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月日は流れ、気がつけばもう三月になっていた。
藤青野球部はなんとかセンバツ出場を果たし、私もようやく、マネージャーの仕事が少しずつ板についてきたように思う。
相原先輩と辻先輩は、揃ってドラフト指名を受けた。
相原先輩は一位指名、辻先輩は三位指名で、それぞれ別々の球団にプロ入りを果たした。
赤坂先輩は、持ち前の学力を活かして医療の道へ進むらしい。――きっと、空さんの影響だと思う。
川崎さんや美和さんも、それぞれ医療系の進路に進むとメッセージをくれた。
今になって、私は強く思う。
――やっぱり、空さんは今も生きているんだ、と。
空さんは、相原先輩には「自分の道を行け」と進むべき道を示し、
藤青野球部には、てっぺんを目指す意味を託した。
そして、赤坂先輩や川崎さん、美和さんには、生きざまを通して命の尊さを伝えた。
みんな、それぞれが――空さんの生きた証を胸に抱きながら、前に進んでいる。
だから、自然と強くなれる。
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「彩ー! もうすぐ卒業式終わるって! 行ってきなよ、相原先輩のとこ!」
ちょうど練習が休憩に入ったタイミングで、真帆が笑顔で声をかけてくれた。
「あ、うん! ありがと! 行ってくる!」
私は、大きな花束を片手に、体育館へと駆け出す。
あとから野球部のみんなも来る予定だけど、私は一足先に向かう。
――相原先輩に、想いを伝えるために。
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「……卒業生代表、相原青!」
体育館の前を通りかかったとき、先生の声が聞こえた。
あっ、そういえば――
『青がさ、俺らの代表で答辞読むんだよ……。青、ぜってぇなんかやらかしそう……』
赤坂先輩がため息交じりに真帆へ話していたのを思い出す。
私は、相原先輩の答辞が気になって、そっと壁に寄り添い、耳を澄ませた。
「俺たち、359人は今、この藤青学園を旅立ちます。……って、こんな堅苦しいのは俺っぽくないな。やめた!」
――ええぇ!?
や、やめたって……それ、アリなの!?
思わずいてもたってもいられなくなって、私はそっとドアを開け、体育館の中を覗いた。
ステージの上には、堂々と立つ相原先輩の姿。
焦る先生たちと、クスクス笑う生徒たち。
でも相原先輩は動じることなく、原稿を丁寧にたたんで胸ポケットにしまい、マイクを自らの手でしっかりと握った。
――あの甲子園の舞台でも堂々としていた相原先輩。こういう場面でもやっぱり強いな。赤坂先輩の予言、大当たりだ……。
「まずは、この場を借りて、卒業式を迎えられなかった一人の生徒のことを話させてください。水木空。彼女は、みなさんご存知かと思いますが、癌を患い、今年の春、亡くなりました。俺の幼馴染で、そして――俺の彼女でしたえー……まず、この学校で卒業式を迎えられなかった、水木空のことを話させてください」
相原先輩の声に、会場の空気が一瞬で変わる。
私は、固唾をのんで見守っていた。
「空は、俺に身をもって教えてくれたことがあります。それは――“自分の道を見失わないこと”です。俺たちは今、当たり前のように息をして、歩いて、話して、笑って、恋をしている。けど、もし突然、それが当たり前じゃなくなったら?俺も……一度は、自分の時間を失いました。でも空は、それ以上に、日常を少しずつ奪われていった。体力も、自由も、大切にしていた髪も――そして、命までも。それでも彼女は、亡くなるその瞬間まで、自分の信じた道を歩き続けたんです。決して、自分を見失わなかった」
相原先輩の声が、ところどころ震えている。
あの大舞台を戦った人が、こんなにも緊張しているのが伝わってくる。
「空は何度も、俺に言いました。『ちゃんと、自分の道を行け』って。他人に流されず、自分をしっかり持てって。それは、これからの俺たちに、何より大事なことだと俺は思います。社会に出れば、たくさんの誘惑や迷いがある。でも、空が教えてくれたことを、俺は絶対に無駄にしません。全国に名が知られた“藤青”の卒業生として、人生の最後まで、自分の道を見失わずに進んでいきます」
そう言って、相原先輩は少しだけ表情を和らげる。
「俺と空を、温かく見守ってくださったすべての方々に――心から、ありがとうございました。
××年3月12日、卒業生代表、相原青」
最後の言葉をゆっくりと紡いだあと、相原先輩は深々と頭を下げた。
いつの間にか、私の頬を涙が伝っていた。
慌ててそれをぬぐいながら、心の中で語りかける。
空さん、ちゃんと聞いていましたか?
