確かに俺は普段食べないものが食べたいと言った。好きな食べ物を聞かれて「いちご」と答えたこともある。でも、こんなのは罰ゲームだろ。
「ま、じで、入んの?」
春の柔らかな日差しが差し込む、日曜日の午後二時。意気揚々とホテルのロビーを抜けたのも束の間、俺の足は全く進まなくなる。
レセプション前のソファには予約時間になるのを待つ人たちの姿があり、お店の前には白とピンクを基調としたフォトスポットができている。クラスの女子たちが好きそうな「映える」というやつだ。案の定、まわりにいる女子の多くがスマートフォンを手にしている。というかほぼ女子しかいない。
「好きだろ? いちご」
なんの動揺も戸惑いもなく綾人が振り返る。予約した本人だからかもしれないが、この状況はさすがに何か思うところがあってもいいのでは? むしろ俺が困っているのを楽しんでるとか?
「いちご狩りも考えたんだけどさ、車ないと難しくて。制限時間あるのもどうかなって思ったし。せっかくなら好きなものたくさん食べられるほうがいいじゃん?」
へへ、と少しはにかんだように笑う顔からは俺を困らせようとか揶揄おうとかいう気は全く感じられない。罰ゲームになりうるなんて思ってもいないのだろう。そういうところがさぁ……。
「――ご案内します」
名前を呼ばれ、店内へと通される。ホテルのロビーに併設されたカフェはクラシカルな家具で統一され、落ち着いた雰囲気だ。さっきまで女子の多さに気を取られていたけど、そもそも高校生が来るようなところではない気がする。それも男子二人で。「誕生日のお祝いしてやるから」と言われ、ホテルに着いたときは、予想外だったのとテンションが上がったのもあってよく考えていなかったが。
そもそも俺たちってどう見えているのだろう?
「わー、めっちゃテンション上がるやつ」
案内されたテーブルにはメニュー表もコースターも繊細な切り絵が施されていた。桜色はとても綺麗だけど、どうしたって可愛らしさを感じてしまう。女子と来るべき場所だよな、ここ。
「どした? びっくりしすぎた?」
まわりは女子かカップルしかいない。どうしてそんなに気にせずいられるのだろう。俺は誰かに見られているんじゃないか、笑われているんじゃないかって気になってしまうのに。
「あー、いや、そう。まさかこんなところに連れていかれるとは」
「へへ。バイト頑張ったからな」
「それは知ってるけど……」
おかげで放課後一緒にいられる時間が減ったのだから。
「俺がバイトばっかで寂しかった?」
「なわけないし」
「えー、ないのかあ。そっかあ。あ、俺これにしようかな」
瑠衣は? と屈託のない笑顔で尋ねられ、きゅっと胸が詰まる。寂しさに似た痛みに「ああ、そうだった」ともう何度も思い知らされた事実を飲み込む。綾人にとって俺はただの友達。友達だから何も気にならない。友達と来ているだけなら、戸惑う必要も萎縮する必要もない。
俺だけなんだ。俺だけが気にして、期待して、勝手にイライラしてしまう。なんでただの友達なのにここまでしてくれるんだよって。嬉しいはずなのに苦しくて、心がガサつく。それは声にも出てしまっていた。
「てかさ、俺たちみたいなのが来るところじゃなくない?」
注文を終え、ゆとりのある椅子に深く体を預ける。照明は絞られていて、綾人の顔にも薄く影がかかっていた。
「……予約するとき、めっちゃ緊張したわ」
「電話?」
「ネット」
「ポチって終わりじゃん」
「指震えたわ」
「絶対ウソ」
「本当だって」
自然とこぼれた笑いに、逆立っていた気持ちが撫でられていく。結局、俺はこれを手放すのがこわいのだ。同じように意識してほしいと思うのに、こうやって普通に笑える距離のままでいたいとも思う。気づいてほしいけど気づいてほしくない。綾人を思うとき、いつだって俺の中には矛盾が生まれる。
「そういえばさ、さっき言ってた『俺たちみたいなの』って何?」
「何って、ほら……カップル以外はみんな女子の友達で来てるし、高校生も俺らだけっぽいし」
並んで座る男女のカップル、写真を撮り続ける女子二人組。目に入る距離には男子高校生二人組なんてどこにもいない。
