あのねガーネット、ぼく好きな人できたんだ。朔弥は小声で、そう打ち明けた。
朔弥の飼っている猫は、ガーネット、という。すごくかわいい、賢くて美人な猫だ。
「ガーネットは幸運の招き猫」
お母さんにそう言われて、朔弥は「招き猫かぁ。じゃあぼくが幸せなのは、ガーネットのおかげなんだ」と、そのほわほわとした身体を抱き上げて頬擦りした。
「それに、ガーネットは朔よりも賢いのよ。まさかおやつあげてないでしょうね」
「えっ、あげた……」
お母さんはぷんぷんして、「だめよ! さっきおじいちゃんもあげて、おばあちゃんもあげたのよ! これ以上太ったら、健康に悪いのに……賢いから、どうすればおやつもらえるのか、どうすればまだおやつ食べてないように見せられるのかわかってるのよぅ」と言った。
朔弥の腕の中のガーネットは、「そんなに食べてないモン」みたいな仕草でかわいくおすまししていたが、お母さんの目はごまかせない。お母さんは先日獣医の先生に、ガーネットはちょっと太りすぎ、と言われたばかりであるらしい。
朔弥は、腕の中のガーネットをじっ、とみつめた。愛くるしい宝石のような瞳が朔弥を見つめ返す。「そんなに食べてないモン」と、視線で訴えてくる。そして、ご飯を欲しそうに鳴く。じゃあちょっとだけ……と追加のおやつをあげようとしてしまい、我に返る。
「ダメだよガーネット、長生きして!」
朔弥がそう訴えると、ガーネットは「チェッ」みたいな顔をしていた。ガーネットは確かに賢い猫で、自分をよく見せるすべを熟知しているように思えた。
「おまえは駆け引きがうまいんだな、ガーネット。家族全員から抜け目なくおやつをもらうために、技術を磨いているんだね……」
朔弥は、ガーネットの小さな頭のあたり、ホットケーキにかけるシロップのようなにおいのする毛並みのにおいをすんすん、と嗅ぎ、「……ぼくも少しくらいは、自分をよく見せてみたい。いつもぜんぜんだめだから。今日もね、ぜんぜん話せなかった……遠くから見ているだけでどきどきしちゃって、ぜんぜん、とにかくぜんぜんだめなんだ」と呟いた。
朔弥が高校に入学してから、早いもので一ヶ月。もともと人見知りの朔弥は、ただでさえ少なかった中学時代の友人たちと離れて、孤独な高校生活のスタートだった。でもひとりでいるのは慣れっこだし、ゆっくり時間をかけて、少なくても気の合う友だちを見つけられればいいや、とのんびり構えていた。
初めて人を好きになったのは、入学してすぐだった。
それは一学年上の先輩で、図書室の窓から見える裏庭のベンチで昼寝をしていた。その時は先輩だということはわからなかったけれど、上履きのちょっと履きつぶしたこなれ感が、新入生ではなさそうだな、という雰囲気を醸していた。脚が長くて、腕組みして、花と葉が半々くらいになった桜の木からこぼれ落ちてくる木漏れ日を浴びて、爆睡していた。
「……」
朔弥がその人から目を離せずにいると、気づいたらチャイムが鳴っていた。チャイムも聞こえないくらいに、朔弥はその人に見蕩れていたのだ。かっこいい人。幸い、それは予鈴だった。はっと気づいて、朔弥は叫んだ。
「あの! お昼休みが終わります!」
朔弥の叫びをダイレクトに受けたその人は、背の高い身体を、びくっとさせて、「うわ! びっくりした!」と言った。
「す、すみません」
「……」
その人は、図書室の窓辺の朔弥を、寝起きのしぱしぱとした目を細めて見て、「……いや、ありがとう。遅刻するところだった」と言い、中庭から校舎まで駆けて去っていった。
朔弥は授業に遅刻をした。その人の言ってくれた、ありがとう、が身体中に響いて、なかなか動けなかったせいだ。あと、喉のところがちょっぴりだけ、けぱけぱとした。何しろ朔弥は日頃、そんなに大きな声を出す機会がないからだ。こんなに叫んだ記憶は、ここ最近ない。
その人が二年生なのは、一度廊下で見かけた時に、こっそり後をつけたのでわかった。二年の教室に入っていったからだ。でも、わかるのはそれだけ。時々中庭で昼寝をしている姿を盗み見たり、二年生のクラスが体育をやっている時に、校庭をじっと見つめて探すだけ。窓際の席でよかった。
