この街が孤独だと感じる人と、僕は恋がしたい

 地図を見ると、橋が大きい方と小さい方があって、俺は少し悩んだ。台風で一番危ないのは水辺じゃないだろうか。ニュースだって川の様子を見に行った人がよく流されている。なるべく、水があるところには長くいたくない。
(でも、小さい方が海に近いんだよな)
 海に近いのはそれはそれで、危ないような気がする。
(まっすぐ行く方がいいか)
 大きい橋の方は、ほぼ直線だ。リスクで言えば、歩行時間が短ければ短い方がいい。
(行くなら、早く行った方がいいよな)
 これからどんどん夜が深まるし、今もうすでに台風が上陸しているのかしていないのかわからないけど、今後しばらくよくなることもないだろう。
 叔父さんの家を出てきたときも、風が強すぎて傘をさすのはもう無理だった。俺は前を開けていたレインコートを閉め直す。靴はレインシューズを持っていなかったのですでにびしょびしょだが、まあこれ以上びしょびしょになっても変わらない。
 防水のリュックサックをレインコートの上に背負い直して、東口のエレベーターを降りた。外に近づくにつれて、雨混じりの風が吹き込んできて、レインコートの裾をあおる。
 小田原駅前はそれなりに大きい。店は台風のため臨時休業という表示に変わっているところが大半だったが、駅前にはまだ、帰ってくる人を迎えにきた車や、迎えを待っている人、さっき着いた電車で帰ろうとしている人などがいた。
 もう一度、スマホの地図をチェックする。雨に濡れるとスマホが壊れそうなので、しばらくは見ないでいいよう目立つところを暗記した。
 それから写真フォルダを漁って、夏海の写真を少し眺めた。花火をしたときにこっそり撮ったやつだ。
 花火を持った夏海が笑っている。
(かわいい)
 自然と微笑んでいた。にやにやしてしまう。それからスマホが濡れないように、レインコートのポケットに入れてしっかり蓋を閉める。
「よし!」
 誰に向けるわけではないのだけれど、気合いを入れた。
 建物を離れたとたん、顔に雨が吹きつけてくる。普段は観光客で賑わっていそうな、土産物店の前を足早に進んだ。
(冷たい……)
 早速靴の中に雨が染み込んで、足が冷えてきた。濡れたので重い。袖口や足首も少しずつ雨が入ってきて濡れてくる。レインコートなのですぐに汗をかいて、濡れていないところもべたべたした。
 線路の脇に出た。駅前のホテルなどに分散していったのか、歩いているのは自分ひとりになった。車道では、車が時折ライトと水飛沫を残して通り過ぎていく。見落とされないように、慎重に歩道を歩いた。歩道の段差に溜まった雨水が、音を立てて早いスピードで流れていく。
 上り坂が終わって、下り坂になった。足が滑りそうで、太腿に力が入った。小田原城の隣で周囲に高い建物がないせいか、風にあおられる。風に体勢を崩されそうになって、柵をつかんだ。
(一歩一歩だ。一歩進んだらそのぶん、近づいてる)
 俺はそう自分に言い聞かせて、同じく反対側から歩いてきている夏海のことを思った。
 夏海も、つらい思いをしていないといいけど。
 視線の先にトンネルが見えた。
 暗くて、入るのに少し恐怖を感じる。遠回りになっても、小さい橋の方のルートを取るべきだっただろうか。
 でももう、まっすぐ行くしかない。
 トンネルの前にまた坂があって、大きな水たまりをそのまま突っ切った。足が冷えて、あまり感覚がない。
 そのまま、また坂を滑りそうになりながら上がる。
(思ったより明るいな)
 トンネルの内部は、電灯が設置されていて、思っていたよりも明るかった。雨も風も遮られ、とても静かになる。
 たまに車が車道を通り過ぎたけど、案外歩きやすかった。
(見た目より、楽なこともあるんだ)
 薄暗いトンネルは、まるで熱海に来たときの自分のようだと思った。逃げ出して周りを拒絶して、暗い自分だけの世界にじっとしようとしていた。
 でも案外、その中は悪くなかった。それなりに明るくて、風雨に遮られて、静かで、守られている。
 それに、車みたいに、ときどき人が現れていく。夏海とか、叔父さんとか、クラスメイトとか。
 トンネルが終わるところを確認して、俺は少し立ち止まった。雨が遮られているうちに、再度居場所を確認しておきたい。
(あと十八分)
 スマホに表示されている時間が減っていることに勇気づけられる。ラジオの英会話と同じくらいの時間で、夏海と会えるはず。
(交差点か)
 大きな交差点に出た。電線や街路樹が激しく揺れている。車に見落とされないよう、風にあおられつつもできるだけ早く横断した。
 横断すると「熱海方面」という壁に取り付けられている看板が見えた。熱海。その文字も、少し気持ちを温かくする。
 今朝出てきたばかりの、坂ばかりの海辺の街。
 本当は、今歩いているこことは全然違う、フィリピン海プレートに乗っている街。
『この街が孤独だと感じる人と、僕は恋がしたい。』
 机の上の夏海の丁寧な文字を思い出す。
(――孤独だ)
 周りで歩いている人はもう誰もいなかった。夜の台風の路上だ。もし看板か何かが飛んできて意識でも失ったら、もう誰にも気づかれない。
 俺は改めて、自分が孤独だと感じる。
『僕だけがこの場所で、世界に取り残されているように感じる。それで、僕は同じ気持ちを感じている人に、メッセージを送ったんです。そうして、あなたがそれを拾った。
 ねえ、あなたはどんな人ですか? どうして、この街を孤独だと感じたんですか?』
 夏海からの手紙を思い出す。もうひとりこの夜の中で、孤独になっている人がいる。だから俺は、孤独でなくなるように彼のところに向かっているんだ。
「橋だ……!」
 見えてきた鉄橋に、俺は思わず声を上げた。地図では橋は、かなり駅に近いところにあったはずだ。
「うわ、マジ飛ぶんだけど!」
 橋の上で、完全に遮るものがなくなっている。吹きつける風に、まっすぐ立っていられない。
 橋の柵をつかんだ。ごうごうと足元を川が流れていく。そちらに目をやると、かなり陸と水の距離が近い。水位が高くなっているのだ。
(もう海だよ、ここ)
 潮の匂いがする、と思って川の先に目をやると、もう視界の先には海が見えた。
(マジヤバくない?)
 海抜もあまり高くなさそうだ。俺は気持ちを切り替えて、橋を渡り切ることに集中した。
(次の一歩のことだけ考えろ、先は考えるな)
 なんとか橋を渡り切ると、また磯の臭いが強くなる。もうほとんど海のようだ。
「おっと」
 風で倒れていたバス停に引っかかりそうになったのを迂回して、先に進む。しばらく歩くと、自転車が何台か倒れている、開けた場所に出た。今日はあまり自転車が止まっていないが、駐輪場なのだろう。
(駐輪場、って駅だ!)
 俺は駆け出した。