「――じゃあ、やめる?」
ピンと糸が張ったような、先ほどとは違う声だった。
「やめるって……」
綾人は笑っていない。ただまっすぐ静かにこちらを見ている。もしや怒らせた? 思えば俺はお礼も言わず文句しか言っていない。綾人は俺のために準備してくれたのに。俺だったらとっくにキレているだろう。帰りたくなって当然だ。
「ごめ」
「友達」
重なった言葉に顔をあげる。友達? 友達って言った? 友達やめるってこと? そんなに俺は綾人を怒らせたのか。友達をやめたくなるほどに。取り返しのつかないことをしたのだとようやく焦りが沸き立つ。とにかく謝って許してもらわないと。友達ですらいられなくなるなんて絶対に嫌だ。
ごめん、ともう一度頭を下げるより先、にっと綾人が笑顔を見せた。
「高校生はやめられないし、性別も変えられないけど、友達はやめられるだろ?」
とても絶交を言い渡しているような顔ではなく、セリフと表情のギャップに混乱する。
「カップルならここに座ってても気にならないんだろ?」
「カップル?」
「さっき言っただろ、カップル以外は〜って」
――カップル以外はみんな女子の友達で来てるし、高校生も俺らだけっぽいし。
「えっと、それって……」
どういう意味? と尋ねるより早くテーブルに影が落ちる。
「お待たせしました」
顔をあげれば、アフタヌーンティーセットを持ったウェイターが立っていた。穏やかな微笑みには「何も聞いていませんのでお気になさらず」と書かれている……気がする。
「こちら上から順にご説明します」
説明なんて何も入ってこない。綾人は「へえ」とか「美味しそう」とか言っているけど。俺の頭の中は「友達」と「カップル」の二単語に支配され、説明の声は右から左へと流れていく。
「――ごゆっくりお過ごしください」
ふっと声が途切れ、静かなBGMが戻る。
「えーっと……」
口を開いたものの言葉が続かない。友達やめて? カップルになりたいってこと? 俺と? 聞きたいことはずっと浮かんでるのに声にならない。さっきまでは勢いで聞けただろうけど、一度中断してしまうとなんか難しい。
「食べるか」
ぱん、と小気味よい音とともに綾人が手を合わせた。
「え、食べるの?」
さっきの会話の続きは? ていうか、こんな状態で食べられる? 味なんてわからなくない? それともまた俺だけが意識してるのか? 俺の心臓はもうずっとうるさい。
「食べないの? ああ、俺と友達やめるのが先ってこと?」
友達をやめることの意味が、俺の思うとおりなら。俺はきっと、綾人が思うよりずっと早くからやめたかったわけで。
「……まあ」
まっすぐは見れず、視線を避けながら頷く。
「そっか、そんなに俺のこと好きなんだ」
「は? 好きとか言ってな」
「違うの?」
なんでそんな躊躇いなく聞けるんだよ。
違くない、違くないけど、さっきの頷きまでが素直になる限界値だった俺はもう耐えられなかった。
ぱん、と先ほどの綾人よりも音を響かせて両手を合わせる。
「いただきます」
「食べるんかい」
突っ込みを無視し、スプーンを手に取る。まわりなんてもう見えない。いつの間にか頭の中は綾人のことでいっぱいだ。少しでも何かで中和しないと思わぬことを口走りそうでこわい。
説明なんて何ひとつ聞いていなかったので、何かわからぬまま小さなカップを手に取る。赤と桜色の二層が鮮やかだ。ひとすくい口へと運べば、桜の香りを追いかけるようにいちごの甘酸っぱさが広がる。この柔らかさはムースだろう。
「うまぁ……」
思わず言葉がこほれるくらいに美味しい。脳の一部をようやく綾人から取り戻した、瞬間。
「ま、俺は好きだけどね」
控えめなBGMのように自然な声が耳に触れる。えっと、ムースが好きってこと? いや、まだ綾人は何も食べてない。急いで会話を巻き戻し、ようやく意味を悟る。
――そっか、そんなに俺のこと好きなんだ。
――は? 好きとか言ってな。
――違うの?
いただきます、と続いた言葉に、えっと、と視線を向ける。いま告白されたってこと?
