そのとき、ふいに左腕を掴まれた。
 もの言いたげな様子の西垣くんと目が合うと、咎めるような眼差しを寄越される。

「……何で言うんだよ」

「だって────」

「なぜ」

 抗議の小声とわたしの反駁(はんばく)は、正木さんの声に遮られた。
 ふたりして顔を上げる。

「いままで、そのことを黙っていたんですか?」

「あ……その、大した情報じゃないかなって。ね?」

「あ、ああ。うん……」

 警察に告げるのを西垣くんに反対されていたこともあって、何となく彼を窺ってしまった。
 先ほど非難した通り、なぜかやっぱり納得いかないみたいで眉根を寄せている。

 だけど、正木さんの反応からして、きっとわたしたちは間違っていた。
 例の免許証のことを、警察はまだ掴んでいなかったのだろう。
 黙っていたことで、結果として捜査を遅らせてしまっていたかもしれない。

「それだけですか?」

 正木さんの声がいっそう鋭くなり、つい怯んだように戸惑ってしまう。
 何も悪いことなんてしていないのに、どうしてこういうときって後ろめたさを感じるんだろう。

 けれど、その目が捉えていたのは、わたしではなく西垣くんだった。

「……何で、俺に聞くんですか」

 彼は目だけを動かして、一見毅然(きぜん)と聞き返す。
 膝の上できつく握り締めた両手に内心の動揺が現れていたものの、正木さんの位置からは見えないだろう。
 それでも見抜いているかもしれないけれど。

「いえ、別に」

 正木さんは事件当初のような、うわべだけの笑みを微かにたたえる。
 真意をすべて覆い隠しながら、手帳を閉じて立ち上がった。

「ともかく、藤井の身柄を押さえたことで解決に一歩近づいたと言えるでしょう。免許証の件も詳しく詰めてみます」

「お願いします」

 思わず腰を浮かせかけると、正木さんはしっかりと頷いてくれる。

「ええ、お任せください」



     ◇



 今日は朝から、西垣くんの姿が見えなかった。

 ここのところ遅刻することなく授業に出ていたのに、時間になっても講義室に現れなかったのだ。
 結局そのまま昼休みを迎えたものの、やはり彼が来ている気配はなかった。

(どうしたんだろう)

 病院で様子がおかしかったのと関係しているんだろうか。

 あのとき、あからさまに不自然な態度に様変わりした彼は何かに焦っているようだった。
 そんなに免許証のことを証言して欲しくなかったのだろうか。

 学食で昼食をとりながら、西垣くんに思いを()せる。
 思考がぐるぐる巡って、だんだん淘汰(とうた)されるみたいに澄んでいく。

 ────思えば、おかしなところが少なくなかったかもしれない。