タイマーが鳴って、彼女が戻ってくると、ヘアマニキュアを洗い流すためにシャンプー台へ連れて行かれた。
専用の席に座ると、背もたれが倒され、ほとんど水平の状態になった。目にガーゼか何かを置かれると、水の流れる音が聞こえた。
温度調節をしているのか、手で確認しているような様子に思えた。すると、髪にぬるま湯が当たり、丁寧に洗い流し始めた。
それが終わると、シャンプーが始まった。体が触れそうな距離にいる彼女から甘い香りがした。若い女性特有の香りだったのでうっとりしていると、「お客様は初めてのご来店でいらっしゃいますので、サービスでヘッドスパをさせていただきます」という声が耳に届いた。
でも、意味がわからなかった。それで黙ってじっとしていると、彼女の手が優しく頭皮に触れ、ゆっくりとマッサージが始まった。
あ~、と思わず声が出そうになるほど気持ちが良かった。若い女性に頭のマッサージをしてもらえるなんて初めてだった。ここは極楽かと思った。今までは理容室で初老の男性にゴシゴシと髪を洗われるだけだったので、40歳になるまでこんなに気持ちの良い頭のマッサージがあるなんて知らなかった。
ほわ~んとした感じになっていると、「温かいタオルを首の下に置きますね」と言って、じわ~っと程よい温度のタオルを首の下に差し込んでくれた。
あ~、気持ち良すぎる。
心の中がバラ色になった。
わたしがいるのは天国だろうか?
もしそうだったらこのまま永遠に続いて欲しい。
真剣にそう思った時、トリートメントが始まった。それからまた頭皮マッサージが行われて、心がフニャフニャになった頃、「お疲れさまでした」と体を起こされた。
元の席に戻って、髪を乾かせたあと、今度は肩と首のマッサージが始まった。
「凝ってますね」
彼女の指が的確にツボを捉えた。
「うっ」
「強すぎましたか?」
「いや、効いてます。しっかり効いてます」
このまま死んでもいいと思うくらい気持ちが良かった。
マッサージが終わると、店長が来て、髪型を整えてくれた。
「別人になりましたね。10歳は若くなりましたよ」
そして笑みを浮かべて、「なっ、よしの!」と言うと、「素敵ですよ」と彼女が笑った。
素敵……、
生れて初めて言われた、女性から素敵って。
生きてて良かった!
そう思うと、涙ぐみそうになった。
それにしても、こんな素敵な美容室がこの世に存在するなんて思いもしなかった。たんに髪をきれいにするだけでなく、人を幸せにする美容室なのだ。パラダイスと言っても言い過ぎではないだろう。
いや、それだけではない。人生を大きく変えてくれる場所でもあるのだ。魔法の館と呼んでも過言ではないかもしれない。
そんなことを思いながら鏡に映る自分を見つめていると、明日から先に広がる希望という名の未来が見えたような気がした。



