うららかな春の日差しが、俺たちを含む行列に降り注いでいる。
土曜日ということもあって、桜木町のロープウェイ乗り場は大盛況だった。
「まだこんな混んでんだなぁ」
俺の隣にいる御子柴はしきりに前方を覗いている。
このロープウェイが開業したのは、数年前だ。当初は世界初の都市型ロープウェイということで話題になっていた。
桜木町の海と空を隔てるようなケーブルにも見慣れた頃、一度乗ってみないかと御子柴に誘われたのだ。もちろん、その、デート……ということになる。高校三年生になって初めての。
「まぁ、観光客も多そうだしな……」
もちろん日本人もいるが、外国人観光客と思しき人たちが目立つ。俺たちのすぐ前にいるのも欧米系外国人の母親とその娘さんだった。周囲は聞き慣れない外国語が飛び交い、実に異国情緒溢れる空間になっている。
……最初は男二人でロープウェイなんて目立たないかと、少し不安だった。けど、国内外から来た客の中には男性のみのグループもたくさんいる。いらぬ心配だったようだ。
階段を上がり、ようやく乗り場のある建物内に入る。近代的なデザインの乗り物――『キャビン』が唸りを上げながら、人々を運んでいた。
「おお、かっけえ」
御子柴がちらっと動くキャビンを見やった、その時だった。
「──、……! ……」
行列のすぐそばにあるチケット売り場の窓口から、焦ったような早口が聞こえてきた。
衆目が集まる。俺たちもご多分に漏れず、そちらを注目する。
欧米系の中年男性が、窓口の人に向かって何かをまくしたてている。身振り手振りが大きい。なんとか伝えようとしているのが分かるが、窓口の人は困惑しきりだ。
当然だが、俺には何語だか分からない。英語や中国語、韓国語なら意味は分からなくとも、判断はできそうだが、どうやらそのどれでもないように聞こえる。アジア圏ではなくて、ヨーロッパ圏っぽいけど……全然聞き慣れない言葉だった。だからこそ窓口で対応できないのだろう。主要な外国語であれば、今のインバウンド全盛期だ、きっと話せる人がいるだろうから。
事の行く末を見守ることしかできない俺の隣で、御子柴がさっと動いた。
「ちょっと行ってくるわ。ここで待ってて」
「え……え?」
戸惑う俺を置いて、御子柴は淀みない足取りで窓口に向かうと、男性に外国語で声をかけた。
御子柴と二言三言交わすと、男性はさっきまでの焦りっぷりが嘘のように落ち着いた。それから改めて男性から御子柴が話を聞き、窓口の人に繋ぐ。
「オンラインチケットを取ったはずなのに表示できないから困ってるみたいです」
行列にいる日本人たちがざわっとなった。もちろん俺も。窓口でさえ通じなかった外国語に、御子柴がさらっと対処したからだ。
窓口の人が事態を理解して対応すると、問題はすぐ解決したみたいだった。男性は御子柴と受付の人ににこやかにお礼(だと思う)をした。
御子柴は男性と連れ立って行列に戻ってきた。男性はすぐ前の母娘と合流する。どうやら家族連れだったようだ。
男性は御子柴にしきりに話しかけていた。もう焦っていないようだが相当早口だ。多分、元々そういう性分なのだろう。
御子柴は気さくに対応している。……訳の分からない言語で。不安そうにしていた母親や娘も、言葉が通じる人間がいたからか、穏やかな表情になった。
そんなこんなで列が乗り場に近づいてきた。男性は御子柴を手招きしている。確かキャビンは八人乗りだ。もしかして一緒に乗ろうとかそういうことを言っているのか?
