今日も溝久保と暮れなずむ帰路を行く。隣を歩く溝久保はいつにも増して口数が少ない。というか、少し元気がないように見える。昼間のことを反省している……のかな。
 聞きにくいけど、はっきりさせないわけにはいかなかった。
「なぁ、昼休み、さ。どうしてあんなことしたんだ?」
「……しらねーよ」
 溝久保は相変わらずつっけんどんだ。俺は少し口を尖らせた。
「知らないってことはないだろ。ちゃんと教えてほしい」
 勇気を出して語気を強める。すると溝久保はつと足元に視線を落とした。
「お前らこそ、なんで屋上なんかに行ったんだよ」
「え、いや、それは……だから、話すことがあって」
「だからってなんで屋上なんだって聞いてんだよ」
 今度はこちらが口ごもってしまう。溝久保は聞こえよがしにため息をついた。
「お前が屋上に行くの、嫌な予感しかしない」
 ああ……そうだった。俺には屋上でよからぬことをしようとした容疑がかかっているのだ。溝久保の中では。
「でも御子柴も一緒だったし……」
「あいつは信用ならない。つーか嫌い」
「え……。御子柴が? 知り合いなのか?」
「知り合いじゃねーよ。でもなんとなくうさんくさいんだよ」
 よく知りもしないのに、なんでそんなに毛嫌いしているのだろう。俺にはまったく分からない。
「昔、なんかあった、とか?」
 御子柴と溝久保の接点で俺が分かることといえば、同じサッカーのジュニアチームに入っていたことぐらいだ。小学校時代──何年も前の話だけど。
「だから何もねーよ。あんなやつ、高校に入って初めて見た」
「そ、そうか……」
 御子柴も特に何も言ってなかったし、本当に知り合いじゃなさそうだ。
 あとそろそろ目に見えて溝久保が不機嫌になってきた。深掘りしたいところだけど、今日のところは話題を変えた方がいいかもしれない。
「えーと。ところで夕飯、どうする?」
 溝久保がちらりと横目で俺を見る。その眼差しからは険しさが少し取れていた。
「……余ってんなら、もらう」
「分かった。たくさん作るから、もってって」
 マンションに入り、エレベーターの中で一旦溝久保と別れた。昨日、カレーを入れていた容器を洗って返すそうだ。
 餃子を焼き終えたところで、ちょうどインターホンが鳴った。モニターにどこか所在なさげな溝久保の姿が映っている。タイミングがばっちりで思わず苦笑していると、俺の下からひょこっと小さな頭が出てきた。
「あっ、昨日のイケメンくんだ!」
「ちょ、こら、美海!」
 止める暇もあればこそ、美海はたたたっと走って玄関まで行ってしまう。追いかけていくと、美海が勝手にドアを開けて、溝久保を出迎えていた。
「はじめまして、兄がいつもお世話になってます!」
 にこにこと一丁前の挨拶をする美海に、溝久保は目を丸くしている。知らない小学生の女の子が出てきたら当然だ。俺は美海に追いつくと、慌てて溝久保に言った。
「ごめん。これ、妹の美海」
「あー、『これ』とか言うんだー。ひどーい」
 美海がむうっと口を尖らせる。こいつ、人前だからって、ちょっとかわいこぶってるな……。
 溝久保は視線を泳がせながらも、美海に向かって頭を下げた。
「溝久保、です。こちらこそお世話になってます」
 何歳も下の子相手に、ばりばりの敬語だった。どうやら溝久保の中では小学生の美海でも『他の家の人』判定らしい。
 美海はえへへ、と笑う。
「溝久保くんね、りょーかい! ねえねえ、昨日のカレー美味しかった? 美海も作ったんだよ」
「お、美味しかったっす。ありがとうございます」
「いや、ルー入れただけだろ、お前は……」
「ルー入れないとカレーにはならないもーん」
 減らず口を……。俺のじとっとした視線を交わし、美海は溝久保の手元を覗き込んだ。
「あ、その容器、洗ってくれたの? ありがとー!」
「え、あ、はい。でも俺、家事とかしたことないんで……。ちゃんと洗えたかどうか分からないです」
「いいよ、もう一回洗うから!」
 とか言いながら、美海は溝久保から受け取った容器を、はいっと俺に手渡してきた。お前が洗うんじゃないのか、と思いつつ、容器を見る。確かに隅にはカレーが残っていて、しかもフタには泡がついていた。不器用なのが溝久保らしいというかなんというか。
「てかさ、うちで一緒に食べていったらいいじゃん」
 容器の汚れ具合を点検していると、突然、美海がそんなことを言い出した。溝久保が慌てふためく。
「や、迷惑だし、いいっす。夕飯も……やっぱ、自分で買ってくるんで」
「あのね……美海たちね、いつも二人でご飯食べてるんだ。お母さん、お仕事で遅くて……。だから溝久保くんが一緒に食べてくれると嬉しい!」
 笑顔から一転、だめ? とうるうるした瞳で溝久保を見つめる美海。溝久保は「う」とか「あ」とか言って、たじたじになっている。つ……強い。我が妹ながら強すぎる。
 まぁ、でもいい提案かもしれない。容器を洗ずに済むから、溝久保だって楽だろうし。
「うちはいいよ。溝久保さえ良ければ」
「ハルくんもこう言ってるし、ね?」
「う……」
 溝久保は俺と美海の間で視線をさまよわせていたが、やがて、
「じゃあ……お邪魔します」
 と言って、またぺこりと頭を下げた。