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 圭一郎が教室に戻ると、梓が意外そうな顔をした。
「どしたの圭ちゃん。サボると思った」
「サボんないモン! 不良じゃないから!」
 そのふざけた物言いに梓はげらげら笑い、「なんと午後一、自習です」と言った。
「え、自習なの? なんだ~コーラ買ってこようかな」
「おれも行くわ」
 自習、と言われて本当に勉強をする高校生がいるかどうかは、謎に包まれている。教室の中にいるのは、机に突っ伏して寝ているものと、スマホで動画を見ているものと、数人で喋りながら笑い合っているものと……どれも高校生にとっては大切な人生の勉強なのかもしれない。圭一郎と梓が、今からコーラを買いに行くのと同じように。
 授業中の廊下は静かだ。自動販売機は、一階、メイン玄関のあるフロアにある。あとは学食にももう一台。圭一郎はペットボトルのコーラを買う。梓はスポーツドリンク。今年の夏も絶対に猛暑だ、という予感が、すでに漂っている。梅雨入りすれば一気に蒸し暑さが増すのだろう。今はまだ、一番さわやかでいい時期なはずなのに暑い。
「うちの猫がもうすでに暑そうで、かわいそうなんだよな。ちょっと毛を刈ってやろうかな」
「もちろん美容院だろ!? おまえがやったらざくろちゃんの美猫が台無しだ、虐待すんなよ」
 虐待ではなく熱中症を予防するための愛情だというのに、失礼な。階段をのぼる途中の踊り場に、出窓がある。そこはよじのぼれば座ることもできるし、窓を開けて、外側にあるちょっとしたコンクリートの足場に降りることもできるのだ。教師に見つかれば叱られる場所だが、圭一郎も梓も、その他に親しくしている何人かの友人たちも、そういった場所に入り込むことに抵抗はなかった。圭一郎は昔から、それこそ幼稚園だとか、小学校の低学年だとか、そんな年齢の時からそうだったのだ。屋根にのぼって昼寝をし、心配した保育士の先生を泣かせたときは反省して、二度とはしなかったけれど。怒らせるよりも、悲しませることのほうが堪える性格なのだ。
 コンクリートの足場には木々が生い茂り、いい具合の木陰を作っている。
 圭一郎はコーラの蓋を開ける。プシュ、と炭酸のかすかに漏れる、いい音がする。
 あの子に、この場所も教えてやりたいと思った。あの子、というのはもちろん朔弥のことだ。顔は知っていたけれど、名前は昨日、幸運な偶然で知ったばかりの、かわいい下級生。
 出会ったのはまだ朔弥が入学してきたばかりの四月、中庭で寝ているところを起こしてもらう、というあまり格好のつかないものだったけれど、その時からかわいいと思っていた。時々、学校で姿は見かけたけれど。学年が違う、というのは、案外大きな壁なのだ。それに、かわいいと思ったからってすぐにグイグイいけるほど、圭一郎は軽い性格ではない。見た目がチャラく見えるせいで誤解されがちだが、純な性格なのだ。
「圭ちゃん、夏さ、またどっか行こうよ。圭ちゃんが空港間違えないようにさ、おれたちの誰かひとりが前日から見張るから」
「そんな何回も間違えねーよ、空港なんて!」
「タイとかど?」
「いいね」
 タイって、何がある国だっけ? アユタヤだよ、アユタヤ……。冬休みや春休みの短期バイトで作った貯金で、バンコクまで飛ぶ相談は楽しかった。
ふたりはそんな話をしながらコンクリートに横になり、こぼれてくる木漏れ日の隙間の青空を見ていた。真夏じゃ、とてもこんなことはできない。その代わり、夏にしかできないこともある。
 梓が、それこそタイの寺院に置かれている立派な仏像みたいな寝姿で、圭一郎に「で、どうだった? かわいい一年生」と、にやにやしながら聞いた。
「どうって、何が」
