一緒に育ててくれていたというが、頭も座っていないときだったからあまり記憶にない。
連休のときには母さんと街に出て観光したりテーマパークに連れていってもらえてすごく楽しかった。
幼いころからパイロットになることを夢見ていた父さんの部屋には、小さいころに描いた飛行機の絵やおもちゃがたくさん飾ってある。
いつか父さんのようにやりたいことを仕事にして、大切だと思える人に自慢される大人になりたい。