すると御子柴は返事をし、笑顔で俺を指差した。「まいん、しゃつ」とかなんとか聞こえた気がした。すると家族は顔を見合わせた後、軽く手を振って、キャビンに乗り込んでいった。
俺たちも続いてすぐ後ろのキャビンに乗り込む。お互い、向かい合わせになって、窓側に座る。ヨットの帆のような形のホテルや、観覧車、それと海。よく晴れた桜木町の景色が実に気持ちいい。
「うおー、いいねえ」
御子柴がパシパシと写真を撮っている。そしてスマホをこちらに向けて、
「水無瀬くん、はいチーズ」
「やだ」
「んだよ、ケチ」
唇を尖らせる御子柴に、俺は燻っていた疑問をぶつけた。
「なぁ、さっきの人たち、どっから来てたんだ?」
「ウィーンだって。今日で帰るらしいぜ」
「ウィーン……。ってええと」
「オーストリアの首都な。基本ドイツ語なんだけど、ちょっとウィーン方言が入ってたんだよ。お父さん、大分早口だったし、さすがに窓口の人も分からなかったんだろうなー」
なんてことのないように言う御子柴に、俺は目を丸くした。
「わ、分かるのか、ドイツ語……てか、ウィーン方言?」
「うん、昔からピアノ関係でちょくちょく行ってるから。そっちでよくお世話になる人がいて、日常会話ならいけるって程度だけど」
……この男、どこまでハイスペックになれば気が済むのだろうか。尊敬とか呆れとかを通り越して、ちょっと怖い。
「そういえば最後、俺のこと指さしてたろ。なんて言ったんだよ」
「え? ああ、なんかクラシックファンらしくって、俺の事見たことあるんだって。ピアニストですって言ったら、話聞きたいから、一緒に乗らないかって誘われたんだけど──」
ここで御子柴が俺を見て、にっこりと笑った。
「恋人とデート中だからごめん、って断った」
「げほッ……!」
盛大に咽せる。俺は思わず腰を浮かした。
「お、おま、お前、周りに分からないからって!」
「あ、お客様。キャビンの中では決して立ち上がらず、ご着席のまま景色をお楽しみくださーい」
「うるさいばかっ」
「あはは、イッヒ・リーベ・ディッヒ~」
「いやだから、なんつー意味なんだよ!」
俺の気も知らないで、キャビンは順調に空中を渡っていく。桜木町の景色はやはり、憎いほど綺麗だった。
土曜日ということもあって、桜木町のロープウェイ乗り場は大盛況だった。
「まだこんな混んでんだなぁ」
俺の隣にいる御子柴はしきりに前方を覗いている。
このロープウェイが開業したのは、数年前だ。当初は世界初の都市型ロープウェイということで話題になっていた。
桜木町の海と空を隔てるようなケーブルにも見慣れた頃、一度乗ってみないかと御子柴に誘われたのだ。もちろん、その、デート……ということになる。高校三年生になって初めての。
「まぁ、観光客も多そうだしな……」
もちろん日本人もいるが、外国人観光客と思しき人たちが目立つ。俺たちのすぐ前にいるのも欧米系外国人の母親とその娘さんだった。周囲は聞き慣れない外国語が飛び交い、実に異国情緒溢れる空間になっている。
……最初は男二人でロープウェイなんて目立たないかと、少し不安だった。けど、国内外から来た客の中には男性のみのグループもたくさんいる。いらぬ心配だったようだ。
階段を上がり、ようやく乗り場のある建物内に入る。近代的なデザインの乗り物――『キャビン』が唸りを上げながら、人々を運んでいた。
「おお、かっけえ」
御子柴がちらっと動くキャビンを見やった、その時だった。
「──、……! ……」
行列のすぐそばにあるチケット売り場の窓口から、焦ったような早口が聞こえてきた。
衆目が集まる。俺たちもご多分に漏れず、そちらを注目する。
欧米系の中年男性が、窓口の人に向かって何かをまくしたてている。身振り手振りが大きい。なんとか伝えようとしているのが分かるが、窓口の人は困惑しきりだ。
