あの日から、俺の時間はずっと秋司のために動いている。
思い出すのは、入院中の彼の様子だった。痩せた身体に、表情を失った暗い顔。もうすぐ高校を卒業するというのに、秋司はまるで季節の移り変わりなんてどうでもいいとでも言いたげに、曇った目で空を見上げていた。
「なあ、明……。俺が生きてる意味、あるのかな」
「そんなこと言うなって。俺はおまえに生きていてほしいよ」
「でも……俺……死にたいんだ」
唐突にそんなことを言い出したアキを見て、胸がズキンと痛んだ。俺は、すぐに答えてあげられなかった。ただ、秋司の横顔を見つめることしかできなかった。
秋司の祖母の一件が怒る前から、俺は秋司の中にぽっかりと空いた穴があるのを感じていた。言葉では説明できない虚無、誰にも触れられたくない過去の傷痕。それを隠すように、秋司は普段は穏やかで、どこか無表情だった。
秋司はすべてを話してくれた。母親のこと、祖父母のこと、自分を否定し続けた過去――。どんなに頑張っても「産まなきゃよかった」と言われ続けたこと。
秋司の話を聞くごとに、心が裂けそうになった。小さい子どもだった秋司がどれだけ傷ついたのかなんて、考えなくてもわかった。つらくて、悲しくて。さみしくて……でも、誰のせいにもできなくて、泣いていたんだろう。
聞いているこちらもつらかった。けれど俺は、一度も目を逸らさなかった。聞くことが、抱きしめることと同じくらい大切だと、ようやく知ったから。
「……全部、話したらさ。不思議と、ちょっとだけ、楽になった」
そう言って笑う秋司を見て、俺の胸もふっと軽くなった。ようやく、秋司をちゃんと理解できた気がした。そして胸の内に溢れ出す自分の想いにも気がついた。
恋じゃない。ただの同情でもない。もっとずっと深くて、重くて、でも確かな感情。
これが、愛なんだと思った。
そして、ある日。深い眠りから目を覚ました秋司は——不思議なことに、飛び降りたときのことをなにも覚えていなかった。自分が何度も自殺未遂を繰り返していたことも、屋上から飛び降りたことも、ぜんぶ。「どうやら記憶が混濁しているようです」と、担当医師は語った。
「インフルこじらせて、二人して入院してたんだよ」
俺は嘘をついた。心臓を痛めながら、なんでもないような笑顔を、秋司に向けた。あれは秋司を、俺自身を、守るための嘘だった。そうでなければ、秋司はまた……死のうとしていただろうから。
高校の卒業を目前に控えたあの日、俺は親戚で精神科医の佐伯先生のもとを訪ねた。秋司のことを、初めて誰かに打ち明けるために。
「アキのやつ、ほかのことはちゃんと覚えてるのに、おばあさんとのこととか、自殺未遂のことは覚えてないんです。飛び降りたとき、ショックを受けすぎたんでしょうか?」
「それはね、明くん。たぶん秋司くんは、自分の記憶に鍵をかけているんじゃないかな」
佐伯先生の声は落ち着いていたが、その言葉の重みに、俺は深く息を吐いた。
「自分を守るために?」
「そう。彼にとって、その記憶はきっと、あまりにも痛くて、触れることすらできないんだ」
俺はなにも言えず、膝の上で握りしめた手を見つめた。秋司がどれだけのことを一人で背負ってきたのか、想像もつかなかった。
「でも……またやるんじゃないかって、俺、怖くて。放っておけないんです。あんなふうに、生きる意味がないなんて言って……。俺、あいつになにもしてやれてないのかなって」
「してるよ、明くん。十分すぎるほどにね」
佐伯先生の言葉は、優しかった。でも、それだけじゃ救えない気がした。
だから、俺は決めたんだ。秋司の心も命も、俺が守るって。
――表向きは、なにも知らないフリをする。秋司は至って普通の幸せな人間だと、思い込ませる。それがいつか本当になればいいと、心の底から願いながら。