名前がわからないので、先輩、としか呼べない。いつも気だるげに見えるかと思えば、友だちっぽい人と話している時は明るくはしゃいでいる。ちょうどいいふざけかたを知っているみたいだ。しらけすぎもしないし、やりすぎることもない。陽キャ、っていう感じがするのに、静かにひとりでいることもある。ミステリアスだ。
どんな人か、よく知らないのに。想像を勝手に膨らませて勝手に好きになるなんて、迷惑だろうな。そう思うのに、やめられない。正しい恋がどんなものなのか、朔弥にはわからないのだ。だってこんなの、初めてのことだから。初めての恋。やっぱり高校生は、中学生よりうんとオトナだ。何しろアルバイトもできるし。
朔弥は抱き上げたガーネットに、「ガーネット、おまえなら先輩におやつもらえるかな? 思わず撫でて、甘やかしたくなるようなかわいさを見せられるもんね」と言った。ガーネットは、ふん、と鼻を鳴らし、当たり前やろ、とでも言いたげであった。
明日こそ、勇気を出して声をかけてみようかな? 名前を聞いて……あ、あと誕生日と好きな食べ物と血液型と……。あ~ダメダメ! そんなこと聞いたら、「相性占いしようとしています」って白状するみたいじゃないか。
「朔~ゴハンだよ~」
「は~い」
今日は金曜日だ。明日も明後日も、先輩の姿を見ることはできない。寂しいな。
先輩って、土日は何をしているんだろう。アルバイト? でもあんなにかっこいいんだから、もしかしてデートとかかもしれない。
「今日、絶対ハンバーグだ! においでわかる!」
「にゃおん」
「ガーネット、おまえはハンバーグは食べちゃだめなんだよ……そ、そんなにかわいい顔をしてもダメ~! あっ、重い、ガーネットおまえ、本当に太ったね!? だめだ、おまえの健康のためにぼくも気をつけなくっちゃ……甘やかさないように……そんなかわいい顔! してもダメ~!」
そうして、一ヶ月が過ぎた。先輩の姿は、運がいい日にチラッと見かけるだけ。
もっとぼくが明るくて、社交的で、魅力的だったら、先輩にすぐ声をかけられたのに。SNSのアカウントとか聞いたりして……聞いたところで、朔弥はあまりSNSをやらないので、その情報を生かしきれるか謎が残る。
朔弥の飼っている猫は、ガーネット、という。すごくかわいい、賢くて美人な猫だ。
「ガーネットは幸運の招き猫」
お母さんにそう言われて、朔弥は「招き猫かぁ。じゃあぼくが幸せなのは、ガーネットのおかげなんだ」と、そのほわほわとした身体を抱き上げて頬擦りした。
「それに、ガーネットは朔よりも賢いのよ。まさかおやつあげてないでしょうね」
「えっ、あげた……」
お母さんはぷんぷんして、「だめよ! さっきおじいちゃんもあげて、おばあちゃんもあげたのよ! これ以上太ったら、健康に悪いのに……賢いから、どうすればおやつもらえるのか、どうすればまだおやつ食べてないように見せられるのかわかってるのよぅ」と言った。
朔弥の腕の中のガーネットは、「そんなに食べてないモン」みたいな仕草でかわいくおすまししていたが、お母さんの目はごまかせない。お母さんは先日獣医の先生に、ガーネットはちょっと太りすぎ、と言われたばかりであるらしい。
朔弥は、腕の中のガーネットをじっ、とみつめた。愛くるしい宝石のような瞳が朔弥を見つめ返す。「そんなに食べてないモン」と、視線で訴えてくる。そして、ご飯を欲しそうに鳴く。じゃあちょっとだけ……と追加のおやつをあげようとしてしまい、我に返る。
「ダメだよガーネット、長生きして!」
朔弥がそう訴えると、ガーネットは「チェッ」みたいな顔をしていた。ガーネットは確かに賢い猫で、自分をよく見せるすべを熟知しているように思えた。
「おまえは駆け引きがうまいんだな、ガーネット。家族全員から抜け目なくおやつをもらうために、技術を磨いているんだね……」
朔弥は、ガーネットの小さな頭のあたり、ホットケーキにかけるシロップのようなにおいのする毛並みのにおいをすんすん、と嗅ぎ、「……ぼくも少しくらいは、自分をよく見せてみたい。いつもぜんぜんだめだから。今日もね、ぜんぜん話せなかった……遠くから見ているだけでどきどきしちゃって、ぜんぜん、とにかくぜんぜんだめなんだ」と呟いた。
