「水無瀬、なんか今日そわそわしてね?」
朝一番、六反田からそんなこと言われ、俺は目を丸くする。
「そ、そうか?」
「だって机にしまったもんをまた鞄に入れてるし」
「え!」
六反田が指摘した通りだった。俺はせっかく机の中に入れた教科書や参考書を、また鞄にしまうというなんの意味もない行為をしていた。
すると前の席の溝久保が朝寝をやめて、起き上がった。俺の様子をじとっとした目で見てくる。
「寝ぼけてんのか?」
「朔に言われたくないだろ。あはは、すっげえ寝癖」
「うるせえんだよ」
悪態をつきながらも、溝久保はちょいちょいと前髪をいじる。
俺は苦笑しながら、溝久保の頭に手を伸ばした。
「そこじゃなくて、ここだよ」
横髪を指で撫でて、ぴんと跳ねていた部分を直す。溝久保は「おー」とかなんとか言って、黙り込んだ。
最初と比べて、溝久保はほんのわずかだが表情も態度も柔らかくなった。これでも。少しは仲良くなれてるのかな。
「あぁ、そうだ。俺、ちょっと昼休み約束があって。気にしないで昼メシ食べてて」
「おっけー。……もしや、カノジョさん?」
六反田はくいくいと眼鏡をあげ、興味津々とばかりに聞いてくる。妙なところで鋭くて、どきりとした。
「違う違う、前の……クラスメートと。男子の。話すこと、あって」
「なーんだ。水無瀬みたいにスンってしてるやつほど、実はカノジョいたりする説、外れたかー」
なんだその説は。あとスンってどういうことだ。などと思っていると、溝久保が口を挟んだ。
「誰だよ」
「え?」
「どこの誰と会うんだって聞いてんだよ」
その声が思いのほか低くて、びっくりする。何も言えないでいると、六反田が助け船を出してくれた。
「朔ちゃん、親しき仲にも礼儀あり。他人のプライベートは詮索しないの」
「てめーが先に詮索してただろうがっ」
「あれ、そうだっけ?」
とぼける六反田に溝久保が尚も噛みついている。そこで担任がやってきて、ホームルームが始まった。前を向く溝久保の背中を見て、俺はひそかに安堵の息をついた。
昼休みがやってきた。
俺はそそくさと購買のレジ袋を持ち、椅子から立ち上がる。溝久保が振り返ったのが見えた気もしたが、その視線から逃げるように足早に教室を出た。
廊下の人影はまだまばらだった。昼食を求めて、階段を降りる生徒がちらほらいる中、俺は屋上への階段を昇っていく。
しんと静まり返っていて、ひんやりしている空気に、懐かしさが一気に押し寄せてくる。
踊り場に人の気配はなかった。御子柴は多分まだ来ていないのだろう。もしかしたらクラスメートに――西蓮寺さんとかに捕まっている……かもしれないけれど、約束したんだ、きっと来てくれる。
先に待っているか、と思って、屋上へ通じる階段を上がっていくと——。
「えっ……?」
屋上への扉を見て、俺は階段の半ばで立ち尽くした。
無骨な鉄の扉に、張り紙がしてあった。
——『屋上立ち入り禁止』、と。
しかもノブに鎖が巻かれていて、ドア上部の動く部分と繋がっている。鎖にはご丁寧に南京錠がかけてあった。これでは物理的にも屋上に出られない。
「いつからこんな……」
のろのろと階段を上がって、ドアに触れてみる。重い鉄製の扉はびくともせず、鎖同士が擦れてかちゃりと音が鳴っただけだった。
呆然としていると、階段を上がる足音が聞こえてきた。はっとして振り返れば、御子柴がやってくるところだった。
「水無瀬。悪い、遅れた——」
俺を見て明るい笑顔を浮かべた御子柴の表情が、驚きに変化する。俺は困ったように張り紙へ視線をやった。
「知ってたか、これ?」
「いや……」
小さくかぶりを振りながら、御子柴は俺の隣に並んだ。ドアに絡まる鎖と南京錠を見て、ため息をつく。
「これはまた厳重な……。急にどうしたんだろ、うちみたいなゆるゆる高校が」
屋上を開けっぱなしにしている学校は少ないと聞く。うちの学校はそこらへんが緩くて、あんまり褒められたことではないけど——だからこそ、あの御子柴との時間があったのに。
