莉久の病室に面した廊下へ出ても、そこに警察官の姿はなかった。
 正木さんをはじめ刑事たちもいない。

 無意識のうちに構えていた身体から少し力が抜ける。
 取っ手を掴むと、そっとスライドさせて扉を開けた。

 カーテンの引かれた室内は薄暗く、時間も判然(はんぜん)としないような空間になっていた。
 扉を開けたことで、ものの輪郭をふちどっていた影が隙間へと逃げていく。
 けれど、閉めるとまたあらゆるものを暗く覆った。

「……莉久」

 近づいて呼びかけてみるものの、返事も反応もない。
 分かっていても悲しくなるほど冷たい沈黙だった。

 (かげ)るその顔には色がないように見えて、言い知れない不安が込み上げてくる。
 たまらずカーテンを少し開けると、()せた空間に射した光で彩りが戻った。

 彼は相変わらず蒼白に近かったものの、ちゃんと生身(なまみ)の顔色をしている。
 そのことにほっとして、だけど、少なからず落ち込んだ。
 生きているということが、当たり前の前提ではなくなってしまったから。

「着替え、持ってきたの。適当にしまっとくね」

 紙袋を掲げつつ言うと、ベッドの横にある備えつけの棚を開けた。
 病院側で用意してくれているものと混ざらないよう、袋のままそこに入れておく。

 それから傍らの椅子を引き寄せると、そっと腰を下ろした。

 扉の向こう側にしか音のない、静かな病室。
 じっと見つめていると我を見失いそうになるほど、深く眠る彼の姿がじりじりと心を焼いていく。

「ねぇ、莉久。誕生日……終わっちゃったよ」

 目を閉じたままの表情は寝顔ともちがって見えて、何だか知らない人みたい。

「本当ならふたりで過ごすはずだったのに、何でこんなところにいるんだろう」

 彼は答えてくれない。教えてくれない。
 特別な一日の思い出になるはずだった昨日をぶち壊した、その出来事の一切を。

「……わたしね、何もいらなかった。ケーキもプレゼントも花束も。莉久がいてくれるだけでよかったのに」

 思わずそうこぼすと熱と力が込もり、真っ白な布団にしわが寄った。
 ぎゅう、と握り締めるほど線が濃くなるけれど、滲んだ涙でぼやけて薄まる。

 もう泣きたくなんてなかった。
 何もかもを受け入れて、悲観することになりそうで。

 唇を噛み締めたそのとき、ガラ、という音とともにささやかな光が射し込んでくる。

 反射的に顔を上げると、戸枠のところに女の子が立っていた。
 まだ小学校にも上がっていないくらいと見受けられる小さな子だ。