空さんがいたから、相原先輩はあんなにも強くて、かっこいいんですね。
だから、あんなにも人を惹きつけるプレーができるんだ。
……大丈夫ですよ。
相原青は今日も、自分の道をまっすぐに、生きています。
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「相原せんぱーい!」
卒業式の余韻が残る校庭。帰ろうとしていた相原先輩の背中を、私は思いきって呼び止めた。
「お前……部活は?」
相原先輩が少し不思議そうな顔でこちらを見る。
卒業式は3年生のみの開催。
なんで私がここにいるのか、不思議に思って当然だ。
私は、そんな視線に構わず、両手で持っていた大きな花束をぐっと押しつけた。
先輩はちょっと困ったように笑いながら、「おお、サンキュ」って言ってくれた。
「おめでとうございます!……あと先輩、嘘つきましたね?」
「は?」
「空に恋してるって、あれ嘘ですよ。私が言った“空”って、こっちの空のことだったのに……」
私はそう言ってあの時と同じように、人差し指を掲げた。
「あー、もしかしてお前……卒業式、体育館の壁にでも張りついて、盗み聞きしてただろ?」
その言葉に、私の顔が自然とほころんだ。
……そういうことにしておこう。
「ずっと前から知ってました」なんて言ったら、先輩が可哀想だから。
「バレました?」
「バレバレだ」
「マネの仕事はちゃんとやってますから!……それより、言いたいことがあるんです」
――さあ、言おう。ちゃんと、伝えよう。
『……空のかわりになれなんて言わない。今の彩ちゃんのままで、青くんを支えてあげてほしい。そして、いつか自分の気持ちを伝えてほしい。たぶん、それは空も思ってると思う』
あの夜、美和さんがくれた優しい言葉が、胸の奥からよみがえる。
『俺からも頼む、彩。あいつ、筋金入りの野球バカで、空バカでもある。正直、扱いづらいかもしれない。でもな……お前なら、ちゃんと支えられる気がするんだ』
川崎さんの言葉が、私の背中をそっと押す。
空さん。
私の、最後のわがまま。見守ってくれますか?
今、あなたの大切な人に、想いを伝えます。
「私、先輩のこと好きですっ」
言った後からどんどん顔が熱くなるのがわかる。そして目線は下がり、顔なんて上げられるわけがない。
胸の奥で、心臓がドクンドクンと音を立てる。
「……ありがとな、彩。じゃあ、マネージャー頑張れよ」
――えっ?
返ってきた言葉があまりにも軽くて、私は思わず顔を上げた。
でも、もう相原先輩は背中を向けて歩き出していて……。
え、え、え? ちょっ……!
「え……返事は……?」
すると、少しだけ立ち止まって、肩越しに先輩が言った。
「……今年の夏、藤青が連覇したら、そのとき教えてやるよ」
――なんという無茶振り。でも――
その言葉が、信じられないほどあたたかくて。
気づけば、私は笑っていた。
私は、大きな声で叫ぶ。
「ぜったいに勝ちますからーっ!」
その言葉を、先輩の背中に思いきり投げつけた。
やっぱり、相原先輩は相原先輩だ。
変わらない、強くて、少し意地悪で、でも優しい人。
――ねぇ、空さん。
空さんが好きになった人は、やっぱり素敵でした。
そう思いながら、私は真上に広がる青空を見上げて、そっと微笑んだ。
今日の空は、まるで――空さんが見守ってくれているように、やさしく、やさしく笑っていた。