「またまた~。本当は俺たちと夏休みの旅行なんて行ってる場合じゃない展開なんじゃないの? 持ってるね圭ちゃん、密かに狙ってた子と偶然会って仲よくなるなんてさ。しかも獣医。健全だ。ポイント高い。圭ちゃん、主人公の彼氏顔だもんな。そういう星回りなんだよ」
 ばしばし、と圭一郎の胸のあたりを叩きながら、梓はやけに楽しそうだった。圭一郎は、仲よくなってすぐに、そんなどうこうなるわけないだろ、と言った。
「なんで?」
「なんでって、物事には順序がある。段階を踏む、何にしてもな、ショートカットしようとするとうまくいかないの、わかった?」
「ははは。なるほど。遊んでそうに見えて奥手なのが圭ちゃんのセールスポイントな気もするし……相手、何くんだっけ」
「三浦くん」
「三浦くんな。三浦くんは、どんな感じの子なんだよ」
「……」
 圭一郎は、昨日や、今朝や、ついさっきの昼休みの朔弥の姿を思い返してみる。白いほっぺたのあたりがすぐ赤くなって、恥ずかしそうで、すなおで一生懸命喋る。かわいい。思い出していたら、また顔が見たくなってきた。帰りも一緒に帰ろうって誘おうかな。でも、朝昼に加えて、放課後まで誘うっていうのはちょっとしつこいような気もする。あの子にも都合や、友だちづきあいがあるだろうし……。困らせたくないし……。普通にイヤだろ、好きだな、と思ってる子に、しつこい男だと思われるの……。
「……すなおで、」
「うん」
「なんか……ふわふわしてて、赤ちゃんみたい、というか……」
「うん」
「かわいい。すごく」
「あっはっはっは」
「なんで笑うんだよ!」
「あまりにピュアだから」
「ハァ~? 梓おまえ、人のこと言えんのかよ」
 コーラはあっという間にぬるくなる。炭酸も、開けたてのきつさが嘘のように大人しくなる。圭一郎は残りを一気に飲み干して、「どんな奴がタイプなのか、聞いたんだ」と呟いた。
 梓は、おおっ、と言いながら横たえていた身体を起こして、太陽の動きと共に位置を変える木陰の、一番いい位置に座り直した。
「それで?」
「そしたら、逆に聞かれたんだ。先輩はどんな人がタイプなんですか、って」
「押されてんじゃん。ちょっと~三浦くん、大人しそうに見えて実は経験豊富なんじゃないの~? 圭ちゃんなんかチョロいと思われてたらどうする」
 圭一郎はちょっとムッとした顔で、「勝手に変なイメージをつけるな! 別にいいんだよ、恋愛経験豊富だろうと、そうじゃなかろうと」と言った。
 梓は、「青春だなぁ。恋ってそういうもんだよな、気づいた時にはもう……みたいな……」と言いながら、経営者のインタビューでよく見るろくろを回すポーズをしていた。
「六限、なんだっけ」
「化学」
「あ~~ダルすぎ。放課後までここで寝てようかな」
 しかし間もなく期末テストも始まる時期だ。サボってばかりでは、先が思いやられてしまう。圭一郎と梓は重い腰を上げて、再び窓をよじのぼって校舎の中に戻った。五限の終わりを告げるチャイム。授業中は静かだった校舎の空気が、また少しざわめき始める。
「もっと押して押して、夏休み前には告白すりゃいいよ。三浦くんも圭ちゃんのこと、好きだと思うな」
「カンタンに言うな、何を根拠に言ってんだよ」
「第六感」
「チャラ男め」
「うわっ、痛い、圭ちゃん、脚が長いのはいいけど人の背中を蹴るのはよくないですよ!」
 圭一郎と梓は教室に戻り、眠気を堪えながらその日最後の授業のコマを乗り切った。別のクラスの友人に貸して、戻ってきた化学の教科書のページには居眠りの跡が残っている。教科書の紙は、顔の脂をよく吸い取るのである。眠くなる気持ちはよくわかる。向こう側がスケスケになった化学式。
 今頃真面目に授業を受けているであろう、朔弥のことを考える。数学が苦手だと言っていた。数学なら教えてやれる。もしテスト前に自分を頼ってくれるのであれば……。