未練がましくドアに触れている俺を見て、御子柴が切り替えるように言う。
「んじゃ、どっか別んとこ行きますか。中庭とか、食堂とか」
そうだ、屋上には入れなくなっても、御子柴と一緒に昼飯が食べられることに違いはない。俺は無理矢理にでも気を取り直して、頷こうとした。
そこへ、
「——てめーら、こんなとこで何してんだ?」
地を這うような声が聞こえて、俺はびくっと肩をすくめた。
階段下を振り向くと、そこには眼光鋭い溝久保と、その腕を引っ張る六反田がいた。
「ちょ、朔。様子見るだけって言ってただろ、お前……!」
今にも階段を上がってきそうな溝久保を、六反田が必死に引き留めている。唖然としている御子柴に、六反田が愛想笑いを浮かべる。
「あ、あのー、俺たち水無瀬くんと同じクラスでして。ええと、だから別になんていうことはなく……ははは」
「ああ。溝久保と六反田だよな。話、聞いてる。はじめましてー」
さすがというか、御子柴は朗らかに挨拶してみせる。六反田もほっとしたように応じた。
「あーいや、こちらこそはじめまして——って、朔、おい!」
その隙に六反田を振り切った溝久保は、ずんずんと階段を上ってくる。何を言うよりも早く、溝久保は俺の手首を掴んだ。
「帰るぞ」
「えっ、帰るってどこに?」
「教室だよ。メシは教室か食堂のどっちかで食べる……なんかそういう校則あったろ」
「は、はあ?」
そんなの聞いたことない。いやあるのかもしれないけど、少なくとも俺は知らない。あと言っちゃ悪いけど、溝久保が校則に明るく、しかもそれを順守するような生徒には全然見えない。
「いや、待って。俺、御子柴と話すことあって」
「何をだよ」
ぎらりとした眼光で睨まれる。こ、怖い……!
「何って」
「だから何について話すんだよ、言ってみろ」
本当は話し合うことなんて何もない。俺が言葉に窮していると、すっと後ろから腕が伸びてきた。
隣を見ると、御子柴が溝久保の手を掴んでいた。
朝一番、六反田からそんなこと言われ、俺は目を丸くする。
「そ、そうか?」
「だって机にしまったもんをまた鞄に入れてるし」
「え!」
六反田が指摘した通りだった。俺はせっかく机の中に入れた教科書や参考書を、また鞄にしまうというなんの意味もない行為をしていた。
すると前の席の溝久保が朝寝をやめて、起き上がった。俺の様子をじとっとした目で見てくる。
「寝ぼけてんのか?」
「朔に言われたくないだろ。あはは、すっげえ寝癖」
「うるせえんだよ」
悪態をつきながらも、溝久保はちょいちょいと前髪をいじる。
俺は苦笑しながら、溝久保の頭に手を伸ばした。
「そこじゃなくて、ここだよ」
横髪を指で撫でて、ぴんと跳ねていた部分を直す。溝久保は「おー」とかなんとか言って、黙り込んだ。
最初と比べて、溝久保はほんのわずかだが表情も態度も柔らかくなった。これでも。少しは仲良くなれてるのかな。
「あぁ、そうだ。俺、ちょっと昼休み約束があって。気にしないで昼メシ食べてて」
「おっけー。……もしや、カノジョさん?」
六反田はくいくいと眼鏡をあげ、興味津々とばかりに聞いてくる。妙なところで鋭くて、どきりとした。
「違う違う、前の……クラスメートと。男子の。話すこと、あって」
「なーんだ。水無瀬みたいにスンってしてるやつほど、実はカノジョいたりする説、外れたかー」
なんだその説は。あとスンってどういうことだ。などと思っていると、溝久保が口を挟んだ。
「誰だよ」
「え?」
「どこの誰と会うんだって聞いてんだよ」
その声が思いのほか低くて、びっくりする。何も言えないでいると、六反田が助け船を出してくれた。
「朔ちゃん、親しき仲にも礼儀あり。他人のプライベートは詮索しないの」
「てめーが先に詮索してただろうがっ」
「あれ、そうだっけ?」
とぼける六反田に溝久保が尚も噛みついている。そこで担任がやってきて、ホームルームが始まった。前を向く溝久保の背中を見て、俺はひそかに安堵の息をついた。
