ダンス部が占有する放課後の体育室。
 汗とシューズの匂いがするこの場所で、音楽をガンガンにかけて体を揺らすのが好きだ。
 楽しい、気持ちいい、ストレス発散。ううん、それだけじゃない。
 ここは『青春してる理想の私』を実現させてくれる場所だから。

「ねー、みんなアップ終わった? じゃあさっそく、アレやってみようか」

 一通り自由に踊ってからそう声を投げて、私はiPadからテンポの速いJ-POPをスピーカーに飛ばした。
 次のオーディションの課題曲。
 昨日発表されたばかりのそれが大音量で流れ始めると、広がって基礎練をしていた部員たちが駆け足で集まってくる。
 予想どおり、顔にはちょっと不安の色。

「りりあ~、待って。さすがに早いって!」

 みんなの心を代弁したのは、副部長の菜々美(ななみ)
 大げさな声をあげながら、私を制止するように腕にからみついてくる。

「昨日の今日だし、まだ覚えられてない人ばっかじゃん?」
「うーん、たしかにね……」

 グループラインにコーチから振りの動画が送られてきたのは、夜の10時過ぎ。
 基礎体力のある私たち3年はともかく、入部したばかりの1年生はクタクタで既読すらつけてないかもしれない。

「でも7日後なんて、あっという間だから。みんなでどんどん練習した方がいいと思うの」

 部内で開催される選抜オーディションには経験の有無は関係なく、基本的に全員参加が通例だ。
 夏の大会メンバーになれるかどうか、泣いても笑ってもその1回で決まってしまう。時間の許すかぎり、体に振りを叩きこんだほうがいい。
 
「分かってる、分かってるんだけどぉ。あのナンバー自体が無理ゲーじゃない?」
「たしかに難しいよね。首と手の動きが特に細かくて、動画じゃ分かりづらかったし」
「そうそう。あれ一発でできるのなんて、りりあくらいじゃん?」
「そうは思わないけど……」
「ってことで、お願い♡ いっかいみんなに見本見せてよ」

 菜々美が甘えた声で私を煽ると、静観していた部員が期待の目を向けていっせいに拍手をした。
 
「りりあ部長、お願いします‼」
「動画を撮らせてもらっていいですか?」

 こんなふうに懇願されるのも想定してたから、実は完璧に振りは入れてきてる。睡眠時間はだいぶ削ることになったけど。
 それでも頼られるのは嬉しいし、さすがりりあ!って思われたい。

「うん、いいけど。私もあんま得意なジャンルじゃないよ?」

 わざと控えめに笑いながら、私はゆっくりと最前列の中央に立った。
 流れる曲の合間にロンTの袖をまくって、手の動きを見やすくする。首の細かいフリを伝えるために、長い髪もキュッと1本に結い上げた。
 揚斗(あげと)高校ダンス部。4月時点で部員は108人。
 私の一挙手一投足を見逃すまいとする熱視線の束が心地よくて、快感に脳がゾクリと震える。

 サビに向けてテンポが加速する曲。入りこむ音を細かく拾いながら全身を弾ませて、私はグッと床を踏みこんだ。
 ダッ! タッ タタタン。
 正確なステップとボディーコントロールには自信がある。だって7歳からずっと絶え間なくリズムを刻んできた。
 鋭いターンに計算された表情を加えて、無駄のない完璧なダンスができるのが私。
 スポットライトが一番当たるステージのど真ん中こそが、私が輝ける唯一の場所なんだ。

 音が途切れると、拍手と喝采が私を包む。

「やっぱ上手いわぁ。次のオーディションも、りりあが1位で決まりだね!」
「そうかなぁ」

 表向きは謙遜しつつも、当然でしょ? って思ってた。オーディション1位通過=夏の大会のセンター。全員に平等にチャンスがあるとは言え、スキルもビジュアルも、努力も信頼も。私に勝てる人なんてここにはいない。
 入部してからずっと不動のセンターとしてみんなを引っぱってきたつもり。
 だけど私はここんとこずっと、今までに経験のない焦燥感に駆られている。

「うわぁ、すごい……」

 吐息がもれるような、誰かの詠嘆(えいたん)が聞こえた。
 体育室の端っこ、目立たない場所。そこで練習を始めた1人の部員に、みんなの視線が吸いとられる。
 同級生の紗英(さえ)
 特にお洒落でもないクセ毛のショートヘアーに平凡な顔立ち、ダンサーとして恵まれてるとは言い難い小枝みたいな体。
 スキルも経験もたいしたことないこの子が、みんなの目には光って見えるのはどうしてだろう。

「上手くなったよね~、紗英。ってか、表現力エグッ」

 目線をあっちに向けたまま、菜々美が嬉しそうに呟いた。

「そうだね」

 短く返した自分の声が思いのほかトーンダウンしてるのに驚いて、咄嗟に口元を手で隠す。
 高校からダンスを始めたという彼女の急成長を、私は菜々美みたいに素直に喜べない。たった2年で何でここまで? モヤモヤした気持ちを奥底に押しこんで、笑顔を作る。
 ループしていた曲が止んで、紗英とふと目が合った。部員の合間を縫うように小走りで駆け寄ってくる。