「とりあえず食べてからでいいよ」
ふっと息をこぼすように笑われ、俺は自分が目の前のいちごよりも赤くなっていることを自覚した。
友達をやめるまで、たぶん、あと――。
「ま、じで、入んの?」
春の柔らかな日差しが差し込む、日曜日の午後二時。意気揚々とホテルのロビーを抜けたのも束の間、俺の足は全く進まなくなる。
レセプション前のソファには予約時間になるのを待つ人たちの姿があり、お店の前には白とピンクを基調としたフォトスポットができている。クラスの女子たちが好きそうな「映える」というやつだ。案の定、まわりにいる女子の多くがスマートフォンを手にしている。というかほぼ女子しかいない。
「好きだろ? いちご」
なんの動揺も戸惑いもなく綾人が振り返る。予約した本人だからかもしれないが、この状況はさすがに何か思うところがあってもいいのでは? むしろ俺が困っているのを楽しんでるとか?
「いちご狩りも考えたんだけどさ、車ないと難しくて。制限時間あるのもどうかなって思ったし。せっかくなら好きなものたくさん食べられるほうがいいじゃん?」
へへ、と少しはにかんだように笑う顔からは俺を困らせようとか揶揄おうとかいう気は全く感じられない。罰ゲームになりうるなんて思ってもいないのだろう。そういうところがさぁ……。
「――ご案内します」
名前を呼ばれ、店内へと通される。ホテルのロビーに併設されたカフェはクラシカルな家具で統一され、落ち着いた雰囲気だ。さっきまで女子の多さに気を取られていたけど、そもそも高校生が来るようなところではない気がする。それも男子二人で。「誕生日のお祝いしてやるから」と言われ、ホテルに着いたときは、予想外だったのとテンションが上がったのもあってよく考えていなかったが。
そもそも俺たちってどう見えているのだろう?
「わー、めっちゃテンション上がるやつ」
案内されたテーブルにはメニュー表もコースターも繊細な切り絵が施されていた。桜色はとても綺麗だけど、どうしたって可愛らしさを感じてしまう。女子と来るべき場所だよな、ここ。
「どした? びっくりしすぎた?」
まわりは女子かカップルしかいない。どうしてそんなに気にせずいられるのだろう。俺は誰かに見られているんじゃないか、笑われているんじゃないかって気になってしまうのに。
「あー、いや、そう。まさかこんなところに連れていかれるとは」
「へへ。バイト頑張ったからな」
「それは知ってるけど……」
おかげで放課後一緒にいられる時間が減ったのだから。
「俺がバイトばっかで寂しかった?」
「なわけないし」
「えー、ないのかあ。そっかあ。あ、俺これにしようかな」
瑠衣は? と屈託のない笑顔で尋ねられ、きゅっと胸が詰まる。寂しさに似た痛みに「ああ、そうだった」ともう何度も思い知らされた事実を飲み込む。綾人にとって俺はただの友達。友達だから何も気にならない。友達と来ているだけなら、戸惑う必要も萎縮する必要もない。
俺だけなんだ。俺だけが気にして、期待して、勝手にイライラしてしまう。なんでただの友達なのにここまでしてくれるんだよって。嬉しいはずなのに苦しくて、心がガサつく。それは声にも出てしまっていた。
「てかさ、俺たちみたいなのが来るところじゃなくない?」
注文を終え、ゆとりのある椅子に深く体を預ける。照明は絞られていて、綾人の顔にも薄く影がかかっていた。
「……予約するとき、めっちゃ緊張したわ」
「電話?」
「ネット」
「ポチって終わりじゃん」
「指震えたわ」
「絶対ウソ」
「本当だって」
自然とこぼれた笑いに、逆立っていた気持ちが撫でられていく。結局、俺はこれを手放すのがこわいのだ。同じように意識してほしいと思うのに、こうやって普通に笑える距離のままでいたいとも思う。気づいてほしいけど気づいてほしくない。綾人を思うとき、いつだって俺の中には矛盾が生まれる。
「そういえばさ、さっき言ってた『俺たちみたいなの』って何?」
「何って、ほら……カップル以外はみんな女子の友達で来てるし、高校生も俺らだけっぽいし」
並んで座る男女のカップル、写真を撮り続ける女子二人組。目に入る距離には男子高校生二人組なんてどこにもいない。
「――じゃあ、やめる?」