 おれ、好きな子に頼られたい、みたいなところがあるんだな。初めて知った。朔弥のすなおさや、自然体そのままの振る舞いにこんなに心惹かれているのに、自分のことはカッコつけてよく見せようとしているなんて、滑稽かもしれない。
 恋って惚れたほうが負けだって聞くけど、本当にそうだと思う。すでに今、断られるのが怖くて、一緒に帰ろうって誘えない。
 授業が終わってからも無駄にスマホを触りながら考え込んでいた圭一郎に、梓が「ボーリング行きたい人~! は~い!」と絡んできた。
「修斗は行くって。圭ちゃんは?」
「……」
 行ってもいい。行ってもいいけど……。圭一郎が腕組して考え込んでいると、梓は笑い、「ンフフフ、ごめん、三浦くんとお約束がございまして?」と言った。
 お約束、なかった。圭一郎は意気地なしな自分の心を親友に見透かされた気がして恥ずかしく、「行くわ! ボーリング! 見てろよおれの高スコアを!」と叫んでごまかした。
 隣のクラスの友人である修斗は、廊下で圭一郎たちを待っていた。もうひとり、律という友人も加えてしょっちゅう四人でつるんでいたけれど、律は最近バイトを詰め込みがちで忙しくしている。
「律はさぁ、バイト先の大学生のお姉さんとのデートで忙しいんだよ」
「「バイト先の大学生のお姉さん!?」」
 修斗の暴露に、圭一郎と梓は思わずデカい声が出てしまった。律、おれたちの中で一番奥手そうな雰囲気を出していたくせに、そんないつの間に年上の女の子と……。
 梓はにやにやしながら、「え~、律も旅行に来てくれないかもなぁ。何しろ大学生のカノジョができたなんて言ったら……なぁ圭ちゃん、おまえもわかんないもんなぁ」と言った。
「えっ、なに圭ちゃん、なんかあったの? おまえも裏切るのか、おれと梓のことを」
「あ~もう、わかった、なんかあったら言うから、まだないから!」
 まだってなんだよ、そのうちあるのかよ、ふざけながらじゃれてくるデカい友人ふたりをぶらさげるように引きずりながら、圭一郎は校舎の外へと歩いた。こんなところを朔弥に見られたら、先輩ってふざけた人だな、ちょっと怖いかも、なんて誤解されるかもしれない。梓も修斗もいい奴だが、何しろ圭一郎同様見た目が軽い。身体も大きい。
「なぁ、重てぇよ! シャッキリ歩け、シャッキリ!」
「筋トレになっていいだろ」
「よくねぇ~」
 笑いながら校門へと向かっていると、視界の端に、誰かが映った。下校時間なのだ。同じ学生服の生徒がたくさん歩いているのに、見つけてしまう。
 やはり恋心には特別なレーダーが搭載されているのだと圭一郎は思う。そこには朔弥がいた。クラスの友人だろうか、(パンのシールを集めている、という……)ふたりの少年と一緒に歩いていた。こちらを、じっ、と見ていた。これだけ騒ぎながら歩いていたら、見られるのも当然だろう。
 圭一郎は梓と修斗を引き剥がして、乱れたジャケットを直した。もう今さら遅い気もするが、朔弥の前では少しでもちゃんとしていたい、という謎の心がある。
「先輩」
 ぺこ、と頭を下げた朔弥に、圭一郎は「お疲れ。今、帰り?」という、無難に無難を重ねて一周してわざとらしくなっている言葉をかけた。お疲れ、今、帰り? すごいな、この言葉はきっと社会人になってからも使えることだろう。永遠に……。
 はしゃいでいた梓と修斗は、急に静かになった。まるで飼い主の不在時にティッシュペーパーを散らかしまくって遊んでいた犬が、飼い主の帰宅で神妙にしている、みたいな、そんな変わり身だった。修斗はちらちらと横目で圭一郎を見て、肘で突いた。(おれを紹介しろ)という無言のアピールである。
「あ、これ友だちの梓と修斗……」
「一緒に台湾に行ったお友だちですか?」
「うん」
 朔弥は笑い、「初めまして! 三浦朔弥です」と自己紹介した。その礼儀正しさと、初夏の風に負けないほどの清潔感に、梓と修斗はちょっと眩しそうな顔をしていた。
「先輩、ぼくの友だちの、斎藤くんと永田くんです」
