目蓋を開けた瞬間、窓の向こうはまだ夜の名残を引きずっていた。灰色がかった空に朝の気配が滲み始めていて、街のどこかでカラスが低く鳴いている。部屋に差し込む冷えた空気が、皮膚にうっすらと鳥肌を立てさせた。
寝ぼけ眼をこすりながらリビングに向かうと、キッチンから鍋のふたが揺れる音が聞こえた。ガチャガチャ、トントン――生活音がリズムを刻む。味噌汁の湯気がふわりと鼻先をくすぐり、寝起きの胃に柔らかく訴えかけてくる。
「朝から元気だな……ってか、いつ寝てんだよ、あいつ」
ぼやけた思考のまま足を進めかけたとき、つま先に固い感触がぶつかった。反射的に足元を見ると、スマホがひとつ転がっている。背面には、見覚えのあるカバー。
明のスマホだ。なにかの拍子に落ちたんだろう。
拾い上げた瞬間、不意にバイブが震え、画面が光った。咄嗟に視線が吸い寄せられる。
【また、やったのか?】
送信者は――「佐伯先生」
――誰だよ、それ。
胸の内で疑問が膨らむ。目が冴えるような感覚。表示された名前にも、内容にも、覚えはない。既読にする前に通知がスッと消え、代わりにホーム画面が立ち上がった。
そこには、高校時代に撮った明と自分のツーショットが背景として設定されていた。二人で遊園地に行ったときの写真だ。キャラクターもののカチューシャを頭につけて、おどけた表情でピースサインをしている。
あまりに自然なその光景に、かえって妙な違和感が残る。無邪気な笑顔の裏に、俺の知らない明がいる気がして――嫌な妄想が頭をもたげた。
「おはよう、秋司」
明の声が背後から届いた。振り向けば、エプロン姿のまま、木漏れ日のような笑顔がそこにある。まるで何事もなかったかのように。
「おう。スマホ、落としてたぞ」
「あ、ほんと? サンキュー」
明はいつも通りの口調でそれを受け取り、さりげなくポケットにしまう。指先はまったく揺れていない。隠し事をしているようには見えなかった。
「教育概論のレポート、もうやった? 今週末締切だろ?」
「うわ、朝から嫌なこと思い出させんな……」
「それで前日に泣きつくの、何回目?」
図星を突かれて、ぐっと言葉を詰まらせる。顔をそらして「知らねーし」と言いながら、湯気の立つ味噌汁をすする。舌の上で優しい塩気と甘みが混ざり合い、喉元をじんわり温めていく。日本食の優しい味が、五臓六腑に染み渡る――
「……うまい」
ぽつりと漏れた本音に、明の口元がほころぶ。まるで褒められ慣れていない子どもみたいに、照れと喜びの入り混じった笑顔だった。あまりに嬉しそうで、俺の心臓が派手な音を立てて騒ぎ始める。
俺の朝食を作ったって、給料が出るわけでもないのに。どうして毎日こんなに頑張ってくれるのか。
照れくさい気持ちを隠すように、魚の煮つけと白米を勢いよくかきこむ。
そんな俺の様子を、明はじっと目で追っていた。やがて、ふと眉を寄せて言う。
「寝癖、ついてるよ。……こっち向いて」
「いや、自分でやるって」
「動かないで」
軽く制され、動けずにいると、明の指がそっと髪に触れる。整えるふりで、耳にもかすかに指先が触れた。
ビクリと肩が跳ねる。
「くすぐった……っつーか、近いって」
「秋司はかわいいから、寝癖つけてたらもったいないって。ま、つけたままでもかわいいけど」
「俺は男だぞ。かわいいって言うな!」
言葉では跳ね返しながらも、胸の鼓動は裏切れない。
この近さ、温度、微笑み――全部が「ただの友達」で済ませるには、あまりにリアルすぎた。
(俺、ちゃんと親友の顔できてたかな……)
自分の中で日に日に膨らんでいく気持ち。その正体に気づきたくなくて、俺は目を伏せた。
寝ぼけ眼をこすりながらリビングに向かうと、キッチンから鍋のふたが揺れる音が聞こえた。ガチャガチャ、トントン――生活音がリズムを刻む。味噌汁の湯気がふわりと鼻先をくすぐり、寝起きの胃に柔らかく訴えかけてくる。
「朝から元気だな……ってか、いつ寝てんだよ、あいつ」
ぼやけた思考のまま足を進めかけたとき、つま先に固い感触がぶつかった。反射的に足元を見ると、スマホがひとつ転がっている。背面には、見覚えのあるカバー。
明のスマホだ。なにかの拍子に落ちたんだろう。
拾い上げた瞬間、不意にバイブが震え、画面が光った。咄嗟に視線が吸い寄せられる。
【また、やったのか?】
送信者は――「佐伯先生」
――誰だよ、それ。
胸の内で疑問が膨らむ。目が冴えるような感覚。表示された名前にも、内容にも、覚えはない。既読にする前に通知がスッと消え、代わりにホーム画面が立ち上がった。
そこには、高校時代に撮った明と自分のツーショットが背景として設定されていた。二人で遊園地に行ったときの写真だ。キャラクターもののカチューシャを頭につけて、おどけた表情でピースサインをしている。
あまりに自然なその光景に、かえって妙な違和感が残る。無邪気な笑顔の裏に、俺の知らない明がいる気がして――嫌な妄想が頭をもたげた。
「おはよう、秋司」
明の声が背後から届いた。振り向けば、エプロン姿のまま、木漏れ日のような笑顔がそこにある。まるで何事もなかったかのように。
「おう。スマホ、落としてたぞ」
「あ、ほんと? サンキュー」
明はいつも通りの口調でそれを受け取り、さりげなくポケットにしまう。指先はまったく揺れていない。隠し事をしているようには見えなかった。
「教育概論のレポート、もうやった? 今週末締切だろ?」
「うわ、朝から嫌なこと思い出させんな……」
「それで前日に泣きつくの、何回目?」
図星を突かれて、ぐっと言葉を詰まらせる。顔をそらして「知らねーし」と言いながら、湯気の立つ味噌汁をすする。舌の上で優しい塩気と甘みが混ざり合い、喉元をじんわり温めていく。日本食の優しい味が、五臓六腑に染み渡る――
「……うまい」
ぽつりと漏れた本音に、明の口元がほころぶ。まるで褒められ慣れていない子どもみたいに、照れと喜びの入り混じった笑顔だった。あまりに嬉しそうで、俺の心臓が派手な音を立てて騒ぎ始める。
俺の朝食を作ったって、給料が出るわけでもないのに。どうして毎日こんなに頑張ってくれるのか。
照れくさい気持ちを隠すように、魚の煮つけと白米を勢いよくかきこむ。
そんな俺の様子を、明はじっと目で追っていた。やがて、ふと眉を寄せて言う。
「寝癖、ついてるよ。……こっち向いて」
「いや、自分でやるって」
「動かないで」
軽く制され、動けずにいると、明の指がそっと髪に触れる。整えるふりで、耳にもかすかに指先が触れた。
ビクリと肩が跳ねる。
「くすぐった……っつーか、近いって」
「秋司はかわいいから、寝癖つけてたらもったいないって。ま、つけたままでもかわいいけど」
「俺は男だぞ。かわいいって言うな!」
言葉では跳ね返しながらも、胸の鼓動は裏切れない。
この近さ、温度、微笑み――全部が「ただの友達」で済ませるには、あまりにリアルすぎた。
(俺、ちゃんと親友の顔できてたかな……)
自分の中で日に日に膨らんでいく気持ち。その正体に気づきたくなくて、俺は目を伏せた。