ピンと糸が張ったような、先ほどとは違う声だった。
「やめるって……」
綾人は笑っていない。ただまっすぐ静かにこちらを見ている。もしや怒らせた? 思えば俺はお礼も言わず文句しか言っていない。綾人は俺のために準備してくれたのに。俺だったらとっくにキレているだろう。帰りたくなって当然だ。
「ごめ」
「友達」
重なった言葉に顔をあげる。友達? 友達って言った? 友達やめるってこと? そんなに俺は綾人を怒らせたのか。友達をやめたくなるほどに。取り返しのつかないことをしたのだとようやく焦りが沸き立つ。とにかく謝って許してもらわないと。友達ですらいられなくなるなんて絶対に嫌だ。
ごめん、ともう一度頭を下げるより先、にっと綾人が笑顔を見せた。
「高校生はやめられないし、性別も変えられないけど、友達はやめられるだろ?」
とても絶交を言い渡しているような顔ではなく、セリフと表情のギャップに混乱する。
「カップルならここに座ってても気にならないんだろ?」
「カップル?」
「さっき言っただろ、カップル以外は〜って」
――カップル以外はみんな女子の友達で来てるし、高校生も俺らだけっぽいし。
「えっと、それって……」
どういう意味? と尋ねるより早くテーブルに影が落ちる。
「お待たせしました」
顔をあげれば、アフタヌーンティーセットを持ったウェイターが立っていた。穏やかな微笑みには「何も聞いていませんのでお気になさらず」と書かれている……気がする。
「こちら上から順にご説明します」
説明なんて何も入ってこない。綾人は「へえ」とか「美味しそう」とか言っているけど。俺の頭の中は「友達」と「カップル」の二単語に支配され、説明の声は右から左へと流れていく。
「――ごゆっくりお過ごしください」
ふっと声が途切れ、静かなBGMが戻る。
「えーっと……」
口を開いたものの言葉が続かない。友達やめて? カップルになりたいってこと? 俺と? 聞きたいことはずっと浮かんでるのに声にならない。さっきまでは勢いで聞けただろうけど、一度中断してしまうとなんか難しい。
「食べるか」
ぱん、と小気味よい音とともに綾人が手を合わせた。
「え、食べるの?」
さっきの会話の続きは? ていうか、こんな状態で食べられる? 味なんてわからなくない? それともまた俺だけが意識してるのか? 俺の心臓はもうずっとうるさい。
「食べないの? ああ、俺と友達やめるのが先ってこと?」
友達をやめることの意味が、俺の思うとおりなら。俺はきっと、綾人が思うよりずっと早くからやめたかったわけで。
「……まあ」
まっすぐは見れず、視線を避けながら頷く。
「そっか、そんなに俺のこと好きなんだ」
「は? 好きとか言ってな」
「違うの?」
なんでそんな躊躇いなく聞けるんだよ。
違くない、違くないけど、さっきの頷きまでが素直になる限界値だった俺はもう耐えられなかった。
ぱん、と先ほどの綾人よりも音を響かせて両手を合わせる。
「いただきます」
「食べるんかい」
突っ込みを無視し、スプーンを手に取る。まわりなんてもう見えない。いつの間にか頭の中は綾人のことでいっぱいだ。少しでも何かで中和しないと思わぬことを口走りそうでこわい。
説明なんて何ひとつ聞いていなかったので、何かわからぬまま小さなカップを手に取る。赤と桜色の二層が鮮やかだ。ひとすくい口へと運べば、桜の香りを追いかけるようにいちごの甘酸っぱさが広がる。この柔らかさはムースだろう。
「うまぁ……」
思わず言葉がこほれるくらいに美味しい。脳の一部をようやく綾人から取り戻した、瞬間。
「ま、俺は好きだけどね」
控えめなBGMのように自然な声が耳に触れる。えっと、ムースが好きってこと? いや、まだ綾人は何も食べてない。急いで会話を巻き戻し、ようやく意味を悟る。
――そっか、そんなに俺のこと好きなんだ。
――は? 好きとか言ってな。
――違うの?
いただきます、と続いた言葉に、えっと、と視線を向ける。いま告白されたってこと?
「とりあえず食べてからでいいよ」
ふっと息をこぼすように笑われ、俺は自分が目の前のいちごよりも赤くなっていることを自覚した。
友達をやめるまで、たぶん、あと――。



