昼休みの大学の中庭は、まるで季節が迷い込んだようだった。
夏の熱を名残惜しむように、色褪せた落ち葉が風にさらわれて舞っている。その隙間を縫うように、秋の乾いた光が芝生に影を落とし、空は高く澄み渡っていた。雲ひとつない青が、何もかも許すように、静かに広がっている。
石造りのベンチに腰を下ろした俺は、手にしたペットボトルを無意識にくるくる回していた。
向かいの芝生では、同じ授業で知り合った数人の友人が寝転びながらくだらない冗談を飛ばし合っていて、その笑い声が、まるで風鈴の音みたいに耳に心地よかった。うるさくもなく、寂しくもない。ただそこに存在していて、じんわりと俺の中に染み込んでくる。
――劇的になにかが変わったわけじゃない。けれど、確かに俺の中の「距離感」が、少しずつ変わってきている気がした。
「今度のゼミ発表、みんなで準備しねーか?」
声をかけてきたのは隼人だった。Tシャツの襟元を無造作に引っ張りながら、笑うその顔には、あいかわらず照れたような無邪気さがあった。
「……ん、いいよ。データまとめとくわ」
そう返す自分の声に、以前の自分とは少し違う響きがあった。
前だったら、きっと「考えとく」とか、「他のやつとやってくれ」って逃げていた。人と関わることが、怖かった。踏み込むのも、踏み込まれるのも。
けれど今は――そんなことを考える前に、口が自然と動いていた。
隼人の笑い声が風に乗って耳に届く。それが、なんだか前よりも近くに感じられた。
同じ景色を見て、同じ空気の中で笑う。たったそれだけのことが、思っていたよりもずっと、心を軽くする。
そのとき、コツ、コツ、とリズムのいい足音が近づいてきた。顔を向けると、明が片手をひょいと上げていた。黒のパーカーの袖を少しだけまくり、肩に軽くリュックをかけて、まぶしそうに俺を見ている。
「お、秋司じゃん。早いなー」
「まあな。ちょっと先に来てただけ」
短い会話。それだけで、俺の肩の力がすっと抜けるのがわかった。
そのあとすぐ、後ろからふたりの声が重なった。明るく弾むような足取りで現れたのは、遥と結菜だった。
「やっほー。飯ー! 腹減ったー!」
遥はいつもどおり元気で、歩くだけで空気を軽く跳ねさせていく。その隣で、結菜はふわりとした笑みを浮かべて、日傘をたたむようにゆっくりと歩いてくる。静と動。並んで歩くふたりのコントラストが、どこか絵画の中の人物のようだった。
「はいはい、じゃあ食堂いこっか!」
遥の声に引っ張られるように、俺たちはぞろぞろと学食へ向かった。
窓際の席に座ると、午後の光がテーブルの上に斜めの影を落とす。
その柔らかい日差しに包まれながら、メニューを開いた。
手元の紙が軽く震えていたのは、単にエアコンの風のせいじゃなかったと思う。俺は何を注文するかを迷っているふりをしながら、心の準備をしていた。
この「普通の時間」の中に、自分がちゃんと混ざっていていいのか――まだ、心のどこかで問い続けている自分がいる。
そんな空気の中で、誰かがなにかを言わねば、という沈黙がふわりと漂った。
俺が口を開こうとした、そのときだった。
「でもさ」
結菜が、ぽつりと呟くように言った。
「秋司って意外と面白いよね。前はもっと無口で、なんか壁って感じだったのにさ」
「うんうん。真面目そうに見えて、意外とドジるとこあるし。今日もレポート出し忘れかけてたでしょ?」
遥が肩を揺らして笑い、隼人も「確かに!」と大げさに頷いた。明は静かにみんなを見守っている。
「俺さ、今さらだけど、明抜きで秋司と普通に話したの、今日が初めてかもしんない」
「こっちもだよ」
気づけば、俺は笑っていた。作り物じゃない。引きつりでもない。意識しなくても自然に出ていた笑顔だった。
そこからの会話は、水が流れるようだった。誰かが話題を振ると、他の誰かがすぐに乗っかる。くだらないことを笑って、うっかりしたミスをからかって、隣のテーブルの客が頼んだデザートの大きさにざわめいたり――。
ただ、「その時間」に一緒にいるだけ。でも、そのこと自体が、今の俺にはかけがえのないものだった。
結菜が、アイスコーヒーのストローをくるくる回しながら言った。
「また、こうやって集まろうよ」
その言葉に、遥、隼人、明はすぐ頷いた。
「うん。また会おうな」
隼人のその一言に、俺は自然に応えていた。
「……ああ」
帰り道。
夕日が傾きかけた歩道を、明とふたりで歩いた。
アスファルトの隅に落ちた影が、ふたり分、並んでいる。いつの間にか俺たちは手をつないでいて、それがどこか、あたり前のように感じられた。
ふいに、俺は小さく息を吐いた。
「友達って、こういうことかもな」
ぽつりとこぼした言葉に、明が横で笑う。その笑顔には、過去の痛みも、未来への不安も、全部を抱きしめるようなあたたかさがあった。
「うん。関わる勇気さえあれば、関係ってちゃんと育つんだよ」
その言葉が、今日一日の締めくくりのように胸にしみた。
孤独が、少しずつ薄れていく。
たったそれだけのことが、こんなにも心強いなんて、昔の俺は知らなかった。
――今なら、ちゃんと信じられる。俺は、ここにいていい。
明と並んで歩く風景は、夕日の光で少し赤く染まっていた。その色は、少しだけ、未来の色に似ている気がした。
