この街が孤独だと感じる人と、僕は恋がしたい

「そう。夏の海って書いて、カイ」
 まさか。
(東京に行きたい、映画が好きな、俺と同じ高校の、夏の海って書く、カイ?)
 どう考えてもkaiじゃないか!
 その瞬間、俺の心の中に温かい気持ちが流れ込んだ。
 そうだ、彼のこのやわらかで明るい、幼い雰囲気。それでいて、少し影がある。まったく手紙のkaiとおんなじだ。
 望月くんが、kaiなんだ。
「何?」
「あっ、いや……いい名前だね」
 俺の動揺に気づかず、望月くんはふっと笑った。笑顔がかわいい。
「ありがと。夏海って呼んでいいよ」
「あ、夏海……くん」
「日暮くんは?」
「スミト。澄むに、人」
「澄んだ人かぁ。っぽい。オレも名前でいい?」
「……うん」
 人懐こく見てくる望月くん――夏海の距離感に、俺はまたドキドキする。相変わらず友達を作るのが得意なやつの距離の詰め方だ。
 もちろん、ただ慣れていないだけで、友達ができるのは嬉しい。
 しかもそれが、あの手紙の相手だなんて。目の前の彼が、自分と同じ、この街を孤独だと思う人だなんて。
 ……嬉しい。
 思わずあの手紙を受け取ったのは自分だと言いたくなって、俺は自分を抑える。
 そういうわけにはいかない。嘘をついている。優人という名前の、年上の男のふりをしている。
 俺は自分にがっかりした。
 そんな俺の心中をよそに、夏海が自分を見てきた。
「澄人って、好きな人いる?」
「え、いないいない。ってか俺、友達ですらハードル高いから」
 急に話題が恋愛の話になって、俺は慌てた。
『この街が孤独だと感じる人と、僕は恋がしたい。』
 ちらりと机の上のkaiの整った文字が頭をかすめた。なんとなく、俺はあの手紙の差出人に恋をし始めているような気もしたけれど、それはこの目の前の望月夏海なわけで――。
「なー、澄人。オレの秘密教えよっか」
「え?」
「あのさ、今の、姉ちゃんの彼氏なんだけど」
「うん」
「で、オレの初恋の人」
「……そう……え?」
 オレの初恋の人。
 言われた意味を考えて、俺は息を飲んだ。
 夏海の初恋の人が、夏海のお姉さんの彼氏?
(えっとつまり、ゲイ、なのかな?)
 驚いたら失礼だろう。慌てて平静を装って、俺はぼそぼそとつぶやいた。
「……あ、そう、なんだ」
「そ。オレ、女の子と付き合いたいって感じないんだよね。こないだ、東京行きたいって言ったじゃん。それもあるんだ。ほら、人が多いとこに行くと単純に確率上がるじゃん、恋人ができる」
「まあ、そうだね。会う人多いし」
 それを聞いて、俺はこの前の自分の発言を反省した。たしかに、それはそうだろう。みんないろんな事情がある。単純に東京に憧れているからって、それを否定してはいけなかった。
「驚いた?」
 少しだけ不安そうに、夏海が俺を見る。俺は正直な自分の気持ちを探った。
「……ん、少し。あ、あの、内容っていうか、夏海、が、俺に話してくれたこと。まだ二回しか会ってないのに、俺に言ってよかったの?」
 友達だと思ってくれたのだろうか。自分が気になっているのは、そのことのようだった。
「んー、さっき澄人が自分の話、してくれたじゃん? だからオレも、なんか内緒の話、しようかなって」
「そっか、嬉しい」
「嬉しい?」
「ん、俺のこと、信じてくれたのかなって。ほら、俺友達いないから、嬉しかった。ありがとう」
 ……あ、かわいい。
 夏海が、ふわっと笑った。それを見て、胸が跳ねる。
(これって)
「あの、さ」
「ん?」
 隣で夏海が覗き込んできた。やっぱりかわいい。
「もしかしたら、俺も。そうかも」
「え?」
「今、きみの話聞いて思ったんだ。俺も、ドキドキしたり、気になるのは、そっちだなって」
 だって今、隣で笑うきみにドキドキしている。今までで、誰よりも一番。だからつまり、そういうことじゃないか?
「あー、そっか」
「ごめん、なんかふわっとしたこと言って」
「や、わからんよな。誰かに相談したら、何言われるかわからんし」
「な」
「みんなはどんどん恋人ができてくのにさ。一生オレはこのまま、恋人もできずに、キスも知らんで生きてくのかって絶望してさ」
「わかる」
 そうだ。自分には恋のハードルが高すぎると思っていたけど、夏海に言葉にされると、腑に落ちる。そういう焦りは、ずっとあった気がする。
「な、キス……してみる?」
 いいことを思いついたように、夏海が軽い口調で言った。
「え……」
 かみしめた唇が少しだけ上を向いて突き出されている。やわらかそうな、形のいい唇。
 俺は想像した。
 それに、自分の唇を触れさせるところ。
 きゅんと甘い刺激が胸を揺らした。
「ほら、オレたち、たぶん周りより遅いじゃん。付き合える人に出会えるの。その前に、体験しときたくない?」
 目を閉じてそう言う彼の唇が少しだけ、震えている。
 口調は軽いけど、緊張してるんだ。かわいい。
 したい、と思った。
 めちゃくちゃしたい。
 少しだけ手を伸ばす。
 指先でその唇に触れて、その感触を確認してみたい。
 ――体験しときたくない?
 そのとき、最後の言葉が耳にリフレインした。
 体験。
 違う。俺がしたいのは体験じゃなくて。
「あ、あのさ!」
「ん?」
「や、やっぱりさ! 好きな人とできるまで、大事にした方がいいかなって」
 それを聞いて、夏海が目を開けた。
「ふっ」
 面白そうに笑い出す。なんだかまた、変なことを言ってしまっただろうか。
「そっか、やっぱ澄人は真面目だなー」
 ぽんぽんと、子供にするように頭を叩かれる。
「ごめん、何か変だったかな……」
「そんなことないない。真面目なのって、褒め言葉だよ! いいと思う、そういうの。こっちこそごめんな、変なこと言っちゃって」
 そう言って笑う、夏海の目元はやわらかくて、嘘をついているようには見えない。それにホッとして、いいと思うって言われたのは少し嬉しくて。
 でもちょっと、がっかりした。
 相変わらずやわらかそうな唇が、目の前で笑顔の形になっている。触りたい。
 許されているうちに、触っておけばよかった。
 さっき言ったことは間違ってはないと思うけれど、もったいないことをした気がする。
(もしかして、俺)
 ……夏海のことが、好きなんじゃないだろうか?