通された応接室で待っていると、ノックのあと、神山が入ってきた。
 しかし、1人ではなかった。見慣れた顔が横にいた。西園寺だった。

 えっ⁉

 面食らった。断りを伝えて早々に帰るつもりだったから、彼の同席はありがたくないというか、関係者以外には知られたくなかった。
 といって、目の前に居るのだから追い返すわけにもいかない。無難な話題、つまり、西園寺の近況について尋ねることから始めた。
 しかし、彼はそれに答えず、いきなり美容室の話になった。2人はさっきまで天空の美容室に相応しい設計、内装、調度品などについて話し合っていたというのだ。

 えっ‼

 再び驚いた。まだ返事もしていないのに、話がどんどん進んでいた。

「富裕層向けの特別な美容室の個室ですから、特別な(あつら)えにしようと話し合っていたのです」

 満面の笑みを湛えた西園寺が神山に視線を向けると、「天空の美容室だからね」と神山が答えた。

 しかし、そのまま話を聞き続けるわけにはいかなかった。今日は断りに来たのだ。和やかに話し合っている場合ではない。

「実は、」

 開業するにあたって東京美容支援開発の担当者と話し合い、必要な人件費を見積もったこと、更に、それに見合う売上を試算したこと、その結果、厳しい現状が浮き彫りになったことを試算結果を書いた紙を見せながら伝えた。

「なので、」

 その先を続けようとした時、神山の声が割り込んできた。

「単価が低すぎますね」

「えっ?」

 どういうことかわからなかった。東京の人気店の単価を参考にしているのに、低すぎるという指摘が理解できなかった。

「1人当たり5万円でもう一度計算していただけないですか?」

「はっ? 5万円?」

 理解不能だった。ヘアメイク代として5万円を支払う人がいるとは思えなかった。それを指摘すると、平気な声が返ってきた。

「先ず、個室料を設定します。そして、施術についてはすべて単価1万円とすれば計算が合います」

 なにも変な試算ではないという。しかし、それまで黙って聞いていた夢丘が、納得できない、というように口を挟んできた。

「ちょっと待ってください。個室料なんて聞いたことがありませんし、施術以外にお金を払う人がいるなんて想像もできません」

 それはわたしも同じだった。自分だったら、そんなものにお金を払うことはない。それを伝えると、言下に否定された。

「富裕層にとって、プライバシーとはとても重要なものです。それが担保されるのなら対価を払うのは当たり前なのです。例えば、病院でも特別個室に対して個室料を設定していますよね。ですので、日本一高いビルの最上階に造る特別なプライベート空間に個室料を設定するのは何もおかしいことではないのです」

 なるほど、そう言われれば、確かにそうかもしれない、

 わたしはあっさりと納得してしまったが、夢丘は違うようだった。

「病院と美容室ではまったく違うと思いますけど」

 納得しがたいというように疑問を投げつけた。

「そんなことはありません。富裕層になればなるほど自分の時間や空間を大切にしたいと思うようになるのです。だから、それを買えるのであれば多少の出費は(いと)わないと思います」

 すると、西園寺がすぐさま頷いた。わたしはそんな境遇に身を置いたことはないが、神山や西園寺のような豊かな環境で育った者にとっては当たり前な考え方なのかもしれなかった。しかし、夢丘はまだ納得していないようだった。

「それで、いくらを考えてらっしゃるのですか?」

 すると、神山は速攻で返してきた。

「2時間で2万円を考えています」

「2万円ですか? 2時間で2万円?」

 あんぐりと口を開けた夢丘に更に驚きの内容を告げた。

「それとは別に、カットが1万円、シャンプーとトリートメントで1万円、パーマもカラーもそれぞれ1万円、ヘッドスパも1万円。すべての施術を1万円にして、お客様に選んでいただくようにしたらどうでしょうか」

 そうすれば、お客様の平均単価は5万円になるという。すると、すぐさま西園寺が平然とした声を発した。

「いいんじゃないんですか」

 なんの問題もないといったような感じだった。でも、夢丘は違っていた。

「そんな裕福な暮らしをしたことがないのでヘアメイクに5万円を出すという気持ちがまったくわかりません。もちろん、日本一の高層ビルの最上階で施術を受けることが魅力的だということは理解できます。だとしても毎回5万円を支払う人がいるでしょうか?」

 当然の疑問だった。これには神山が少しは動揺するかと思ったが、そのような様子は微塵(みじん)も感じられなかった。「上位1パーセントの超富裕層に来ていただければいいのです」と平然と言い切ったのだ。

「1パーセント、ですか?」

 夢丘は呆気にとられたような顔になったが、神山は何も気にしていないという感じで話を続けた。

「1パーセントと聞くと少ないように思うかもしれませんが、日本の人口の1パーセントは約120万人で、それを東京に当てはめると14万人ほどいることになります。但し、東京は富裕層の層が厚いので、間違いなくそれ以上います。もちろん、美容室のお客様は圧倒的に女性ですし、美容室を利用する人たちの年齢も考えなくてはなりません。そこで、東京在住の30歳以上80歳未満の女性で、且つ、富裕層と言われる人たちの数を試算してみました。その結果、少なくとも4万人以上いるということがわかったのです。対して天空の美容室の個室は10室です。もうおわかりですね。4万人のターゲットに対して10室しかないのです。なんの心配もいりません」

 自信たっぷりの笑みを浮かべて夢丘とわたしの顔を見て、もう一度試算をするように促された。わたしはすぐに単価を15,000円から50,000に変えて、計算をやり直した。

 3億円÷5万円=6,000人/年÷365日=17人/日÷10席=1.7回転/日=実働4時間/日

「なるほど」

 確かに、これなら交代で休みながら営業を続けることができる。更に、例えば定休日を週に1日設けたとしても、3億円÷5万円=6,000人/年÷313日=20人/日÷10席=2回転/日=実働4時間/日となって、そう大きく変わらない。これならしっかり休みながら売上と利益を確保できる。

「ありがとう。これで美容師のリクルートにすすむことができるよ」

 断るつもりだったのに、打って変わって明るい声が出てしまった。納得はできていないという表情の夢丘もこれ以上の反論は思いつかないようだった。狐に化かされているような感じがないこともなかったが、ここまで言われてNOという返事をすることはできなかった。再び東京美容支援開発の担当者と打ち合わせをすることになった。

        *

「わかりました。さっそく募集を始めます」

 東京美容支援開発の担当者は、独自システムによって選別しているSクラスの美容師に声掛けをするという。

 その説明に驚いた。東京都内の登録美容師をAIを活用してランク付けしているというのだ。現在の勤務店のレベル、美容師としての経歴、自己申告による技術水準や考え方や趣味などを基に、S、A、B、Cの4クラスに分類しているという。

「もちろん、最終的には面接をして、技術力と人柄を見ていただくことになりますが、質の高い候補者をご紹介できると思います」

 自信満々の声で言い切った。過去の成功体験に裏打ちされているのは明白なように思われた。20人の候補者が出そろった段階で再度打ち合わせをすることを約束して、会社を辞した。