大学近くにある、超人気チェーンのカフェ。顔面偏差値が高い人ばかり採用されるらしいと、噂の店。
カウンター越しに立つ男を見て、思わず声が漏れた。そこに、明がいた。
「……え、明?」
「びっくりした?」
明がゆっくりと笑った。
「おまえ、ここでバイトしてたのかよ」
俺が呆けた声を出すと、明は「そうだよー」と呑気な声で言った。
いつもの私服よりも糊が効いてきちんとした白シャツに、腰に巻かれた黒いエプロン。制服のようなその姿に、俺は一瞬、見慣れない他人を見るような違和感を覚えた。
――親友が、俺を差し置いて大人になっちまった。みたいな?
バイトすることなんて聞かされていない。俺が子供染みたさみしさから、ぶすくれていると。明がおかしそうに目を細めた。
「……いつからバイトしてたんだよ」
「今日で三回目かな。まだ慣れないけど、なんとかやってる」
カウンターにはドリッパー、グラス、ケーキのショーケース。落ち着いた木目の店内には、ジャズが低く流れている。
「明、ちゃんとコーヒー淹れられるのか?」
「俺を誰だと思ってんだ。おまえのメシ、いつも作ってやってんのに……飲む?」
「あ? まあ、せっかくだし」
言いながら、俺はカウンター席に腰を下ろした。
湯気が静かに立ち上る。店内に満ちるジャズの音が、耳の奥にじんわりとしみてくる。
明の指が、銀のケトルの柄をそっと持ち上げた。白シャツの袖から覗く手首が、ケトルの重みをゆっくりと受け止める。その動きが、やけに丁寧で、どこか親密に感じた。湯が粉に触れた瞬間、豆がふわりと膨らんだ。さっきまで黙々と働いていた店員の顔とは違って、明の表情は今、妙に集中していて、どこか無防備だった。
(……こんな顔、いつも見せねえのに)
胸の奥がざわついた。知らない横顔を見るみたいに。距離ができたような、でも逆に踏み込んじゃいけない何かに触れそうな、そんな不安定な感覚。まるで、ドラマのワンシーンを眺めている視聴者になった気分だった。
俺が明を眺めていると、後ろから店に入ってきた女の客が、背中越しに声をかけてきた。
「あの、ここ空いてます?」
「ああ、どうぞ……」
椅子を引いて譲った秋司に、女性はにっこり笑って言った。
「もしかして、このカフェ初めてですか? あの店員さん、めちゃくちゃ人気あるんですよ。顔がいいし、無愛想なところが逆にいいって」
「……はあ。そうなんですか」
「彼女いないのかなって話してたところなんですよ~」
明の手がぴたりと止まった。コーヒーの香りが漂う中、明は何も言わずに俺の目を見た。そして一言。
「……俺、好きな人がいるので。ごめんなさい」
それは客への返事だったが、明は女性を見ていなかった。まっすぐ俺を見ていた。なぜか、ピンとくる。
――今のは、俺に向けた言葉だった。
鼓動が一拍、跳ねた。明から視線を逸らせなくて、真正面から向けられたその瞳に、釘付けにされていた。
明は黙ってカップを差し出してきた。湯気の立つ黒い液体が、俺の手元に届いた瞬間、明がぽつりと漏らした。
「おまえが来るって分かってたら、もっと格好つけて準備したのに」
明が呟いたとき、視線はコップではなく、まっすぐ俺に向いていた。
「……じゅうぶん、格好ついてんだろ」
言ってしまってから、しまったと思った。自分の声が思ったより低く掠れて、俺自身が驚いた。
明が目を細めて笑う。俺の返事が、冗談じゃなかったって伝わったのかもしれない。
だけどそのあとに続いた言葉は、笑えなかった。
「そう? じゃあ、これ以上どう頑張れば、秋司に気に入ってもらえるのかな。わかんないよ」
軽い調子で、明は呟いた。でも、とても普通の会話には聞こえなかった。真剣すぎる、声の響き。切実そうに見つめてくる、瞳。
俺は手元のカップを見つめたまま、なにも言い返せなかった。
明は俺が黙ったのを見て、カウンターの奥に向かい、片付けを始める。
「……おまえに好きになってもらうには、あとどれくらい待てばいいのかな」
独り言のように囁かれた、呟き。だけど確かに俺の鼓膜に届いた。その言葉に、胸のどこかが、ぎゅっと音を立てた。
(……なんだよ、今の……)
逃げるみたいに視線をそらして、アイスコーヒーを一口啜る。ぬるくて、苦い。喉を通るそれが、やけに現実じみていて――やっぱり、逃げ場なんてなかった。
別の話題、別の話題……と頭をフル回転させて、思い出す。このあと飲み会の予定があった。
「今日の夜さ、サークルの飲み会だっけ」
「うん。行くの?」
「まあ、誘われてるし……。酔えば、いろいろ、どうでもよくなるかもだしな」
明は小さく笑っただけで、なにも言わなかった。
カウンター越しに立つ男を見て、思わず声が漏れた。そこに、明がいた。
「……え、明?」
「びっくりした?」
明がゆっくりと笑った。
「おまえ、ここでバイトしてたのかよ」
俺が呆けた声を出すと、明は「そうだよー」と呑気な声で言った。
いつもの私服よりも糊が効いてきちんとした白シャツに、腰に巻かれた黒いエプロン。制服のようなその姿に、俺は一瞬、見慣れない他人を見るような違和感を覚えた。
――親友が、俺を差し置いて大人になっちまった。みたいな?