夏の熱を名残惜しむように、色褪せた落ち葉が風にさらわれて舞っている。その隙間を縫うように、秋の乾いた光が芝生に影を落とし、空は高く澄み渡っていた。雲ひとつない青が、何もかも許すように、静かに広がっている。
石造りのベンチに腰を下ろした俺は、手にしたペットボトルを無意識にくるくる回していた。
向かいの芝生では、同じ授業で知り合った数人の友人が寝転びながらくだらない冗談を飛ばし合っていて、その笑い声が、まるで風鈴の音みたいに耳に心地よかった。うるさくもなく、寂しくもない。ただそこに存在していて、じんわりと俺の中に染み込んでくる。
――劇的になにかが変わったわけじゃない。けれど、確かに俺の中の「距離感」が、少しずつ変わってきている気がした。
「今度のゼミ発表、みんなで準備しねーか?」
声をかけてきたのは隼人だった。Tシャツの襟元を無造作に引っ張りながら、笑うその顔には、あいかわらず照れたような無邪気さがあった。
「……ん、いいよ。データまとめとくわ」
そう返す自分の声に、以前の自分とは少し違う響きがあった。
前だったら、きっと「考えとく」とか、「他のやつとやってくれ」って逃げていた。人と関わることが、怖かった。踏み込むのも、踏み込まれるのも。
けれど今は――そんなことを考える前に、口が自然と動いていた。
隼人の笑い声が風に乗って耳に届く。それが、なんだか前よりも近くに感じられた。
同じ景色を見て、同じ空気の中で笑う。たったそれだけのことが、思っていたよりもずっと、心を軽くする。
そのとき、コツ、コツ、とリズムのいい足音が近づいてきた。顔を向けると、明が片手をひょいと上げていた。黒のパーカーの袖を少しだけまくり、肩に軽くリュックをかけて、まぶしそうに俺を見ている。
「お、秋司じゃん。早いなー」
「まあな。ちょっと先に来てただけ」
短い会話。それだけで、俺の肩の力がすっと抜けるのがわかった。
そのあとすぐ、後ろからふたりの声が重なった。明るく弾むような足取りで現れたのは、遥と結菜だった。
「やっほー。飯ー! 腹減ったー!」
遥はいつもどおり元気で、歩くだけで空気を軽く跳ねさせていく。その隣で、結菜はふわりとした笑みを浮かべて、日傘をたたむようにゆっくりと歩いてくる。静と動。並んで歩くふたりのコントラストが、どこか絵画の中の人物のようだった。
「はいはい、じゃあ食堂いこっか!」
遥の声に引っ張られるように、俺たちはぞろぞろと学食へ向かった。
窓際の席に座ると、午後の光がテーブルの上に斜めの影を落とす。
その柔らかい日差しに包まれながら、メニューを開いた。
手元の紙が軽く震えていたのは、単にエアコンの風のせいじゃなかったと思う。俺は何を注文するかを迷っているふりをしながら、心の準備をしていた。
この「普通の時間」の中に、自分がちゃんと混ざっていていいのか――まだ、心のどこかで問い続けている自分がいる。
そんな空気の中で、誰かがなにかを言わねば、という沈黙がふわりと漂った。
俺が口を開こうとした、そのときだった。
「でもさ」
結菜が、ぽつりと呟くように言った。
「秋司って意外と面白いよね。前はもっと無口で、なんか壁って感じだったのにさ」
「うんうん。真面目そうに見えて、意外とドジるとこあるし。今日もレポート出し忘れかけてたでしょ?」
遥が肩を揺らして笑い、隼人も「確かに!」と大げさに頷いた。明は静かにみんなを見守っている。
「俺さ、今さらだけど、明抜きで秋司と普通に話したの、今日が初めてかもしんない」
「こっちもだよ」
気づけば、俺は笑っていた。作り物じゃない。引きつりでもない。意識しなくても自然に出ていた笑顔だった。
そこからの会話は、水が流れるようだった。誰かが話題を振ると、他の誰かがすぐに乗っかる。くだらないことを笑って、うっかりしたミスをからかって、隣のテーブルの客が頼んだデザートの大きさにざわめいたり――。
ただ、「その時間」に一緒にいるだけ。でも、そのこと自体が、今の俺にはかけがえのないものだった。
結菜が、アイスコーヒーのストローをくるくる回しながら言った。
「また、こうやって集まろうよ」
その言葉に、遥、隼人、明はすぐ頷いた。
「うん。また会おうな」
隼人のその一言に、俺は自然に応えていた。
「……ああ」
帰り道。
夕日が傾きかけた歩道を、明とふたりで歩いた。
アスファルトの隅に落ちた影が、ふたり分、並んでいる。いつの間にか俺たちは手をつないでいて、それがどこか、あたり前のように感じられた。
ふいに、俺は小さく息を吐いた。
「友達って、こういうことかもな」
ぽつりとこぼした言葉に、明が横で笑う。その笑顔には、過去の痛みも、未来への不安も、全部を抱きしめるようなあたたかさがあった。
「うん。関わる勇気さえあれば、関係ってちゃんと育つんだよ」
その言葉が、今日一日の締めくくりのように胸にしみた。
孤独が、少しずつ薄れていく。
たったそれだけのことが、こんなにも心強いなんて、昔の俺は知らなかった。
――今なら、ちゃんと信じられる。俺は、ここにいていい。
明と並んで歩く風景は、夕日の光で少し赤く染まっていた。その色は、少しだけ、未来の色に似ている気がした。