昼休みがやってきた。
俺はそそくさと購買のレジ袋を持ち、椅子から立ち上がる。溝久保が振り返ったのが見えた気もしたが、その視線から逃げるように足早に教室を出た。
廊下の人影はまだまばらだった。昼食を求めて、階段を降りる生徒がちらほらいる中、俺は屋上への階段を昇っていく。
しんと静まり返っていて、ひんやりしている空気に、懐かしさが一気に押し寄せてくる。
踊り場に人の気配はなかった。御子柴は多分まだ来ていないのだろう。もしかしたらクラスメートに――西蓮寺さんとかに捕まっている……かもしれないけれど、約束したんだ、きっと来てくれる。
先に待っているか、と思って、屋上へ通じる階段を上がっていくと——。
「えっ……?」
屋上への扉を見て、俺は階段の半ばで立ち尽くした。
無骨な鉄の扉に、張り紙がしてあった。
——『屋上立ち入り禁止』、と。
しかもノブに鎖が巻かれていて、ドア上部の動く部分と繋がっている。鎖にはご丁寧に南京錠がかけてあった。これでは物理的にも屋上に出られない。
「いつからこんな……」
のろのろと階段を上がって、ドアに触れてみる。重い鉄製の扉はびくともせず、鎖同士が擦れてかちゃりと音が鳴っただけだった。
呆然としていると、階段を上がる足音が聞こえてきた。はっとして振り返れば、御子柴がやってくるところだった。
「水無瀬。悪い、遅れた——」
俺を見て明るい笑顔を浮かべた御子柴の表情が、驚きに変化する。俺は困ったように張り紙へ視線をやった。
「知ってたか、これ?」
「いや……」
小さくかぶりを振りながら、御子柴は俺の隣に並んだ。ドアに絡まる鎖と南京錠を見て、ため息をつく。
「これはまた厳重な……。急にどうしたんだろ、うちみたいなゆるゆる高校が」
屋上を開けっぱなしにしている学校は少ないと聞く。うちの学校はそこらへんが緩くて、あんまり褒められたことではないけど——だからこそ、あの御子柴との時間があったのに。
未練がましくドアに触れている俺を見て、御子柴が切り替えるように言う。
「んじゃ、どっか別んとこ行きますか。中庭とか、食堂とか」
そうだ、屋上には入れなくなっても、御子柴と一緒に昼飯が食べられることに違いはない。俺は無理矢理にでも気を取り直して、頷こうとした。
そこへ、
「——てめーら、こんなとこで何してんだ?」
地を這うような声が聞こえて、俺はびくっと肩をすくめた。
階段下を振り向くと、そこには眼光鋭い溝久保と、その腕を引っ張る六反田がいた。
「ちょ、朔。様子見るだけって言ってただろ、お前……!」
今にも階段を上がってきそうな溝久保を、六反田が必死に引き留めている。唖然としている御子柴に、六反田が愛想笑いを浮かべる。
「あ、あのー、俺たち水無瀬くんと同じクラスでして。ええと、だから別になんていうことはなく……ははは」
「ああ。溝久保と六反田だよな。話、聞いてる。はじめましてー」
さすがというか、御子柴は朗らかに挨拶してみせる。六反田もほっとしたように応じた。
「あーいや、こちらこそはじめまして——って、朔、おい!」
その隙に六反田を振り切った溝久保は、ずんずんと階段を上ってくる。何を言うよりも早く、溝久保は俺の手首を掴んだ。
「帰るぞ」
「えっ、帰るってどこに?」
「教室だよ。メシは教室か食堂のどっちかで食べる……なんかそういう校則あったろ」
「は、はあ?」
そんなの聞いたことない。いやあるのかもしれないけど、少なくとも俺は知らない。あと言っちゃ悪いけど、溝久保が校則に明るく、しかもそれを順守するような生徒には全然見えない。
「いや、待って。俺、御子柴と話すことあって」
「何をだよ」
ぎらりとした眼光で睨まれる。こ、怖い……!
「何って」
「だから何について話すんだよ、言ってみろ」
本当は話し合うことなんて何もない。俺が言葉に窮していると、すっと後ろから腕が伸びてきた。
隣を見ると、御子柴が溝久保の手を掴んでいた。



