──教室のエアコンが壊れた。
 九月の残暑真っ盛りに、まさかの事態だ。
「暑い……」
 休み時間にお茶をがぶ飲みしていると、前の席からささやかな風が送られてきた。
「大丈夫か、水無瀬ー?」
 御子柴がハンディファンをこちらに向けてくる。
 クラスメートがゆだっている中、なんでこいつだけ涼しげな顔をしているのか。
「お前、暑くないの?」
「暑いに決まってんだろ。ほら、汗かいてるし」
 指し示された前髪が、ほんのすこし額に張り付いている。え、それだけ……?
 ピアニストの自制心で、汗まで自在にあやつれるんだろうか。
 それともイケメンは爽やかだから汗もそんなにかかないんだろうか。いや、そんなはずあるか。暑さで思考がおかしくなっている。
 教室を見回すと、男子の中には上半身裸になってる奴もいた。それを女子がセクハラだと言ってとがめている。そりゃそうだ。
 でも襟をくつろげるぐらい、いいよな。
 と、俺はシャツのボタンを二つ外した。
 下敷きで風を送ると、ちょっとマシな気がする。
「ま、他の教室がドア開けてくれてるから、熱中症にはならないだろ」
 御子柴はハンディファンを机に置くと、こちらに手を伸ばしてきた。
 そして俺のシャツのボタンをきっちり一番上まで止め直す。
「そうだ、こういう時はスポドリ系飲めよ。塩分も大事なんだからな」
「うん……。え?」
 何事もなく頷こうとして、俺は自分の襟を見下ろす。……ん? え? 今、なんでボタン留められたんだ?
 なんかよくわからないまま、もう一度ボタンを二つ外す。
 シャツをつまんで隙間を作り、下敷きで風を送っていると、また御子柴の手が伸びてきてボタンを留め直した。
「いいか。人間の体ってのは、水が足りなくても脱水になるけど、塩分が足りなくても脱水になんの。なんだっけ、電解質がどうたら──」
「いや、なんでせっかく開けたのに戻すんだよ!」
 暑さにやられているせいで気付くのが遅れた。御子柴はやれやれといった様子で頭を振った。
「しゃーねーなー。そんなにボタン開けたいなら、俺のをどうぞ」
「別にボタン開け魔ってわけじゃねーんだよ」
 なんだその特殊な趣味は。俺が再度、襟に手をやると、がしっと掴まれて阻止された。
「駄目」
「なにが」
「襟、広げない」
「なんで……」
 訳の分からない冗談に、もう抵抗する気力も起きなかった。うう、首が暑いぃ……。
「早く直らないもんかねえ」
 御子柴が他人事のように呟いている。俺はずっと自分の方に向けられているハンディファンの羽を、ぼーっと眺めた。