世捨て人龍の配信生活~迷宮の底で人型龍になったけれど生活を充実させたいので配信者します~

 ああ、これは神罰なのだろうか。
 渦に呑まれ、薄れゆく意識の中、神敵であるはずの白い蛇を見つめる。

 妬ましいほどに強く傲慢な彼女の顔は、海水に歪んでよく見えない。分かるのは、俺を裁くべく無数の雷が生み出されたということだけ。

 あれの威力は知らない。少なくとも、模擬戦の時に見たものよりも数段上だということしか。
 だがそれだけでも、己の運命を悟るには十分すぎる。

 俺は死ぬ。このまま、グラシアン様の輝かしい姿を見ることもなく、ただのユダとして。

 光が閃いた。その時が近づいてくる。
 想像していたよりもずっと遅いのは、きっと走馬灯というやつを見ようとしているからなのだろう。

 最初に見えたのはやはりというべきか、俺がまだ天使となる前。グラシアン様と出会った頃の景色。世界にダンジョンが現れて、動物たちが変異し、現代社会と呼ばれていた時代が崩壊しかかっていた頃。

 あの頃の俺は、人間だった。思い出すだけで虫唾が奔るほどに。

 同じ生活が続くと信じ切り、状況に抗おうとも適応しようともせず、何かが起きても祈ってさえいれば誰かがなんとかしてくれると考えていた。

 ネット上で化け物がいただとか、誰が死んだだとか、あれこれと見て知ってはいたのに、俺には関係ないといつものようにただ惰性で学校に通う。ネットが使えなくなって、学校にも行かなくてよくなっても休日と変わらない生活を続けるだけ。

 そんな日々がしばらく続いた、ある日だった。とうとう化け物が俺の住む町に現れた。

 人の背丈よりも大きな狼が家の壁を砕き、親父を喰らって、妹を踏み潰す。それを俺は見ていることしかできなくて、祈っていることしかできなくて。

 ドス黒い赤が滴る獰猛な牙。暗がりの中で鈍く光る眼光。家族と共に俺も死ぬんだと思った。その時だった。
 天から降り立った光が、化け物の首を切り落とした。

「……すまない。遅くなってしまった」

 後光を受け、三対の翼を羽ばたかせながら宙に浮いたグラシアン様。主に祈りが届いたのだと思った。御使い様が来てくださったのだと思った。あれは、どれだけ月日が経とうとも忘れられない光景だ。

 その後グラシアン様が元は俺と同じ、ただの人間だと知った時は驚いた。同時に、自分が恥ずかしくなった。自分を誤魔化しながら、怠惰にただこれまでと同じ日常を続けようとしていたことが。

 この内心を吐露してしまったのは、崩壊し俺とグラシアン様以外いなくなったあの家が、懺悔質のようだったからだろう。俺の赤裸々な告白に、グラシアン様は、手を差し伸べてくださった。

「ならば、君も天使にならないか。私はこの崩壊しつつある世界を、人々を、より良い方向へ導き、救いたい。しかし私一人では足りぬのだ。私一人では、全ては救えない」

 グラシアン様は、表情を変えないまま、比較的無事なあたりに寝かせた俺の家族を見ていた。座り込んだ俺の目線からだと、その握り込まれた手が震えているのも見えてしまった。
 だから、天使となった。伸ばされた手を取った。弱い自分を変え、グラシアン様を傍で支えるために。

 それからの日々は、充実していたと思う。増えていく仲間に、いっそう輝きを増していくグラシアン様。迷宮の攻略にもお供した。

 アドリアンやルックといった今の上位天使たちが加わったのもこの頃だったか。
 彼らと力なき人間達を助け、感謝され、時には同志として加わってくれて。グラシアン様の言うように、俺たちの手で、世界をより良い方向へ導いている。そんな感触があった。