バイトすることなんて聞かされていない。俺が子供染みたさみしさから、ぶすくれていると。明がおかしそうに目を細めた。
「……いつからバイトしてたんだよ」
「今日で三回目かな。まだ慣れないけど、なんとかやってる」
カウンターにはドリッパー、グラス、ケーキのショーケース。落ち着いた木目の店内には、ジャズが低く流れている。
「明、ちゃんとコーヒー淹れられるのか?」
「俺を誰だと思ってんだ。おまえのメシ、いつも作ってやってんのに……飲む?」
「あ? まあ、せっかくだし」
言いながら、俺はカウンター席に腰を下ろした。
湯気が静かに立ち上る。店内に満ちるジャズの音が、耳の奥にじんわりとしみてくる。
明の指が、銀のケトルの柄をそっと持ち上げた。白シャツの袖から覗く手首が、ケトルの重みをゆっくりと受け止める。その動きが、やけに丁寧で、どこか親密に感じた。湯が粉に触れた瞬間、豆がふわりと膨らんだ。さっきまで黙々と働いていた店員の顔とは違って、明の表情は今、妙に集中していて、どこか無防備だった。
(……こんな顔、いつも見せねえのに)
胸の奥がざわついた。知らない横顔を見るみたいに。距離ができたような、でも逆に踏み込んじゃいけない何かに触れそうな、そんな不安定な感覚。まるで、ドラマのワンシーンを眺めている視聴者になった気分だった。
俺が明を眺めていると、後ろから店に入ってきた女の客が、背中越しに声をかけてきた。
「あの、ここ空いてます?」
「ああ、どうぞ……」
椅子を引いて譲った秋司に、女性はにっこり笑って言った。
「もしかして、このカフェ初めてですか? あの店員さん、めちゃくちゃ人気あるんですよ。顔がいいし、無愛想なところが逆にいいって」
「……はあ。そうなんですか」
「彼女いないのかなって話してたところなんですよ~」
明の手がぴたりと止まった。コーヒーの香りが漂う中、明は何も言わずに俺の目を見た。そして一言。
「……俺、好きな人がいるので。ごめんなさい」
それは客への返事だったが、明は女性を見ていなかった。まっすぐ俺を見ていた。なぜか、ピンとくる。
――今のは、俺に向けた言葉だった。
鼓動が一拍、跳ねた。明から視線を逸らせなくて、真正面から向けられたその瞳に、釘付けにされていた。
明は黙ってカップを差し出してきた。湯気の立つ黒い液体が、俺の手元に届いた瞬間、明がぽつりと漏らした。
「おまえが来るって分かってたら、もっと格好つけて準備したのに」
明が呟いたとき、視線はコップではなく、まっすぐ俺に向いていた。
「……じゅうぶん、格好ついてんだろ」
言ってしまってから、しまったと思った。自分の声が思ったより低く掠れて、俺自身が驚いた。
明が目を細めて笑う。俺の返事が、冗談じゃなかったって伝わったのかもしれない。
だけどそのあとに続いた言葉は、笑えなかった。
「そう? じゃあ、これ以上どう頑張れば、秋司に気に入ってもらえるのかな。わかんないよ」
軽い調子で、明は呟いた。でも、とても普通の会話には聞こえなかった。真剣すぎる、声の響き。切実そうに見つめてくる、瞳。
俺は手元のカップを見つめたまま、なにも言い返せなかった。
明は俺が黙ったのを見て、カウンターの奥に向かい、片付けを始める。
「……おまえに好きになってもらうには、あとどれくらい待てばいいのかな」
独り言のように囁かれた、呟き。だけど確かに俺の鼓膜に届いた。その言葉に、胸のどこかが、ぎゅっと音を立てた。
(……なんだよ、今の……)
逃げるみたいに視線をそらして、アイスコーヒーを一口啜る。ぬるくて、苦い。喉を通るそれが、やけに現実じみていて――やっぱり、逃げ場なんてなかった。
別の話題、別の話題……と頭をフル回転させて、思い出す。このあと飲み会の予定があった。
「今日の夜さ、サークルの飲み会だっけ」
「うん。行くの?」
「まあ、誘われてるし……。酔えば、いろいろ、どうでもよくなるかもだしな」
明は小さく笑っただけで、なにも言わなかった。



