珍しくその日は、サークルメンバー全員が集まっていた。
といっても、サークルには四人しかいない。三年生の部長と敷島先輩、それに二年生の俺、そして一年生の久我だ。
「敷島くん、ゼミの宿題はできたかね?」
「いきなり英語の論文を読めって言われてもなぁ……」
部長と敷島先輩は同じゼミに所属しているらしく、教授から出されたレポートがどうたらと話し込んでいる。久我曰く、部長はやせ型で眼鏡をかけている。敷島先輩はくまのぬいぐるみみたいな人。……もうちょっと言い方があると思うけど、何も言わないでおいた。
すっかり蚊帳の外である俺と久我はちょっと離れた席で二人並んで座っていた。俺の隣は久我の定位置みたいになっていて、なんかもう六月にも入れば慣れっこであった。
窓の外は曇り空だった。雨が散発的に続いている。今年は梅雨入りが例年よりも早いかもしれない、とお天気アプリに書いてあったようななかったような。
「わっはっは、やればできるじゃないか、敷島くん!」
「痛いって、叩かない。騒がない」
ばしんばしんと部長が敷島先輩の背中を叩いている。それを見て久我が眉をひそめた。
「部長って距離感バグってますよね」
「え、そうかな?」
「水無瀬先輩もよく肩組まれるでしょ」
「久我は容赦なく振りほどいてるよな……」
「普通に嫌っすもん」
本人のいる前(といっても、部長は気付いていないが)でよく話せるものだ。俺はとりなすように苦笑した。
「まぁ、俺は高校時代にもそういう友達がいたから」
「え……。肩組まれたりすか?」
「うーん、それとか頬ずりされたり。抱きつかれたり」
「……ウザ……」
久我がひどい渋面になる。自分がされるのを想像してしまったのかもしれない。
話題に上った友人──高牧は別にして、同性同士のスキンシップはそれなりにあるものだと思っている方だ。その……まぁ、恋人がそもそも……という話でもあるかもしれないから、一般化はできないけど。
でも御子柴は普段、そんなにスキンシップ過多というわけでもないような気がする。肩をぽんぽんとしたり、頭をぽんぽんとしたり、それぐらいだ。いや、ぽんぽんばっかりだな……と思うと同時に、あの優しい手つきを思い出して、なんとも言えない顔になる。
「俺は絶対無理っす」
「まぁ、部長も悪気があるわけじゃないから」
胸の内でぽんぽんとか言っていたからだろうか。
俺は無意識に隣の久我の腕に手をやろうとしていた。
ぽん、とする寸前で動きを止める。
久我が目を見開いていたので、ぎょっとした。
「ごめん、思わず。はは……危ないとこだった」
ついさっき嫌だと言っていたことをしてしまうところだった。焦って手を引っ込めようとした俺に、久我がぼそりと言う。
「……別にそれぐらいなら、いっすけど」
「え? そうなの?」
「……はい」
久我は机の上に視線を落としている。……なんだかぽんぽんした方がいい気がして、というか何故か促されているような気がして、軽く二の腕あたりをぽんぽんした。
じっと久我は押し黙っている。俺は呆れたように言った。
「嫌なら嫌って言えばいいのに……」
「言ってないす」
久我は顎にひっかけていたマスクをすっと上げた。これってなんとかハラスメントにならないよなぁ……と俺はしばらくハラハラしていた。
◇
「今日、高牧から連絡来た。今度メシ行こうだって。どーする?」
大学帰りに御子柴の家に寄ると、ソファにいた御子柴が開口一番そう言った。
俺は勝手知ったる風に台所に入り、麦茶をもらいながら、なんかタイムリーだなぁと唸る。
「久しぶりだし行くか。どこ? 横浜?」
「いや、こっち来たいんだって。んで、うちに泊まりたいんだって。……はぁ、やだなー」
やだとハッキリ言われる高牧が若干哀れではあるが、確かに今でも高牧はなんというか相手をするのにカロリーがいる。というか大学生になってよりはっちゃけているので手に負えないかもしれない。
それにこの家にあげるとなると、そこかしこに俺の気配があって、察せられてしまうかもしれない。たとえば歯ブラシとか着替えとか……そういうもののことだ。
「よし、決めた。場所は横浜。泊まりはやだ。送信、っと」
「御子柴も実家帰るのか?」
「おー。久しぶりにばーちゃんとクロードの様子見たいし」
御子柴はおばあちゃんっ子かつ、愛犬大好きっ子だった。微笑ましくて、頬が緩んでしまう。
そうだ、御子柴にも意見を聞いてみよう、と唐突に思った。
「なぁ、高牧と言えば、あいつスキンシップ多かったよな」
「へ? 急にどした?」
「あぁ、いや……」
サークルであった事の顛末を話す。部長が肩を組んできたりすること、それに久我が辟易していることなどなど。
「高牧がいたから、俺はまぁ慣れてるかなって話」
「あー……」
御子柴は急に仏頂面になった。
「あれな……。マジで嫌だったな」
「御子柴もあんまり触られたくないタイプか」
「っていうか、結構水無瀬にしてたじゃん、あいつ。それに割と苛ついてたというか、今も多分苛つくと思う。てか思い出したら苛ついてきた……」
「ええー……」
まぁ、うっとうしいっちゃうっとうしいが、高牧はそういうやつだと思ってたから、俺はそんなに気にしてなかった。けど御子柴が気にするなら――いやでもあいつ急にしてくるからな。俺の反射神経じゃ避けられない。
「そうだ、俺も負けじとしますか」
妙案だとばかりに御子柴がぽんと手を打つ。俺は麦茶をテーブルに置き、御子柴の隣に座った。
「肩を組むってことか?」
やりやすいようになんとなく体をかがめる。しかし御子柴は首を横に振った。
「水無瀬くんにはそれ相応のスキンシップをしなければいけません」
「それは……」
付き合ってる恋人同士の――それ相応のスキンシップ。い、いやいやいや、何を考えているんだ。
はっ、と我に返ると、御子柴がにやーっとこちらを見ていた。今にも「何考えてるのかなぁ?」とか言ってきそうで、俺は先手を打つ。
「す、好きにしろよ、ほら」
腕を広げて、こっちは準備くらいできてる、とアピールする。
御子柴は小さく唸り、それから俺が広げた腕を元に戻した。
「……え?」
「どうしよっかなと思ったけど、やっぱこうかな」
御子柴の手が俺の手の上に重なる。ピアニストの長い指が、俺の指の間をそっと埋めていく。
「……っ」
じわりと伝わる温もりが、やがて全身に広がっていく。手を繋いでいる。ただそれだけなのにまんまと満たされていく自分が情けない。
「どう?」
「ど……どうと言われても」
「あれ。水無瀬くんは俺の指好きだから、満足していただけると思ったのですが」
その通りだよ、ちくしょう。俺は自分からもぎゅっと手に力を入れ、それから撃沈されたように頭を抱えた。