「りりあ、私のダンス見てくれた? どうだった?」
「うん……イイと思うよ。ちゃんと振りも入ってるし、手の動きがキレイだし」
「良かった~! りりあにそう言ってもらえるなら安心! でも曲が速いから、足がちょっともつれるとこがあるの」
「……そう?」
「うん、靴が重いのかなぁ」

 紗英は不満そうに唇を尖らすと、視線を落としながらつま先をケンケンと床に打ちつけた。
 派手カワなピンクのダンスシューズ。細いゴールドの三本線が珍しい、私も欲しかった現定色だ。初心者の紗英にはもったいない。

「私も……同じメーカーのシューズ履いてるし。重すぎるってことはないと思うよ」
「あはっ。じゃあ音についていくには、もっと練習しなきゃってことだね。頑張るっ! 絶対にりりあと一緒の選抜チームに入りたいもんっ」
「そうだね」
「ねえ、いろいろ教えて? りりあのダンスってカッコいいから参考にしたいの」
「……」

 正直、紗英のこういう天然で能天気なところが苦手だ。
 108人中、31人しか大会に出られなくて。その中でも前列で踊れるのは数人で、センターはたった一人しかいなくて。そんなピリピリした中ライバルに気軽に教えを請う、その図々しさが理解できない。
 正直、彼女には教えたくなかった。何年もかけて私が地道に習得したものをタイパコスパで真似されて、これ以上楽に差をつめられたくなんかない。

 でも私がなりたい『完璧な理想のりりあ』は、そんなセコいこと言わないから。誰にでも優しくて余裕があって、秀でた才能でキラキラ輝く絶対的センターだから。
 私はいつものように”出来る子の仮面”をはりつけて、快諾するしかなかった。


 *

 めいっぱい練習しても足りなくて、夜空の下でステップを踏みながら家路を急ぐ。帰宅はたいてい9時過ぎ。
 キッチンではママが忙しそうに、私のタイミングに合わせて夕ご飯を準備してくれていた。そしていつもの言葉を投げてくる。

「お帰り。今日もダンスは楽しかった?」

 どうだった? って聞かれれば、喜びも悲しみも打ち明けられるけど。楽しかった? って言われたら、「うん!」って頷くしかできない。
 私は重い部活リュックを背負ったまま小さく笑った。

「今夜はりりあの好きなスープカレーを作ったから、たくさん食べなさい」
「ありがと」
「まだ夜は寒いでしょ? お風呂もすぐに入れるようにしてあるから、ゆっくり温まって」
「うん、ありがと」
「そう言えば新しいウェアも買っておいたわよ。欲しがってたブランドのセットアップ、脚長効果も抜群よ♡」
「わ~、ありがとう」

 ママはいつ優しい。私を気遣って支えてくれる唯一無二の存在。最強の味方で、最高の理解者。
 でも――。

「もうすぐオーディションでしょ? こんなに応援してるんだから、絶対に1位通過してよね!」
「う、うん……」

 ママの推しは『ダンス部センターのりりあ』。
 惜しみなく時間とお金をつかって愛情を注いでくれるのは、『完璧な理想の私』にだからだ。
 胃がキリキリする。

「……あのね、今回の課題曲、ちょっと難しいんだよね」
「そうなの? でもりりあなら大丈夫でしょ、今までだってメンバー入り出来てたんだし」
「もちろん、上位には入れると思うよ。振りはもう完璧だし、まだ練習時間もあるし。でもみんなも頑張ってて……」

 紗英の顔がチラリと脳裏を過った。
 だからセンターは難しいかもしれないって、防衛線を張ろうとして。ママの笑顔に言葉が淀む。

「心配いらないわよ~。りりあは10年以上もダンスを続けてるんだから」
「……っ」
「今年の新入部員だって初心者が多いんでしょ? 部長なんだし前回もセンターなんだし、今さらりりあが負けるわけないじゃない」
「そう……だね……」
「楽しみにしてるからね、夏の大会」
「うん……」

 やっぱり、負けられない。1位を誰かに譲るわけにはいかない。ママのためにも、私はステージのど真ん中に立たなきゃダメなんだ。
 まだ下ろせずにいる部活リュックが、何だかさっきよりもズッシリと重く感じる。

「とりあえずカバン置いてくるね」

 できるだけ高い声をあげて身を翻し、私は2階の自分の部屋へ駆けこんだ。
 パタンと扉を閉めて1人になると、今度はハッキリと紗英の顔が思い浮かぶ。そして独り言ちる。

「やっぱ、邪魔だな……」


 4月最後の月曜日、決戦まであと七日。