ふいに背後から慌てたような声がして、ふたりして振り返る。
 若い男の人の姿を認めると、みおちゃんが「パパ」と呼んだ。
 するりと手をほどいて駆け寄っていく。

 みおちゃんを抱きとめた彼の目がこちらに向いて、わたしはとっさに会釈を返した。

「すみません。みおちゃん、迷っちゃったみたいで」

「あ、とんでもない。こちらこそすみません、迷惑おかけして……。ありがとうございました」

 父親と思しき彼は、頭を下げると「ほら、みおも」と促す。
 みおちゃんは彼の手を握ったまま、明朗(めいろう)な笑顔を咲かせた。

「ありがとう、おねえちゃん。またね!」

 ほっとしたのかすっかり元気を取り戻し、小さな手を一生懸命振ってくれる。

「うん、またね」

 わたしも笑顔と一緒に手を振り返すと、彼にもう一度会釈をしてきびすを返した。

 みおちゃんの無邪気な言動に浄化されたような、期せずして救われたような、どことなく清々しい心持ちで莉久の病室へ戻る。

 ────日暮れ前まで彼に付き添って、病院を出た。

 眩しいほどの夕日が景色をオレンジ色に染める中、帰りのバスに揺られる。
 もう少しすると夜の藍色に押されて、跡形もなく飲み込まれていくんだろう。

 ふと、みおちゃんに思いを()せると、莉久と過ごしたいつかのことが蘇ってきた。

 あたたかい春の日だった。
 咲き誇る桜が見頃だからと彼に誘われて、ふたりで近場の公園に出かけたことがある。

 花逍遥(はなしょうよう)にそぞろ歩いていると、目の前を駆けていった子どもがふいに転んだ。
 あ、と思って半歩踏み出した頃には、莉久がその男の子の傍らに屈み込んでいた。

『大丈夫?』

 声を上げて泣き喚く男の子の背をさすりながら、お父さんとお母さんは? とか、立てる? とか、穏やかに声をかける莉久。
 彼がすべてに首を横に振ったのを確かめると、その正面に屈み直した。

『よし、じゃあ乗って。そこの水道で傷洗いにいこう』

『痛いからやだ!』

『洗わないとばい菌が入ってもっと痛くなるぞ』

 男の子は観念したのか、顔を歪めながらも莉久の背中にもたれかかるようにして乗った。
 背負って立ち上がったのを見ると、わたしは足元に残された荷物を拾ってついていく。

 明るく励ます言葉と笑顔を目の当たりに、思わず頬を綻ばせていた。
 好きだなぁ、なんて改めて実感して嬉しくなる。
 莉久と出会えたこと、心を通わせたこと、この気持ちに気づけたこと────。

 きっとみおちゃんに対しては、そんな莉久を想像して接していた部分があったと思う。
 彼だったら、あんなふうに話すだろうから。

 莉久は優しい。
 そんな彼が刺されるなんて、誰かに恨まれていたなんてやっぱり信じられない。

(西垣くんは藤井さんが怪しいって言ってたけど……)