俺たちの所属する映画研究会では、不定期に飲み会が開催されていた。サークル活動と同じく、「来たい人は来ればいいし、来たくない人は来なくていい」というゆるいルールのもとに、だ。
今日はそんな、不定期飲み会の日。
居酒屋の店内はガヤガヤと賑やかで、焼き鳥の煙と甘いタレの匂いが空気に混ざっていた。長テーブルにずらりと並んだ学生たちは、焼酎やビール片手に、互いの距離を少しずつ詰めていく。一年生が飲み会常連の先輩に絡まれたり、飲み会ゲームが始まるころには、俺のグラスも三杯目を越えていた。
「秋司、これうまいからやるよ」
「おう」
明がよこしてきた山芋の明太子チーズ焼き。素直に受け取って舌鼓を打っていると、周りから揶揄うような笑い声が上がった。
――またかよ。この人たちも飽きねえな。
いつものことだ。明がやたら俺の世話を焼くから、先輩たちからもよく「カップルだ」と言われる。俺たちにとってはこれが日常だっていうのに。
「なにその距離感。やっぱ秋司と明って、付き合ってる?」
先輩の冗談混じりの質問に、周囲の笑い声が重なる。
「付き合ってません!」
即答。俺は焼酎の湯気でほんのり赤くなった頬を隠すように、グラスを口元に寄せた。明が横でくすくす笑っていた。明はひとしきり笑うと、やがてグラスを置いた。その仕草が妙にゆったりとしていて、こちらをじっと見る瞳が、いつもより深い色をしていた。
「……俺に聞いてくれればよかったのにな。俺は別に、否定しないし」
「はあ? おまえ、なに言っちゃってんの?」
「ああ、ごめん、冗談。酔ってるから。ね?」
一瞬、空気が止まった気がした。酔ってるから、ってごまかした明の笑顔。あの目は、本気だった。明の声はいつも通り穏やかだけど、その表情はどこか曖昧で、笑っているようで笑っていない。どこか言いたかった言葉を飲み込んだような――そんな違和感を覚えた。
周囲では「王様ゲームやろう!」という誰かの声があがり、割り箸が配られる。明らかに泥酔した先輩が、空気も読まずに明の肩をポンポンと叩いた。
「おいおい明、お前みたいなイケメン、絶対モテるだろ〜! 今、狙ってる子とかいるんじゃねーの?」
「二年の美波とかどう? 美男美女で超お似合いじゃん?」
俺はグラスをテーブルに置いた。焼酎の苦みが口内に残ったまま、やけに胸が熱い。酒を飲むペースが早かったのかもしれない。苛立ちと、気持ち悪さで、胃の中がぐるぐると回っていた。
「……お似合い、か……」
その瞬間、明の手がそっと俺の腕に触れた。手のひらの体温がじわりと伝わってくる。明の瞳が、酔いの奥に隠していたなにかを曝け出すように揺れていた。
「秋司、飲みすぎ。おまえが潰れたら、困るんだけど」
「……なんで困んだよ」
「だって……おまえに触れるの、俺の特権だから」
その一言で、頭の中でなにかがぷつりと切れた。笑えなかった。照れ隠しすらできずに、ただ黙って明の横顔を見ていた。隣で冗談を言っているはずの男が、まるで真実を告白しているように見えて――怖かった。
怖くて、でもその声を、もっと聞きたかった。
「あー! またアキくんと秋司がいちゃついてる」
「……秋司先輩とアキ先輩って、本当に仲がいいんですね」
そう言ったのは黒川だった。酔っ払いの先輩たちから逃げるように、俺たちの隣に避難してきたらしい。俺と明を交互に見比べては、感嘆するかのようにため息をついている。
「うんうん、なんか空気感がもう熟年夫婦って感じ。ね、もそう思わない?」
「確かに~! 初対面のときからそうだった気がする。ずっと一緒にいたっていうか」
先輩や同級生たちの視線がこちらに集中する。明は隣で「あはは」と笑って肩をすくめた。
「けっこう前からの付き合いだからなあ。中学のときにはもう友達だったし」
「そうそう! 俺たちだけの秘密のあだ名とかもあるんだよな」
「へえ、そうなんだ。いいなあ、本当の親友じゃん。青春だわー」
軽い口調で言われたその一言が、胸の奥でなにかを波打たせた。
青春、なんて言葉は遠く感じるのに。およそ俺に似つかわしくない言葉だ。明と出会った頃の自分は、あまりに無表情で無機質な人間だった。
「秋司くんは覚えてる? アキくんとの出会い」
その問いかけに、俺は少し考えるふりをして、お冷やを一口飲んだ。グラスの縁が唇にひんやり触れる。
「……覚えてるよ」
明がこちらを見ているのを、視界の端で感じた。どうしてなのか、心配の気配が伝わってくる。でも、顔は見なかった。
記憶の底に封じていたあの日々が、ふと、蓋を開けたようにあふれ出してくる。冷たい雨。無人のリビング。埃をかぶったソファ。仄暗い廊下の先にある、開かずの間。