当然だが、俺には何語だか分からない。英語や中国語、韓国語なら意味は分からなくとも、判断はできそうだが、どうやらそのどれでもないように聞こえる。アジア圏ではなくて、ヨーロッパ圏っぽいけど……全然聞き慣れない言葉だった。だからこそ窓口で対応できないのだろう。主要な外国語であれば、今のインバウンド全盛期だ、きっと話せる人がいるだろうから。
事の行く末を見守ることしかできない俺の隣で、御子柴がさっと動いた。
「ちょっと行ってくるわ。ここで待ってて」
「え……え?」
戸惑う俺を置いて、御子柴は淀みない足取りで窓口に向かうと、男性に外国語で声をかけた。
御子柴と二言三言交わすと、男性はさっきまでの焦りっぷりが嘘のように落ち着いた。それから改めて男性から御子柴が話を聞き、窓口の人に繋ぐ。
「オンラインチケットを取ったはずなのに表示できないから困ってるみたいです」
行列にいる日本人たちがざわっとなった。もちろん俺も。窓口でさえ通じなかった外国語に、御子柴がさらっと対処したからだ。
窓口の人が事態を理解して対応すると、問題はすぐ解決したみたいだった。男性は御子柴と受付の人ににこやかにお礼(だと思う)をした。
御子柴は男性と連れ立って行列に戻ってきた。男性はすぐ前の母娘と合流する。どうやら家族連れだったようだ。
男性は御子柴にしきりに話しかけていた。もう焦っていないようだが相当早口だ。多分、元々そういう性分なのだろう。
御子柴は気さくに対応している。……訳の分からない言語で。不安そうにしていた母親や娘も、言葉が通じる人間がいたからか、穏やかな表情になった。
そんなこんなで列が乗り場に近づいてきた。男性は御子柴を手招きしている。確かキャビンは八人乗りだ。もしかして一緒に乗ろうとかそういうことを言っているのか?
すると御子柴は返事をし、笑顔で俺を指差した。「まいん、しゃつ」とかなんとか聞こえた気がした。すると家族は顔を見合わせた後、軽く手を振って、キャビンに乗り込んでいった。
俺たちも続いてすぐ後ろのキャビンに乗り込む。お互い、向かい合わせになって、窓側に座る。ヨットの帆のような形のホテルや、観覧車、それと海。よく晴れた桜木町の景色が実に気持ちいい。
「うおー、いいねえ」
御子柴がパシパシと写真を撮っている。そしてスマホをこちらに向けて、
「水無瀬くん、はいチーズ」
「やだ」
「んだよ、ケチ」
唇を尖らせる御子柴に、俺は燻っていた疑問をぶつけた。
「なぁ、さっきの人たち、どっから来てたんだ?」
「ウィーンだって。今日で帰るらしいぜ」
「ウィーン……。ってええと」
「オーストリアの首都な。基本ドイツ語なんだけど、ちょっとウィーン方言が入ってたんだよ。お父さん、大分早口だったし、さすがに窓口の人も分からなかったんだろうなー」
なんてことのないように言う御子柴に、俺は目を丸くした。
「わ、分かるのか、ドイツ語……てか、ウィーン方言?」
「うん、昔からピアノ関係でちょくちょく行ってるから。そっちでよくお世話になる人がいて、日常会話ならいけるって程度だけど」
……この男、どこまでハイスペックになれば気が済むのだろうか。尊敬とか呆れとかを通り越して、ちょっと怖い。
「そういえば最後、俺のこと指さしてたろ。なんて言ったんだよ」
「え? ああ、なんかクラシックファンらしくって、俺の事見たことあるんだって。ピアニストですって言ったら、話聞きたいから、一緒に乗らないかって誘われたんだけど──」
ここで御子柴が俺を見て、にっこりと笑った。
「恋人とデート中だからごめん、って断った」
「げほッ……!」
盛大に咽せる。俺は思わず腰を浮かした。
「お、おま、お前、周りに分からないからって!」
「あ、お客様。キャビンの中では決して立ち上がらず、ご着席のまま景色をお楽しみくださーい」
「うるさいばかっ」
「あはは、イッヒ・リーベ・ディッヒ~」
「いやだから、なんつー意味なんだよ!」
俺の気も知らないで、キャビンは順調に空中を渡っていく。桜木町の景色はやはり、憎いほど綺麗だった。



