「ねえ、ちょっとだけ、帰り遠回りしてもいい?」
 その一言は、放課後の昇降口、靴箱の前でぽつりと発せられた。黒沢は一瞬だけ表情をこわばらせた。だが、すぐに「まあ、いいけど」と視線を逸らしながら答える。
 ふたりの影が、夕暮れの街に伸びていく。後ろでは後藤と袖香が、スイーツショップの割引セールの話題で騒いでいたが、二人には届かない。
 「さっきの“靴紐リレー”さ、わたし、ちょっと泣きそうだったんだよね」
 「……え?」
 笑陽の言葉に、黒沢は思わず足を止めた。
 「なんで?」
 「皆が転んで、笑って、でも真面目に立ち上がって……なんか、うまく言えないけど、“これだ”って思ったの。これが、きれいごとじゃない青春なんじゃないかって」
 「……」
 「でも、それって、最初から“記録に残すため”に始めた活動だったんだよね。なんか、あれこれ考えすぎてた気がする。青春って、計画してやるもんじゃなかった」
 笑陽は、言いながら苦笑いを浮かべた。
 「私は、頭で全部組み立てようとしてた。でも、皆が笑って、怒って、泣いて、転んで……それを見て、なんか、わたし、ずっと本当のことから逃げてた気がして」
 黒沢は、ふと一年前の記憶が頭をよぎった。
  小雨の中、誰かが泣いていた。教室の隅。
  誰も近づかない中、自分だけが、無意識にそっとその肩に手を置いた。
  その時のぬくもり。頬に触れた涙の熱さ。
 「……あれ、君だった?」
 「え?」
 黒沢の問いに、笑陽は目を見開く。
 「中学の時。教室の隅で泣いてた女子がいた。皆無視して通り過ぎたけど、俺だけが、何も言わずに肩に触れた。あの時の涙、忘れられなかった」
 笑陽の目が、じわりと潤んだ。
 「……そうだったんだ。あの時、なんで黙ってたの?」
 「俺、人と話すの苦手だから。でも、あれが、俺の精一杯の“情熱”だったんだ」
 笑陽は笑った。声を上げずに、でも、確かに泣きながら笑った。
 「そっか……ありがとう」
 しばしの沈黙の後、ふたりは再び歩き出した。言葉は少なく、でも何かが確実に変わっていた。黒沢はポケットからスマホを取り出し、ふと呟いた。
 「青春って、もっと楽に考えていいのかもな。転んで、笑って、泣いて、謝って――それでまた笑えたら、それでいいんじゃないか」
 笑陽は、頷いた。
 「うん。それって、すごく、ちゃんとしてる。ちゃんと“今”を生きてる感じがする」
 二人は、商店街の端にある自販機の前で立ち止まった。
 「おごるよ、ジュース」
 「え、なんで」
 「“動機”ってやつ。俺の、最初のきっかけがあの涙だったなら、今日のこれは、恩返しみたいなもんだ」
 「じゃあ、レモンティーで」
 「そこはコーラとか言えよ……」
 笑陽はまた笑った。黒沢も、ほんの少し、口角を上げた。


 翌日、教室では昨日の“靴紐リレー”の失敗映像を安部が編集中だった。
 「なあ、オープニングに“きれいごとじゃない青春、開幕!”って入れるのどうよ!?」
 「やめろ、演出過剰だ!」
 「でも、現実だぞ!? 俺たちの失敗が、笑えるって証拠だろ!?」
 黒沢は苦笑しながら、笑陽に目を向けた。彼女は静かに頷いた。
 「それで、いいと思う。“笑って済ます”んじゃなくて、“笑って乗り越える”青春。それが、うちらの答えだよ」


 後日、生徒会へ提出された活動報告書には、こう書かれていた。
 《本企画は、青春とは何かを考える試みでした。しかし私たちは、活動の中で知りました。青春とは“計画通りに進むものではなく、転び、迷い、笑いながら進んでいくもの”だということを。私たちはそれを、ひとつずつ拾い集めることで、ようやく手にしたのです。》
 提出された動画には、転んで笑っているメンバーと、その後立ち上がって肩を組む姿、
  そして最後に小さく映る“涙をふく笑陽”の後ろ姿が映っていた。
 画面の端には、黒沢の手が、そっと彼女の肩に触れる瞬間が、確かに映っていた。
 ―完―