「っていうことがあってね」
「いや、『あってね』じゃないから。陽は昔から変なのに目つけられやすいんだから気をつけなさいって、私前々から言ってるよね?」
「もー、凛ちゃんお母さんみたいだよ」
「誰があんたのお母さんよ。お姉様と呼びな」
「はあい、凛お姉様」
幼馴染の凛ちゃんと僕は手芸部員だ。
今は部活中で、家庭科室が活動場所。
凛ちゃんはUVレジンが好きで、今はキーホルダーを作るためのドライフラワーを選んでいる。
色とりどりの小花がビーズケースの中に並んでいて、宝石箱みたいだ。
対して僕はもこもこの毛糸を使って、リボンを散りばめた猫耳のニット帽を作っている。
夏休みも終わり、秋冬に向けて作っているニット帽に加え、マフラーも制作予定だ。
僕たちはどちらも中性的な見た目と性格で、特に凛ちゃんは手芸部というギャップに驚かれることが多い。
ショートカットの髪に、大きな猫目。
身長も百六十八センチあって、なんと僕と全く同じだ。お揃いなのである。
正反対なところといえば、凛ちゃんの髪は黒髪でまっすぐストレートなのに、僕は元々髪が明るくてその上癖毛の猫っ毛だ。
雨が降ると、くるくるになって爆発する。
だから昔からまっすぐで綺麗な髪の持ち主である、凛ちゃんが羨ましかった。
彼女は幼い頃から、実の姉のようになにかと鈍臭い僕を助けてくれた。
今だって変なおじさんに声をかけられたと打ち明けたら、身内のようにかりかりしている。
「たまたま守ってくれた人がいたから良かったけど、今度から防犯ブサーとか持ち歩いたほうがいいよ」
「小学生が持ってるやつだよね。やだなあ、凛ちゃん心配しすぎだって〜」
「おいこら真城陽。よーく聞きなさい、あんたは可愛いの。男だけど、すごく可愛い! それをもっと自覚しなさい! だいたい、なにそのもちもちなほっぺ。大福なの? しかもでっかい目して、羊みたいにくるくるな髪の毛も愛くるしいし、あんたみたいなのが変なのに狙われるんだからねっ」
凛ちゃんは手に持っていたピンセットを机に叩きつけ、僕に指をさして怒る。
昔から公園や電車で変な人に声をかけられやすかった僕は、事あるごとにこうして凛ちゃんに気をつけろと言われてきた。
でも、なんだかんだ助けてもらえることが多くて、結果的に今までは大きな被害がなく過ごせている。
ただ、あんなにかっこいい人に助けてもらったのは初めてだ。
思い出すと、今もきゅんっと胸がときめく。
名前、知りたかったなあ、と彼の顔を思い浮かべた。
「……凛ちゃん、僕がゲイなのは知ってるよね」
「え? う、うん。それがどうしたの?」
凛ちゃんには中学生の頃にゲイだとカミングアウト済みだ。
彼女は「なんかそんな気がしてた」という一言で全てを受け入れてくれた。
でも、僕はまだ彼氏が出来たことがない。
高校生になったら、たった一人の大切な人と出会うのが夢だった。
「僕、気になる人出来たかも」
「へっ?」
「助けてくれたお兄さんに、また会いたい」
鍵棒をぎゅっと握り、お兄さんの顔を思い浮かべる。
一見怖そうな見た目なのに、笑うと表情が柔らかくなって可愛かった。
「だから、また明日お店に行ってみるよ!」
立ち上がると、がたんと音を立てて椅子が倒れた。
凛ちゃんは驚いて、目を丸くしている。
「あーもうっ。私は明日バイトだから着いて行けないけど、気をつけなさいよ!」
お母さんのような彼女に「大丈夫だよ、多分!」と答えて、座り直す。
お兄さんのことを考えると自然と頬が緩んでしまい、まったりと編み物を再開した。
*
次の日の放課後、学校で凛ちゃんから受け取った防犯ブサーを一応スクールバッグにぶら下げて、僕はまたgnuを目指していた。
gnuは最近オープンしたコーヒーショップで、深い紺色の塗装がお店の目印だ。
店内もモダンな雰囲気でお洒落だとSNSで紹介されていた。特にコーヒーが絶品らしい。
期待に胸を躍らせながら、昨日お兄さんに助けてもらった裏道をまっすぐ進み、右に曲がるとお店が見えた。
混んでるかと思ったけれど、外の窓からは店内にお客さんがいる様子はない。
少し重たい扉を緊張しながらあける。
「いらっしゃいませ」
カウンターの奥から聞こえてきた声は、僕の求めていたそれで。