(あの日……からだったよな)
全部、あそこから始まったんだ。
今日はそんな、不定期飲み会の日。
居酒屋の店内はガヤガヤと賑やかで、焼き鳥の煙と甘いタレの匂いが空気に混ざっていた。長テーブルにずらりと並んだ学生たちは、焼酎やビール片手に、互いの距離を少しずつ詰めていく。一年生が飲み会常連の先輩に絡まれたり、飲み会ゲームが始まるころには、俺のグラスも三杯目を越えていた。
「秋司、これうまいからやるよ」
「おう」
明がよこしてきた山芋の明太子チーズ焼き。素直に受け取って舌鼓を打っていると、周りから揶揄うような笑い声が上がった。
――またかよ。この人たちも飽きねえな。
いつものことだ。明がやたら俺の世話を焼くから、先輩たちからもよく「カップルだ」と言われる。俺たちにとってはこれが日常だっていうのに。
「なにその距離感。やっぱ秋司と明って、付き合ってる?」
先輩の冗談混じりの質問に、周囲の笑い声が重なる。
「付き合ってません!」
即答。俺は焼酎の湯気でほんのり赤くなった頬を隠すように、グラスを口元に寄せた。明が横でくすくす笑っていた。明はひとしきり笑うと、やがてグラスを置いた。その仕草が妙にゆったりとしていて、こちらをじっと見る瞳が、いつもより深い色をしていた。
「……俺に聞いてくれればよかったのにな。俺は別に、否定しないし」
「はあ? おまえ、なに言っちゃってんの?」
「ああ、ごめん、冗談。酔ってるから。ね?」
一瞬、空気が止まった気がした。酔ってるから、ってごまかした明の笑顔。あの目は、本気だった。明の声はいつも通り穏やかだけど、その表情はどこか曖昧で、笑っているようで笑っていない。どこか言いたかった言葉を飲み込んだような――そんな違和感を覚えた。
周囲では「王様ゲームやろう!」という誰かの声があがり、割り箸が配られる。明らかに泥酔した先輩が、空気も読まずに明の肩をポンポンと叩いた。
「おいおい明、お前みたいなイケメン、絶対モテるだろ〜! 今、狙ってる子とかいるんじゃねーの?」
「二年の美波とかどう? 美男美女で超お似合いじゃん?」
俺はグラスをテーブルに置いた。焼酎の苦みが口内に残ったまま、やけに胸が熱い。酒を飲むペースが早かったのかもしれない。苛立ちと、気持ち悪さで、胃の中がぐるぐると回っていた。
「……お似合い、か……」
その瞬間、明の手がそっと俺の腕に触れた。手のひらの体温がじわりと伝わってくる。明の瞳が、酔いの奥に隠していたなにかを曝け出すように揺れていた。
「秋司、飲みすぎ。おまえが潰れたら、困るんだけど」
「……なんで困んだよ」
「だって……おまえに触れるの、俺の特権だから」
その一言で、頭の中でなにかがぷつりと切れた。笑えなかった。照れ隠しすらできずに、ただ黙って明の横顔を見ていた。隣で冗談を言っているはずの男が、まるで真実を告白しているように見えて――怖かった。
怖くて、でもその声を、もっと聞きたかった。
「あー! またアキくんと秋司がいちゃついてる」
「……秋司先輩とアキ先輩って、本当に仲がいいんですね」
そう言ったのは黒川だった。酔っ払いの先輩たちから逃げるように、俺たちの隣に避難してきたらしい。俺と明を交互に見比べては、感嘆するかのようにため息をついている。
「うんうん、なんか空気感がもう熟年夫婦って感じ。ね、もそう思わない?」
「確かに~! 初対面のときからそうだった気がする。ずっと一緒にいたっていうか」
先輩や同級生たちの視線がこちらに集中する。明は隣で「あはは」と笑って肩をすくめた。
「けっこう前からの付き合いだからなあ。中学のときにはもう友達だったし」
「そうそう! 俺たちだけの秘密のあだ名とかもあるんだよな」
「へえ、そうなんだ。いいなあ、本当の親友じゃん。青春だわー」
軽い口調で言われたその一言が、胸の奥でなにかを波打たせた。
青春、なんて言葉は遠く感じるのに。およそ俺に似つかわしくない言葉だ。明と出会った頃の自分は、あまりに無表情で無機質な人間だった。
「秋司くんは覚えてる? アキくんとの出会い」
その問いかけに、俺は少し考えるふりをして、お冷やを一口飲んだ。グラスの縁が唇にひんやり触れる。
「……覚えてるよ」
明がこちらを見ているのを、視界の端で感じた。どうしてなのか、心配の気配が伝わってくる。でも、顔は見なかった。
記憶の底に封じていたあの日々が、ふと、蓋を開けたようにあふれ出してくる。冷たい雨。無人のリビング。埃をかぶったソファ。仄暗い廊下の先にある、開かずの間。
(あの日……からだったよな)
全部、あそこから始まったんだ。