 誰かを救う度、捧げられる感謝を肴に仲間達と葡萄酒を酌み交わす。それがあの頃の数少ない楽しみだった。

 だが、当然全ては救えない。時には間に合わず、無言のまま、残された遺体を埋葬するだけの時もあった。
 いや、それだけならまだ気は楽だ。どうしようもなかったのは、生き残った者から罵詈雑言を浴びせかけられたときだ。

 対価を求めるわけでもなく、命がけで救った相手から心ない言葉を浴びせられる。怒鳴り返そうにも、そのやるせなさが分かってしまう。涙し縋り付いてくる人間を、ただ見ていることしかできない。

 似たような経験は天使の誰もがしていた。だからがむしゃらに人助けに励んだ。少しでも多くを救えるよう、少しでも、気が紛れるよう。

 気が付けば、人間達は俺たち天使に救われるのが当たり前だと思うようになっていた。


「そういえば最近、人間と天使以外見なくなったね。強い人もたくさんいたと思うんだけど」

 そう言ったのはルックだったか。

「ファンタジー種族の人たちねぇ。前に大荷物で移動してるのを見かけたわぁ」
「大荷物? 引っ越しでもしていたのか?」
「かもね。ほら、人間と天使以外に当たり強い人もそれなりにいたし」

 この時は、守らなければならない人数が増えるな、程度にしか考えていなかった。

「関係ない。やることは同じだ」
「……だな。アドリアンの言うとおりだ」

 思えば、この時が戦争を回避する最後のチャンスだったのかもしれない。
 間もなくして、ドラゴン達が人間を襲撃するようになった。

 最初の五十年はさほど被害は出なかった。当時は気が付かなかったが、ドラゴンたちが意図してそうしていたのだろう。彼らの目的は人間たちに危機感を持たせ、怠惰を捨てさせることだから。

 しかし百年が経つ頃になると、そうした手加減も消えた。世代交代が進んでやつらの怠惰が加速したからだ。
 人間達は俺たちに助けられて当然という常識に浸りきり、被害が出るとその矛先を俺たちに向けるようになっていた。

 幸いにも当時は今よりも天使が多かったから、人間の死者が出ることは本当に稀だったが、代わりに天使が死ぬことが増えた。

 人間を助けることに疑問を持ち始めたのはこの頃だ。
 本当に世界はより良い方向に進んでいるのか。ならどうしてあいつは死んだ? どうして、助けた相手にこんな目を向けられている?

 納得いくはずがなくて、一度、グラシアン様に直接尋ねた。

「どうして俺たちが全部やってやらないといけないんですか! 文句を言うなら、人間も、自分の力で生きられるようになるべきだ!」
「自分の力で生きられる、とは、戦えるということか?」
「そうです! かつてはそうした人間もいくらかはいたでしょう!」

 グラシアン様は少し考える素振りを見せた。答えを用意している、というよりは、どう伝えるかを悩んでいるという風に見えた。

「たしかに、初めはそうだった。しかし人間達の強さには限界がある。当時ならいざ知らず、より強力な魔物が闊歩し、ドラゴンたちが襲撃してくるようになった現代だ。彼らが戦っては、犠牲となる者が増えるばかり。それは、主も望みはすまい」

 反論することはできなかった。

「我ら天使がこうして力を得られたのは、人類の守護者として、主に選ばれたからだ。ならばその役目を全うすることに疑問を抱く必要もあるまい」

 同じ種族になるにしても、人によって種族変更に必要なSPが大きく変わるというのはまだネットが生きていた頃に知った。だから納得した。少ないSPで天使となれたのは、俺たちが選ばれたからだと。

「案ずるな。こうして役目を果たし続けていれば、いずれ主が更なる慈悲をくださる。やがては、蛇に堕ちるを選んだ者たちとも手を取り合えよう。だからユドラス。お前も、主の使いとして恥じ入ることのないよう生きなさい」
「……そう、ですね。はい、分かりました」

 グラシアン様が言うなら。そう思って、この時は納得した。事実、さらに百年が経過する頃には天使へ悪意を向ける人間はいなくなっていた。被害が出たとしても、ただ感謝されるようになっていた。

 このままいけば、きっと、グラシアン様の言うとおり平和が訪れる。グラシアン様なら可能だ。
 人間達もグラシアン様や天使を崇めるようになっているし、なにも問題ない。本当に、そうだろうか?