朔弥が高校に入学してから、早いもので一ヶ月。もともと人見知りの朔弥は、ただでさえ少なかった中学時代の友人たちと離れて、孤独な高校生活のスタートだった。でもひとりでいるのは慣れっこだし、ゆっくり時間をかけて、少なくても気の合う友だちを見つけられればいいや、とのんびり構えていた。
初めて人を好きになったのは、入学してすぐだった。
それは一学年上の先輩で、図書室の窓から見える裏庭のベンチで昼寝をしていた。その時は先輩だということはわからなかったけれど、上履きのちょっと履きつぶしたこなれ感が、新入生ではなさそうだな、という雰囲気を醸していた。脚が長くて、腕組みして、花と葉が半々くらいになった桜の木からこぼれ落ちてくる木漏れ日を浴びて、爆睡していた。
「……」
朔弥がその人から目を離せずにいると、気づいたらチャイムが鳴っていた。チャイムも聞こえないくらいに、朔弥はその人に見蕩れていたのだ。かっこいい人。幸い、それは予鈴だった。はっと気づいて、朔弥は叫んだ。
「あの! お昼休みが終わります!」
朔弥の叫びをダイレクトに受けたその人は、背の高い身体を、びくっとさせて、「うわ! びっくりした!」と言った。
「す、すみません」
「……」
その人は、図書室の窓辺の朔弥を、寝起きのしぱしぱとした目を細めて見て、「……いや、ありがとう。遅刻するところだった」と言い、中庭から校舎まで駆けて去っていった。
朔弥は授業に遅刻をした。その人の言ってくれた、ありがとう、が身体中に響いて、なかなか動けなかったせいだ。あと、喉のところがちょっぴりだけ、けぱけぱとした。何しろ朔弥は日頃、そんなに大きな声を出す機会がないからだ。こんなに叫んだ記憶は、ここ最近ない。
その人が二年生なのは、一度廊下で見かけた時に、こっそり後をつけたのでわかった。二年の教室に入っていったからだ。でも、わかるのはそれだけ。時々中庭で昼寝をしている姿を盗み見たり、二年生のクラスが体育をやっている時に、校庭をじっと見つめて探すだけ。窓際の席でよかった。
名前がわからないので、先輩、としか呼べない。いつも気だるげに見えるかと思えば、友だちっぽい人と話している時は明るくはしゃいでいる。ちょうどいいふざけかたを知っているみたいだ。しらけすぎもしないし、やりすぎることもない。陽キャ、っていう感じがするのに、静かにひとりでいることもある。ミステリアスだ。
どんな人か、よく知らないのに。想像を勝手に膨らませて勝手に好きになるなんて、迷惑だろうな。そう思うのに、やめられない。正しい恋がどんなものなのか、朔弥にはわからないのだ。だってこんなの、初めてのことだから。初めての恋。やっぱり高校生は、中学生よりうんとオトナだ。何しろアルバイトもできるし。
朔弥は抱き上げたガーネットに、「ガーネット、おまえなら先輩におやつもらえるかな? 思わず撫でて、甘やかしたくなるようなかわいさを見せられるもんね」と言った。ガーネットは、ふん、と鼻を鳴らし、当たり前やろ、とでも言いたげであった。
明日こそ、勇気を出して声をかけてみようかな? 名前を聞いて……あ、あと誕生日と好きな食べ物と血液型と……。あ~ダメダメ! そんなこと聞いたら、「相性占いしようとしています」って白状するみたいじゃないか。
「朔~ゴハンだよ~」
「は~い」
今日は金曜日だ。明日も明後日も、先輩の姿を見ることはできない。寂しいな。
先輩って、土日は何をしているんだろう。アルバイト? でもあんなにかっこいいんだから、もしかしてデートとかかもしれない。
「今日、絶対ハンバーグだ! においでわかる!」
「にゃおん」
「ガーネット、おまえはハンバーグは食べちゃだめなんだよ……そ、そんなにかわいい顔をしてもダメ~! あっ、重い、ガーネットおまえ、本当に太ったね!? だめだ、おまえの健康のためにぼくも気をつけなくっちゃ……甘やかさないように……そんなかわいい顔! してもダメ~!」
そうして、一ヶ月が過ぎた。先輩の姿は、運がいい日にチラッと見かけるだけ。
もっとぼくが明るくて、社交的で、魅力的だったら、先輩にすぐ声をかけられたのに。SNSのアカウントとか聞いたりして……聞いたところで、朔弥はあまりSNSをやらないので、その情報を生かしきれるか謎が残る。