「はい。初めまして。松川圭一郎です」
 こんなちゃんとした自己紹介をしたのはいつぶりか忘れてしまったが、礼儀正しいのはいいことだ。圭一郎はこれを機に、だらしない生き方をしていた自分自身を顧みる必要がある。朔弥と仲よくなるために。
 永田くん、と呼ばれたほうが、「先輩、パンのシールありがとうございました」とお礼を言った。
「いえいえ」
「三浦くん、顔にシール貼ったまま教室戻ってきました」
 朔弥は顔を赤くして、「なんで言うの!?」と怒っている。その顔がかわいくて、圭一郎は自分の唇のあたりが、むずむずと緩むのがわかる。
「……もう帰るの?」
「あ、これから三人で本屋さんに……」
 斎藤くんと永田くんは顔を見合わせて、「三浦くん、先輩と帰りなよ」と朔弥の肩を叩いた。
「えっ」
「だって、本屋さんはいつでもいいもん。ねぇ、永田くん」
「うん。そうしなよ、三浦くん」
「でも、先輩もお友だちと用事があるんじゃないですか?」
 あると言えば、ある。ボーリングという用事が。
 圭一郎が何か言うより先に、修斗が「あ~! 忘れてた!」と大きな声で叫んだ。いちいち声が大きい。
「圭ちゃん、今日行こうとしてたボーリングさぁ、超狭くて、ふたりしか入れない店なんだ」
「そんなボーリングがあるかよ」
「いやいやいや、狭小なんだ、ホントに、おれと梓が抱き合うようにして入らないと通れないくらいの店だから、ホントに、だから圭ちゃん悪いけどさ、おれ、今日は梓とふたりでボーリング行くから」
「…………」
 いくらなんでももう少しうまい気の使い方が、あるだろ。このバカ……と思ったが、こういうところが修斗の愛嬌なので憎めない。
圭一郎は手のひらで額を押さえて、「わかった、わかったから……狭いボーリング場なんだな、もうちょっとうまい嘘を梓に習っておけよ」と言った。
 斎藤くんと永田くんは、「じゃあね三浦くん、また明日!」と手を振って、駆け足で門を出て行った。梓と修斗は、「狭いボーリング場なんだ。定員が二名で……」と言い合いながら、圭一郎の背をばしばしと叩き、「それじゃあ圭ちゃん、また明日~!」とやはり走って門を出て行った。そうして、門の陰からこちらを覗いていた。身体が大きいのではみ出しているのである。圭一郎は呆れて、「見えてんだよ! さっさと行けよ、狭小ボーリング場に!」と、ふたりを追い払った。
 初夏の緑が風に吹かれて、コンクリートで固められた地面の模様を一秒ごとに取り替えている。圭一郎が視線を落とした朔弥のローファーはまだ新しさを感じる艶で、少しも汚れていない。
 本当は、一緒に帰りたかった。仲よくなって、電車に乗る前にどこかで少しデートをするような、そんな放課後。
「……先輩」
「ん?」
「あの、大丈夫だったんですか。お友だち……」
「うん。ごめんね三浦くん、友だちと本屋……」
 朔弥は首を振って、「いえ、斎藤くんが予約してた本、取りに行くって言っていたので。くっついていこうとしてただけなんです」と笑う。
「……」
「……」
 お互い、ちょっと黙ってしまう。でも、嫌な感じの沈黙ではない。朔弥が、ちら、と上目遣いで圭一郎を見る。きゅ、と結んでいる唇や、長い睫毛や白いほっぺた。かわいくて、「ふふ」と笑ってしまう。
「……帰るか」
「はい」
 ふたりは並んで、駅まで歩く。圭一郎は隣に朔弥がいるのが嬉しかった。朔弥も同じであればいいのだけれど。
「……先輩」
「ん?」
「ボーリング場って、ふたりしか入れないんですね。ぼく、行ったことないので……」
 修斗のバカ……。圭一郎は眉間を押さえて、「……いや、けっこう広いよ、ボーリングって大人数でもやれる遊びだし……修斗のアレはさ、なんていうか、その……」と、言葉を探した。
「……あれは、おれと三浦くんが一緒に帰れるように、ついた嘘だから……修斗はバカっぽく見えて実際ほんとにバカなんだけどさ、優しくていい奴だから」