「お、お兄さん……?!」
「あれ、この前の。もう来てくれたんですね」
お店の中には、黒いロンTを着たお兄さんが首からグレーのエプロンをかけて立っている。
どうやら店員らしく、カウンターの中から話しかけてくれた。
名前を知りたいと願った矢先の再会で、僕は舞い上がってしまう。そそくさとカウンターの前に行き、お兄さんを眺める。
「注文前なのにメニューじゃなくて、俺のことすげえ眺めてくんじゃん」
ふっとお兄さんは優しく笑い、目を細めた。
「あっ、注文忘れてました……!」
「初めてのパターンでおもろいんだけど。一応今日のおすすめはコロンビア産の豆だよ。酸味とコクのバランスがいい感じなんだ」
「じゃあそのいい感じのやつで」
「かしこまりました。カフェラテにする?」
「いえ、ブラックでお願いします」
せっかくおすすめしてもらったのだから、そのままの味を楽しみたい。
僕がブラックで注文すると、お兄さんは目を見開いた。
「へえ、ブラック飲めるんだ。見た目的に苦手そうだと勝手に思っちゃった、ごめんね」
「よく言われます。甘いもの好きそうとか、ピーマン食べれなそうとか」
「うん、言われそう。で、甘いものは好き?」
「はい。ケーキもクッキーも大好きです」
「そっか。じゃあ席でお待ちください。出来たら持っていきます」
ところどころ敬語とタメ口が混じったラフな接客だけど、お兄さん相手だと全然嫌に感じない。
きっと普段はきっちり接客しているのだろう。
てきぱきと動く彼がしっかり見えるように、窓際の席を選んで座った。
あまり見すぎると迷惑かもしれないので、一応手元に編みかけの帽子と毛糸、そして鍵棒を出した。
「お待たせしました」
少し待つとお兄さんが銀のトレーに乗せてホットのブラックコーヒーとお皿に乗ったチョコのチャンククッキーを差し出してくれた。
「それ、俺からのサービスね。また来てくださいって意味で」
「こ、こんなの頂かなくてもまた来ます!」
「いーの。怖い思いしたのに、gnuにご来店してくれてありがとうございますってことで、ね」
お兄さんはテーブルに注文の品を載せると、踵を返して戻ろうとしてしまう。
「あの、名前教えてもらえませんか……っ」
僕は立ち上がって、お兄さんに聞く。
他にお客さんがいなくてよかった。
振り返ったお兄さんは、にやりと意地悪な顔で笑う。
「ユウガ。名字はまた今度。てか、多分いつか気がつくと思うけど」
「‥‥ユウガさん」
「さん付けじゃなくていいけど、まあいっか。君の名前、陽でしょ。真城陽」
「な、なんで僕の名前知ってーー」
知ってるんですか、と聞こうとしたら、ユウガさんは僕の口に人差し指を優しく押し付けた。
「今は秘密。多分、分かる時が来るよ。そん時にまた話しかけて」
また、甘い香水とコーヒーの香りが混ざった彼の香りがした。
どきん、と心臓が大きく跳ねる。
「それじゃあ、ごゆっくりお過ごしくださいませ」
僕は数秒茫然としてから、大人しく座り直した。
ユウガさんはカウンターに戻って、なにやら作業している。
彼を時折ちらちら見つめながら、コーヒーを飲んだり、クッキーを食べたり、編み物をして過ごした。
おすすめしてくれたコーヒーも、サービスのクッキーも美味しくてまた来ようと誓う。
本音を言えばもっとユウガさんと話したいけれど、仕事の邪魔をしてはいけないと思って我慢した。
だって、なんで僕の名前知ってるのか気になりすぎるし!
ていうかさっきのやつ、あんなのみんなにやってるの?
ただでさえかっこいいのに、唇に指が触れるなんて、そんなのドキドキしちゃうじゃん!
心の中は忙しなくて、僕は編み物をしていても集中出来ずに彼のことばかり考えていた。
帰る時間になると、お会計をするためにレジに行くとユウガさんが僕のカバンについた防犯ブサーをまじまじと眺めている。
「これは、幼馴染の子が危ないからってくれて」
「まじかって思う俺と、納得してる俺がいる。なにこれ、複雑」
「僕の流石に過保護だなって思ったんですけど、貰ったので一応つけました」
「真面目なのがさらにおもろい。うん、まあ、でも君可愛いからつけておいたほうがいいかもね」
「えっ?」
「ん?」
だって、今可愛いって。
都合のいい幻聴だった?
