この街が孤独だと感じる人と、僕は恋がしたい

『この街が孤独だと感じる人と、僕は恋がしたい。』
 
 夕陽の差し込む、夜間高校の机。
 俺――日暮澄人(ひぐらしすみと)は、そっとその机の上に鉛筆で書かれている文字を撫でた。丁寧できれいな文字。
 全日制、つまり、昼間にこの机を使っている誰か、他の生徒の落書きかな。
(俺と同じこと、考えるやつがいるんだな)
 黒板の端には、日本列島の地図。
 それは孤独な地図だった。
 伊豆半島だけ孤立している。見た目は周りと同じようなのに、実は中身は全然違う。まるで、自分みたいだ。
 ここ、伊豆半島に住む人ならだいたいみんな知っている話だけれど、日本列島の中で、伊豆半島だけがフィリピン海プレートに乗っている。
 本州の右半分が、北米プレート。もう半分が、ユーラシアプレート。そのどちらでもない伊豆半島はもともと島だった。フィリピン海プレートに運ばれて、日本列島にだんだんぶつかっていって、長い間に地続きになった。
 その半島の街のひとつが、俺がちょっと前に引っ越してきたこの街、熱海(あたみ)だ。
 この街に地震や火山が多いのはそのせいだ。坂だらけなのも。
 昔は全然、別の土地だったんだ。
(……この街が孤独だと感じる人と、僕は恋がしたい、か)
 伸びっぱなしになってしまった前髪に、窓から入る夕陽の光が透けている。「せっかくの顔を隠すなんてもったいない」とか、「カッコいいって言われるでしょ」とか。美容院に行くと、見た目を色々言われるのが苦手なんだ。
 だって俺が似ているのは、父さんにだし。
 あの人のことを考えると胸がキュッと苦しくなって、俺は息を吐くと教室を見回した。
 授業前の教室はにぎやかだ。
 作業着姿のおじさん、子持ちのギャル、老眼鏡を掛け直すおじいちゃん。学校に席はあったけど居場所はなくて、通っていなかった高校二年生二回目の俺。
 夜間高校には色々な人がいて、学年より一年遅れている俺が一番若いくらいだ。
 四月。東京から熱海に引っ越してきて、夜間高校に編入した。
 それから一か月ちょっと。前の学校と違って、通えているだけマシだけど、仲のいい友達はいない。
(ってか、そもそも友達ずっといないしなー)
 どこか遠くから届いた、海に流したボトルの中に入っていたメッセージみたいな落書き。
 これを書いたのは、どんなやつだろ? 男子? 女子? 僕と書いてあるからって、必ずしも男子じゃないかも。俺より年下? 年上? 全日制の生徒だったら、普通十六歳か十七歳だから、年下かな。
 何が好きで、何が嫌いな人? これを書いたやつは、どんな気持ちでこれを書いたんだろう?
 俺みたいにどこか、この世界になじめない感じがあるのかな。
 俺は、思わず苦笑する。
 誰かのことについて考えるなんて、いつぶりだろ。少しだけ楽しい。
『おまえは逃げてばっかりじゃないか』
 そう言った父の声が胸にこだました。そうだ、俺は逃げたから。
 俺は鉛筆をペンケースから取り出す。
 ――「わかる」。
 その三文字を下に書き込む。
(恋がしたい、かあ)
 恋。
 その言葉のイメージはふわふわして、はっきりとはよくわからない。初恋も、俺はたぶんしたことがなかった。
 クラスメイトが恋愛話で盛り上がっていたのをなんとなく聞いてはいたけれど、自分のこととして、考えるのは難しい。
 たしかに恋には憧れる。誰かにこんな俺を受け止めてもらって、大切に想ってもらいたい。だけど、クラスで友達もできない俺に、恋のハードルは高すぎる。
 そう思うとゆううつだ。これを書いた人みたいに、素直に『恋がしたい』なんて、言葉にする勇気は出ない。
 もちろんこのときの俺には、この三文字が自分に運んでくる恋のこと――あの苦しくて楽しくて、優しくて優しくなくて、とにかくやばい、恋って現象のことは、まだ一ミリも想像はできなかったんだ。