この街が孤独だと感じる人と、僕は恋がしたい

「え、そうかな」
 意外だと言うように夏海は俺を見る。自分じゃ、わからないよな。
「うん。なんかちょっと、無理してるのかな、とも思うから」
 そうだった。
 最初に会ってケンカみたいになったときの、泣きそうな顔。今日みたいに、冗談っぽく恋愛の話をするときの、彼にまとわりつくさびしさと傷ついた雰囲気。手紙に書いてきた夢について、俺が話題にするまで口にしなかったところ。
 夏海はたくさんのあきらめを、いつも笑顔と明るさでごまかしている気がした。
 そういうところを見せられるたびに、守りたいとか、かわいいとか思う。自分にはそんなことはできないかもしれないけど、夏海にはそういう人がいるといい。
 そうしないと、彼はいつか壊れてしまいそうな気がした。
 夏海は黙ってしまったので、俺は闇の中でうごめく波を見つめながら、その音を聞く。
「……ほんとは、全部怖いよ」
 しばらくして、夏海が小さな声で言った。
 肩に触れる夏海の体温を感じながら、俺は耳を澄ませる。きっと、大事な話だ。
「さっきさ、映画監督になりたいって言ったじゃん」
「うん」
「あれさ、大竹監督がこっちに撮影に来たときにさ、毎日撮影見に行って、すごくしっくりきたんだ。オレは昔から、空想することの多い子供で、よく悪い未来を想像して泣いてて、母親に『夏海くんは男の子なのに、しょんないねえ』って困ったように言われてた」
 仕方がないな、みたいなニュアンスだったかな。
 前にも聞いた言葉の意味が頭をよぎる。やわらかいのに、なんだか見捨てられそうな気もして、怖い言葉だった。
「大竹監督はさ。ビターエンドを、すごく綺麗に作るんだよな。配信、デビュー作の一作しかねえんだけど、それを何十回も観た。悲しいことを悲しく感じることは悪くないって。あの人の作品はそう言ってて、オレはすごく救われた。オレはずっとそう思ってたけど、それに賛成する人はオレの周りにはいなくて。それで、オレは、監督と同じ方の人間なんだなって思った」
『日暮くん。オレはさ、逃げてもいいと思うんだよね』
 俺が夏海に謝った日。夏海は俺にそう言った。
 逃げてもいいってことと、悲しいことをちゃんと悲しく受け止めること。言われたときはわからなかったけれど、同じことのような気がした。
 夏海はいつも真剣だった。自分の気持ちを大切に受け止めようとしている。
「そうなんだね」
「で、小学校の授業参観のときに、将来の夢を言わされたことがあって。オレは映画監督になるって言ったんだよな。そうしたらさ、うち帰って父親に呼ばれてさ。『家族を養えねえ仕事は、仕事じゃねえよ』って。だからそれきり、オレは親の前では将来の夢はふとん屋を継ぐことって言ってるけど」
 そうつぶやいた夏海の声が震えていた。思い出して口にするのもつらいんだろう。自分にもそういう言葉があるから、わかる。
「どっちに行っても怖い。家族がオレに期待している未来に行くことも、それに逆らって生きることも。どの未来も不幸にしかならねえ気がして。本当は、なにもかもから逃げたい」
 さらに夏海が続けた内容も、俺にはよくわかった。
 自分は、もうすでに父親を失望させてしまったけれど。そのことを受け入れるのはものすごく怖かったし、今でも向き合えているとは言えない。
「わかるよ。俺は学校に行けなくなって、もう、親の期待する方に行くことができなくなった人間だけど。でも、親が失望したのを知るのはすごく怖かった。今も、親からの電話には出られないんだ」
 俺は振り返って、夏海の方を見た。
 月に照らされた夏海の頬が光っていて、彼が泣いているのがわかった。その頬に手を伸ばしそうになって、俺はまた、自分を抑える。
「夏海、きみに触ってもいい?」
「ん、何?」
「泣いてるから」
「あっごめん、カッコ悪ぃ」
 そうやって無理に微笑むあどけない顔が、痛々しかった。俺はその頬を拭おうと手を伸ばして、それでは足りない気がして、夏海を一気に抱き寄せた。
「大丈夫だよ、かっこわるくて。怖いよ、怖いのが当たり前だから」
『僕はまだ子供で、大人の優人さんが悩んでいることに、気軽に大丈夫だよとは言えないけれど、優人さんが大丈夫になれたらいいね。』
 夏海が書いてきた、まっすぐな手紙を思い出す。彼に大丈夫だって、自信を持って伝えられたらいいのに。俺は自分でも、未来は大丈夫なのかわからない。
 だけど、怖いことはかっこわるいことじゃない。それだけは伝えたいと思った。
 夏海はしばらく、そのまま泣いていた。俺はおずおずと、その背中を撫でた。
 しばらく空を仰いでそうしていると、一瞬、星が流れたような気がした。瞬きをすると、もう一度。でも、流れ星だって言って、泣いている夏海の気持ちをむりやり変えるのはよくない気がした。夏海はどこかで、ちゃんと弱いところを見せた方がいい。
 俺はそっと、心の中で流れ星に願った。
(俺が、夏海に大丈夫だって言えるような人になれますように)
 しばらくして、夏海が小さな声で、「ありがと」とつぶやいた。恥ずかしそうに顔を上げて、俺を見ている。
 俺も恥ずかしくなって、彼を離した。
「ごめん、わかるって言っておいて、俺もなんにもできないんだけど」
 俺がつけ足すと、赤い目の夏海が、小さく微笑んだ。
「そっかな。わかってくれる人がいるだけで、すごくたくさんのものをもらえる気がする」
 その笑顔を見ると、胸が震える。
 ――夏海が好きだ。他の誰かじゃなくて俺が、きみを守れたらいいのに。