何事もなかったかのように、お兄さんは笑顔の仮面を貼り付ける。
僕だけが顔を赤く染めており、会計を済ませる間は緊張して一言も話せなかった。
「またのご来店、お待ちしております」
ぺこりと頭を下げたお兄さんが映る視界を分厚いドアが遮った。
なぜか閉まってしまうのが少し寂しくて、帰りの電車内ではお兄さんとの会話を頭の中で反芻しながら揺られてた。
家に帰ってからも彼のことが脳裏から離れず、思わず凛ちゃんに電話する。
「ねえ、助けてくれたお兄さんが僕の名前知ってたんだけど……!」
僕が興奮気味話すと、凛ちゃんは「は?」という短い感想を述べた。
「もしかして、その人同じ学校なんじゃない?」
僕の強い味方、名探偵凛ちゃんだ。彼女の勘は昔からよく当たる。
「凛ちゃん‥‥っ! 明日、ユウガさんを探せツアー、開催しよ!!」
僕はベッドの上で拳を上げ、声高らかに提案した。
凛ちゃんが呟いた「なにそのだっさいネーミング‥‥」という言葉は聞こえないふりをして、電話を終える。
明日への期待を込めて、部屋の窓から星空を眺めた。
*
「それでは、『第一回ユウガさんを探せツアー』を開催します」
「第一回ってことは、二回目もある前提なの?」
「もちろん。見つかるまで探すよ」
げっそりした顔の凛ちゃんは、面倒くせえという感情を惜しみなく全身から溢れさせている。
僕たちは各々のクラスで早々にお弁当を食べ終え、教室の前の廊下に集合した。
「さ! 気張っていこう」
「くそう、同じ学校とか言わなきゃよかったあ」
猫背になっている凛ちゃんを引っ張りながら、まずは二年生の教室に向かう。
流石に一クラスずつ覗くことは難しいので、廊下に出ている人を観察した。
「んー先輩っぽいと思ったけど、二年生にはいなそうだなあ」
「じゃあさっさと三年生のところ行こ。さっきから一年生が来てるって、ちょっと目立ってて気まずい」
「はあい」
早足で三年生のところへ向かう凛ちゃんに着いていく。
でも、結果は虚しく三年生にもユウガさんはいなそうだった。念のため図書室や体育館、生徒会室も探したが一向に彼らしき人物は見当たらない。
「今回は私の勘が外れたね」
「そっかあ、残念だけど着いてきてくれてありがとう」
「いいよ。また今度二回目開催しよ」
なんだかんだ付き合ってくれるのが、凛ちゃんの優しいところだ。
昼休み明けに小テストがあるらしく、彼女は自教室へ帰って行った。
ちょうど僕も世界史の先生に用があったことを思い出して、職員室へ向かう。
目の前からはクラスメイトの灰谷くんと思われる男子生徒が歩いてきた。
実は、彼とは一度も話したことがない。
一匹狼な彼のことがちょっぴり怖いのだ。
目を合わせないようにすれ違った時、知っている香りが鼻を掠めた。
「ユウガさん‥‥?」
ぴたりと灰谷くんの動きが止まる。
あれ、待てよ。
灰谷くんの下の名前って確かーー
振り返った彼が、鋭く尖った犬歯を見せて笑う。
「ようやく気がついたか。真城ってめちゃくちゃ鈍くせえのな」
振り返った拍子に長い前髪から覗いた顔は、あの日助けてくれたそれと全く同じだった。
だけど、ピアスもしていなければ、髪を下ろしているから青いインナーも見えない。
一言で表すと、今の彼はとても地味だ。
だけど、彼があの『ユウガさん』だと思うと、急に意識してしまう。
「で、でもっ、ピアスとかっ! あと雰囲気も全然違うし‥‥!」
「あー、それなんだけど‥‥ここじゃ目立つな、ちょっと来い」
彼の長い腕に引かれ、空き教室に連れ込まれる。
すぐに扉を閉めて、壁に追いやられた。
「あんま騒ぐと、口塞ぐぞ」
僕の背は壁にべったり張り付いていて、左右の逃げ道を塞がれている。
先程までは地味だったのに、雰囲気ががらっと変わり、灰谷くんの瞳はぎらぎらしているように感じた。
目の前の彼は正しく僕を助けてくれたお兄さんで、よくもまあ上手に気配を消しているなと感心してしまうほどだ。
「か、隠してるの?」
「隠してるっつーか、色々あって学校では封印してんだよ。だから誰にも言うな」
