この世界からきみが消えても


 そう切り出すと、西垣くんが前傾姿勢になる。

「なに?」

「莉久が目覚めたとき、わたしを忘れてたら……そのまま何も言わないで欲しい。わたしのことは何も」

 無用な混乱を煽るような真似をして、莉久に負担をかけたくない。
 事件が解決して、彼が目を覚まして、同じ世界で息をする、それだけでいい。
 それだけで十分、幸せだと気がついた。

「…………分かった」

 葛藤するような沈黙を経てから頷いてくれる。
 いまにも暴れ出しそうな感情に蓋をして目を背けていた。彼もわたしも。

 小さく息をつくと、背もたれにもたれかかる。
 ひとりでに疑問が口をついた。

「何で……わたし、最初に“恋人”だって言えなかったんだろう」

 ────おふたりは高原さんとどういったご関係で?

 正木さんにそう問われたとき、とっさに同級生だと答えていた。
 訂正する機会は何度もあったのに、タイミングを(いっ)したふりをして結局いままで言い直さなかった。

「……俺と同じじゃない? 疑われるかも、って無意識のうちに考えて誤魔化したみたいな」

「そう、なのかな」

 きっと、そうじゃなくて単に自信がなかったんだと思う。
 胸を張って堂々と恋人だと名乗れるほど、莉久のことをちゃんと理解できているのかどうか。

『えー、じゃあ莉久はその能力欲しくない?』

『うーん、欲しいとは思わないかな。悪いことばっかでもないんだろうけどさ』

 何度も目にしてきたあの曖昧な笑顔を見るたび、距離を感じて不安を覚えた。
 見ないふりをしてきたけれど、心のどこかでわたしは気づいていたんだ。

 莉久はきっと、わたしに何か隠しごとをしている。

 そんな直感はあの表情を目の当たりにするほど強まっていって、けれど、踏み込む勇気はなくて。
 鈍感なふりをし続けることでどうにか不安を打ち消してきた。

「いま同じこと聞かれたら、何て答える?」

 西垣くんの言葉に顔を上げた。
 いまなら、考えるまでもない。

「わたしは────」



     ◇



 静かに扉を閉め、茜さす病室で莉久とふたりきりになる。
 西垣くんはひと目会って安堵したのか、わたしに気を遣ってかすぐに帰っていった。

 莉久のトートバッグから小さな紙袋を取り出す。
 箱を開けると、薬指にそっと指輪をはめてみた。

 カーテンの隙間から射し込む斜陽(しゃよう)を弾き、きらりと光る。
 その眩しさが目に染みた。

「どう? 似合って、る?」

 右手を掲げて首を傾げるけれど、莉久の瞳に映ることも褒めてくれることもなかった。
 固く目を閉じたまま深い眠りについている。

 分かっていても、どうしたって胸が詰まる。
 こんな悲しい現実にもいつか慣れたりするのだろうか。

 力なく腕を下ろすと、指輪をはめたまま椅子に座った。
 目を落とし、ぎゅう、と右手を握り締める。