「わぁ、すごい、なんでわかるの?」
 休み時間、教室の窓側の席で、女子たちがきゃあきゃあと歓声を上げていた。夏の風を受けたカーテンが彼女らの声に合わせて揺れている。
 俺と御子柴の席に来て話をしていた高牧が目を輝かせて駆けていく。
「え? なになに? なんかおもろいことでもあったん?」
芝家(しばいえ)ちゃんに占いしてもらってんのよ。あんたこういうの興味あんの?」
「ありありですとも! なー、みーちゃんコンビ?」
 俺たちを振り返ってそう呼ぶので、御子柴と顔を見合わせる。みーちゃんコンビ? 水無瀬と御子柴だから? いやいや聞いたことない。
「聞こえたかったふりしようぜ」
 御子柴が小声で言ってくる。が、それは無理ってものだろう。高牧が両手をぶんぶん振って手招きしている。
「ほら、早くこいよ! 俺たちも占ってもらえるって!」
「ったく、巻き込むなよな……」
 仕方なく俺と御子柴は席を立った。
 輪の中心にいたのは、芝家――という女子だった。黒髪ぱっつんでちょっと浮世離れしている印象がある。芝家はその平坦な眼差しで俺と御子柴を見やった。
「……御子柴くんを見てみたい」
「え、俺?」
「そんなー、芝家ちゃん、俺は?」
「なんか悩みがなさそうで占い甲斐がない……」
「偏見だろ!」
 喚く高牧をよそに、御子柴は芝家に促され、向かいの席に座った。机の上にはカードがあり、芝村は慣れた手つきでシャッフルしている。トランプ……よりも数が多そうでなんだか本格的だ。
「へぇ、それで占うの?」
 気が進まなさそうだった御子柴も、興味津々と眺めている。芝家はこくりと頷いたあと、数枚のカードを机の上に並べていった。いろんな絵柄があって、何がどれなのかはわからないが、芝村にはわかるのだろうか。
「……んん」
 芝家はカードをしばらく眺めたのち、腕を組んだ。
「御子柴くん、悩みがあるね」
「まぁ、人類の共通問題だよな」
 適当なことを言っている……どっちも。
「何かを叶えたいけど、諦めたいとも思ってる」
 ぴくっと御子柴の右肩が小さく跳ねた。みんなカードに注目していたので気づかなかったが――俺はたまたまそちら側にいたので、そのわずかな反応に気がついた。
 高牧が首を傾げる。
「それってピアノの大会がどうとかってことなん?」
「ううん、自分の努力じゃどうにもならないこと。御子柴くんは大体のことを努力や才能でどうにかしてきた人。でも今回の悩みばかりはどうにもならなくて諦めたい。けど諦めきれない……ううん、自分でも諦められないんだ」
 御子柴が段々難しい顔になっていく。え……もしかして当たってるのか?
「……多分、欲しいものだ」
「今、欲しいものなんてないけどなぁ」
「ものとは限らないよ。ちょっと補足」
 芝家はさらにカードを引いた。
「あー……」
 そうして何かを察したように声を出す。御子柴の顔がどんどん険しくなってくる。芝家はカードをもう一枚引いて、また「あー……」と言った。
 高牧が堪えきれないとばかりに言う。
「な、なに? 気になるんだけど……」
「これはちょっと言わないでおく」
「えー!?」
「アドバイス出すね」
 芝家はさらに三枚引いた。ふむふむ、と頷いている。
「可能性はゼロじゃない、と思う」
「うーん……。と言われましても」
「当たって砕けてみてもいい」
「砕けるの、やだなぁ……」
「だって御子柴くん、それが手に入ったら人生で一番幸せでしょ?」
 俺も周囲も目を丸くした。このハイスペック完璧男にそんなものがあるのか……?
 そこでチャイムが鳴った。芝家が「おしまい」というので、ギャラリーは後ろ髪を引かれる思いで三々五々散っていく。
 席に戻った御子柴に、俺は気になって尋ねた。
「さっきの当たってるのか?」
「どーだろ。コンクールとかのことかなぁ」
 心ここに在らずといった様子で御子柴は答える。……芝村があえて言わなかったことが気になったが、多分御子柴も芝家も教えてくれないだろう。
「でも可能性はゼロじゃないって。良かったな」
 後ろからぽん、と背中を叩く。御子柴は深い深いため息をついた。
「お前に言われてもなぁ……」
「なんだよ、人がせっかく励ましてんのに」
 唇を尖らせると、御子柴はふいっと前を向いてしまった。ちょうど教師がやってきた。
「幸せ、か」
 小さな声で御子柴が呟く。前を向く御子柴の背中は、途方もなく寂しそうだ。
 それが手に入ったら人生で一番幸せ。芝家の言っていたことが本当なら――叶って欲しいと思う。それぐらいには……御子柴を大事な友達だと思っていたから。



「……あんときさー」
 御子柴と二人、屋上にいた。まだ十一月だから、寒さはそうでもないけど、少しずつ冬の足音が近づいてくるのを感じる。
「あんとき?」
 俺はたまごサンドをかじりながら、首を傾げる。あんときだけじゃ何もわからない。
「占ってもらったじゃん、芝家に」
 占い……芝家……。
 数秒ほど考え込んでようやく思い出す。
「あぁ、あのカード占い」
「あれ、多分、水無瀬のことだったんだよなー」
 御子柴はぽいっとドーナツを口に放り込んだ。中にクリームが入ってるやつだ。
「俺……?」
 俺は占ってもらってないし、御子柴の占いに俺のことなんか出てきてたっけ……? そもそもあの時、芝家はなんと言っていただろうか。確か――

『だって御子柴くん、それが手に入ったら人生で一番幸せでしょ?』

 ん、げほ、と喉が詰まりかけた。確かに……御子柴は俺に、その、思いを寄せていて、諦めようと必死になっていた。でもできなくて、と打ち明けられて、なんだかんだあった挙句――俺と御子柴は、なんというか、付き合って……いる。
「当たって砕けてみるもんだなぁ……」
「お、お前の場合、事故みたいもんだったろ」
 御子柴は墓まで想いを持ってくつもりだったらしいが、寝ぼけてこの屋上で俺に「すきだ」と寝言のように言って、それからキスしてきた。それで――まぁ、発覚したわけだ。
「巻き込んで悪かったよ」
 御子柴はごくごくとミネラルウォーターを飲んでいる。俺は食いかけのたまごサンドに目を落とした。
「巻き込まれたとは思ってないけど」
「そうかな」
「手に入れたら……その、幸せなんだろ。素直に喜べよ」
「うわ……。変なとこ覚えてんな、お前。さっきまで忘れてたくせに」
「うるさい、ばか」
 御子柴はドーナツを食べ終わると、空を仰ぎみた。
「水無瀬は、手に入ってくれてんの?」
「どんな日本語だよ。……まぁ、そうじゃねぇの」
 ……付き合ってんだし、とまでは言えなかった。
「そっかぁ」
 御子柴が少し肩を揺らして笑う。俺は沈黙の言い訳に、たまごサンドをもぐもぐとたべた。