「言いふらしたりはしないけど‥‥」
「けど、なに?」
僕は恐怖を必死に抑え、顔を上げる。
「灰谷くんと仲良くなりたいのは、だめ、ですか」
『ユウガさんを探せツアー』は思わぬ結末を迎えたけれど、大切なのはこれからだ。
大きなギャップを秘めている彼は、僕にとって未知の領域で気になってしまう。
同じクラスなら、尚更だった。
ぱちぱちと数回瞬きをした灰谷くんは、顔を綻ばせてくつくつと喉を鳴らした。
「お前、やっぱ面白えわ。仲良くなりたいとか、普通面と向かって言わねーよ」
「ええっ、面と向かってじゃなかったらなにで言うの? ライン?」
「そういうことじゃねえよ、笑わせんな」
僕はとても真面目に聞いているのだが、灰谷くんのツボに入ったようで口元とお腹を抑えて笑っている。
「くそ天然だな」
「なんか、灰谷くんって『ユウガさん』の時より口悪いね」
「ありゃ接客モードだからだ。賃金が発生してんだから、少しは俺だって気ぃ遣うっての」
「ふうん、だから僕のことも『君』とか大人っぽく呼んでたんだ。今は『お前』に『くそ』だもんね」
「逆に真城は見た目に反して、結構口数多いよな。もっとふわふわなに考えてっか分かんねえ感じだと思ってた。あと意外と積極的で困ったし」
「僕、困らせてたの?」
「gnuは叔父さんの店だから、表で話すとバックヤードで作業してる叔父さんに話し声聞こえんだよ。あん時俺のことクラスメイトって気づいてなかったし、べらべら話すと後で怒られるからわざと距離とってたってわけ」
「なんだ、僕迷惑がられていたのかと思った」
実はコーヒーショップでやんわりと会話を拒否されたことを気にしていたので、理由が判明してほっと胸を撫で下ろした。
「別に迷惑じゃねえよ。お前は俺のこと怖がんないから話しやすいしな」
「怖がられるって、なんで?」
僕が聞くと、灰谷くんは頭をぽりぽり掻いて気まずそうに答える。
「あー、見た目とか雰囲気とかじゃね。ピアスめっちゃつけてて、俺背も高いし、なんか色々難癖つけられやすいんだよ。ガチだりぃわ」
「え、なにそれ、意味分かんない。灰谷くんのファッション素敵じゃん。ピアスバチバチなのも、全体的に黒めでダウナー系っていうのかな、気だるい感じもファッションと雰囲気合ってて相乗効果生まれてるし、髪結んでインナーカラーが浮き出るのもめちゃくちゃお洒落だし、だから文句とか言ってくる人の気がしれないというか、もごっ」
僕はまだ話途中なのに、灰谷くんの大きくて骨ばった手で口を塞がれた。
「十分伝わったって。だからもー終わり、な」
彼の表情はすんとしているが、明らかに耳が赤く染まっている。
もしかして照れているのだろうか。
思わず視線を彼の顔に集中させてしまう。
なんだか少し、可愛いと思ってしまう僕がいる。
「‥‥お前、見過ぎだ。そのでけえ目で見つめられるとそわそわすんだよ」
「もごっ、もごごっ」
「あーもう、なに言ってるか分かんねえ」
「ぷはっ、いや、灰谷くんも照れたりするんだなって思って」
僕が微笑むと、灰谷くんは一歩後ろに下がって威嚇するように頬まで赤らめて睨んでくる。
「照れてねえよ!」
大概彼も嘘が分かりやすい。
なんだか、僕たちは仲良くなれそうな気がした。
「昼休みも終わっちゃうし、そういうことにしておこう」
「おっ前なあ、覚えとけよ」
「灰谷くんが本当の姿を隠したいことは覚えたよ」
「だからそういうことじゃねえっての」
扉を開けて外に出ようとすると、また腕を引かれて一歩後ろに下がる。
とん、と彼の体に触れて、耳元に彼の顔が寄せられた。
「gnuに来る時は一人で来てくれ。俺はお前以外と馴れ合うつもりはねえ」
荒い言葉と掠れた声が合わさって、強い刺激へと変化する。僕は咄嗟に耳を両手で覆った。
「ふうん、耳、弱いんだ」
ぺろりと彼は舌舐めずりをして、捕食者のような瞳で僕を見る。
「別に弱くありません!」
「ふはっ、敬語。ウケる」
結局灰谷くんと話しすぎて、職員室には行けなかった。
彼は教室に戻ると、また無言になって目立たないように気配を消していた。