思い出すのは、入院中の彼の様子だった。痩せた身体に、表情を失った暗い顔。もうすぐ高校を卒業するというのに、秋司はまるで季節の移り変わりなんてどうでもいいとでも言いたげに、曇った目で空を見上げていた。
「なあ、明……。俺が生きてる意味、あるのかな」
「そんなこと言うなって。俺はおまえに生きていてほしいよ」
「でも……俺……死にたいんだ」
唐突にそんなことを言い出したアキを見て、胸がズキンと痛んだ。俺は、すぐに答えてあげられなかった。ただ、秋司の横顔を見つめることしかできなかった。
秋司の祖母の一件が怒る前から、俺は秋司の中にぽっかりと空いた穴があるのを感じていた。言葉では説明できない虚無、誰にも触れられたくない過去の傷痕。それを隠すように、秋司は普段は穏やかで、どこか無表情だった。
秋司はすべてを話してくれた。母親のこと、祖父母のこと、自分を否定し続けた過去――。どんなに頑張っても「産まなきゃよかった」と言われ続けたこと。
秋司の話を聞くごとに、心が裂けそうになった。小さい子どもだった秋司がどれだけ傷ついたのかなんて、考えなくてもわかった。つらくて、悲しくて。さみしくて……でも、誰のせいにもできなくて、泣いていたんだろう。
聞いているこちらもつらかった。けれど俺は、一度も目を逸らさなかった。聞くことが、抱きしめることと同じくらい大切だと、ようやく知ったから。
「……全部、話したらさ。不思議と、ちょっとだけ、楽になった」
そう言って笑う秋司を見て、俺の胸もふっと軽くなった。ようやく、秋司をちゃんと理解できた気がした。そして胸の内に溢れ出す自分の想いにも気がついた。
恋じゃない。ただの同情でもない。もっとずっと深くて、重くて、でも確かな感情。
これが、愛なんだと思った。
そして、ある日。深い眠りから目を覚ました秋司は——不思議なことに、飛び降りたときのことをなにも覚えていなかった。自分が何度も自殺未遂を繰り返していたことも、屋上から飛び降りたことも、ぜんぶ。「どうやら記憶が混濁しているようです」と、担当医師は語った。
「インフルこじらせて、二人して入院してたんだよ」
俺は嘘をついた。心臓を痛めながら、なんでもないような笑顔を、秋司に向けた。あれは秋司を、俺自身を、守るための嘘だった。そうでなければ、秋司はまた……死のうとしていただろうから。
高校の卒業を目前に控えたあの日、俺は親戚で精神科医の佐伯先生のもとを訪ねた。秋司のことを、初めて誰かに打ち明けるために。
「アキのやつ、ほかのことはちゃんと覚えてるのに、おばあさんとのこととか、自殺未遂のことは覚えてないんです。飛び降りたとき、ショックを受けすぎたんでしょうか?」
「それはね、明くん。たぶん秋司くんは、自分の記憶に鍵をかけているんじゃないかな」
佐伯先生の声は落ち着いていたが、その言葉の重みに、俺は深く息を吐いた。
「自分を守るために?」
「そう。彼にとって、その記憶はきっと、あまりにも痛くて、触れることすらできないんだ」
俺はなにも言えず、膝の上で握りしめた手を見つめた。秋司がどれだけのことを一人で背負ってきたのか、想像もつかなかった。
「でも……またやるんじゃないかって、俺、怖くて。放っておけないんです。あんなふうに、生きる意味がないなんて言って……。俺、あいつになにもしてやれてないのかなって」
「してるよ、明くん。十分すぎるほどにね」
佐伯先生の言葉は、優しかった。でも、それだけじゃ救えない気がした。
だから、俺は決めたんだ。秋司の心も命も、俺が守るって。
――表向きは、なにも知らないフリをする。秋司は至って普通の幸せな人間だと、思い込ませる。それがいつか本当になればいいと、心の底から願いながら。