 朔弥は丸い目を、ぱちぱちっ、と瞬きさせて、「嘘なんですか?」と言った。
 かわいい。圭一郎は笑い、「うん、ウソ。ボーリング場は広いよ。今度、一緒に行こう」と誘った。朔弥は嬉しそうに頷いた。
「でも先輩、どうしてそんな嘘を」
「……」
 駅まで少し、遠回りして帰りたいな、と思う。駅前にはチェーン店の店もあるけれど、住宅街の路地を少し抜ければ、小さくて落ち着く、静かな喫茶店もいくつかあった。圭一郎は時々、ひとりで寄り道をした。賑やかな友人たちと過ごすのも楽しいけれど、静かにしているのも好きだったからだ。
 朔弥とデートするなら、そんな静かな場所がいいかもしれない。猫の話をしたり。本を読んでいる朔弥の顔を、コーヒーを飲みながら見つめる時間。想像するだけで、なんだか嬉しくなる。
「……それはおれが、三浦くんと一緒に帰りたかったけど遠慮して誘えなかったから」
「……」
「朝も一緒にいて、昼も一緒にいて、放課後まで誘ったら、困らせるかなって思って誘えなかったから。だからあいつらが気を遣ってくれた、三浦くんの友だちたちみたいに」
「……困んないです、ぼく」
 朔弥は小さく、先輩とどれだけ一緒にいても、困んないです、と呟いた。その声はどれだけ小さくても、圭一郎の耳にきちんと届く。優しくてかわいい、好きな子の声。
「だってぼくのほうが、先輩と一緒にいたいって思っているので……だから一緒に帰れて嬉しいです」
「なんで三浦くんのほうが、って思うの」
「なんとなくです」
 なんとなく。圭一郎が笑うと、朔弥も笑う。
 そうしているうちに、駅が見えてきてしまう。圭一郎は少し考えて、「三浦くん、明日は寄り道して帰ろう。ケーキ食べて」と言った。明日も一緒に帰ろう、と誘うための、口実。
「明日、」
「うん。……あ、でも、友だちと本屋、行く? 今日行けなかったし」
「いいいいいえ。ふたりとは、土曜日にも遊ぶ約束、してるので……なので、行きます、明日……」
 色白だから、赤くなるとすごく目立つ。ふたりの誕生石みたいに、きれいな光がぴかぴかと跳ねて、圭一郎を照らしてくれるみたいだ。
 好きな子と約束があるっていうのは、すごく嬉しい。ふたりは電車の中で、朝の待ち合わせのルールを決めた。今日の朝乗ったのと、同じ時間の電車に合わせて改札で毎朝待ち合わせをする。もしどちらかが寝坊した時は(寝坊するのは圭一郎の確率が圧倒的に高いと思えるけれど)遅刻しない限りは待ってもいいし、待たなくてもどちらでもいい。遠慮せずに、気楽な感じで毎朝一緒に学校に行こう、ということになった。
 昼休みはお互い、友人たちと過ごしたい日も、話したいことがある日もあるだろう。だから朝の電車の中で一緒に食べるかどうかを決めようか、となった。こういうスタイルには向き不向きがあるかもしれないけれど、圭一郎と朔弥にはしっくりと馴染んで、なんだかちょうどよく思える。
「ガーネットのカゼ、もうすっかりいいんです。鼻水も止まったって、お母さんから連絡あって」
「よかった。あの獣医の先生、名医だよな絶対」
 電車の座席で、朔弥のスマホの中のガーネットの写真を見る。ぴたり、と腕がくっつくような距離。ガーネットとざくろは、ふたりの距離を縮めるきっかけを作ってくれた。
「先輩、ざくろちゃんの写真見せてください」
「うん。ざくろさ、本当に撮らせてくれないんだよな~」
 車窓に見慣れた景色が走る。見慣れたはずなのに、輝いている帰り道。期末テストが終われば、もうすぐ夏休み。
「三浦くん、数学大丈夫?」
「う、あの、あんまり……」
「……」
 圭一郎は俯いた朔弥の顔を覗き込んで、「教えよっか」と言った。
 朔弥は嬉しそうに、「はい」と答えた。放課後は勉強を教える、と約束すれば、毎日一緒に過ごすことができる。
 恋って、すてきだ。世界がいつもより、まぶしく見える。