 わずかに覚えた引っかかり。それを待っていたかのように、あの男が現れた。

「惜しいな。旅人でしかない私ですら、そのグラシアンという者の偉大さは理解できる」

 偶然助けたその男は、東の方からやってきたのだと言っていた。俺たちの手もドラゴンの手も及んでいない辺りだそうだ。
 表情の乏しい男で、旅をしているというわりには少ない荷物、それに全身黒い外套で覆っていて、怪しさしかなかった。

 こちらの話を聞かずに話しているときもあって、良い印象ではなかったが、その言葉に俺は気を良くしてしまっていた。言い訳じみてしまうが、焚き火と鍋を囲っていたのも気が緩んだ理由の一つだろう。

「もし、もしもだ。そのグラシアンが人間に縛られることなく、自由に己の道を行けていたならば、どれほどの異形を成し遂げていたか」

 ゴクリ、と喉が鳴るのを自覚した。
 もし、人間達があれほど怠惰で、身勝手でなければ。もし、人間達が、いなければ。

 脳裏を掠めた悪い想像を、かぶりを振って振り払おうとする。

「君に会わせたい男がいる。少し、付き合うといい」

 男が僅かに口角を上げたような気がした。この手を取ってはいけない。これはサタンの誘い、主に背く道だ。禁断の果実を食らうわけにはいかない。
 そうと言い聞かせながら、俺は、男と共にイタリアのある方角へ飛んでいた。


 男に案内されたのは、古代ローマの城跡らしい遺跡に発生した迷宮だった。
 黄色みがかった石を積んだそこは、拠点としている大迷宮に近しい空気だったと記憶している。おそらく、ドラゴンの王が攻略した大迷宮だったのだろう。

 どうして来てしまったのか。強い後悔を抱きながら男にまず連れて行かれたのは、エルフやドワーフといった種族の者たちの町だった。

 衝撃だった。そこに住む者は、自らの足で立っていた。上空から見ているだけでも分かるほどに自立していた。
 ドラゴンに頼るわけではない。武器をとり、自分たちの手で魔物を狩っているようだった。

「あのゲートの先は別の迷宮に繋がっている。この階層にない物はそこで確保しているのだ」

 彼らは、かつてあの地を去って行った者たちなのだろう。人間の姿もあるから、世代交代も進んでいるはずだ。
 だが、俺たちの守る人間達とは違って、怠惰ではない。必ずしも勤勉ではないのだろうが、それでも、信じられないものを見る思いだった。

 人間達がみな、こうであったなら。この場へ来る前に謎の男に言われたことが脳裏に過る。

「このまま転移する」

 俺たちは何を間違えたのか。目の前の光景を目に焼き付けながら必死にそれを考えていると、不意に視界がぶれて薄暗い部屋に移動した。
 男の言葉をようやく認識すると同時に、気が付いた。眼前にいるのが誰なのかに。

「天使だと……?」
「なんのつもりだ! このような小僧を連れてきて、寝首でもかくつもりだったか!?」

 今この瞬間を除けば最も死を覚悟した。
 一方は燃えるような鱗にエメラルドの瞳の巨体。もう一方はいくらか小さいが、それでも十分に巨大で、真っ赤な目の、吐き気すら催すほどの異形。ドラゴンの王たちを前に、武器を構えるどころか指先一つ動かすことができなくなった。

「ユドラス、だったな。お前の願いを叶えたいのなら、手を結べ。ドラゴンと共に、彼の地の人間どもを滅ぼせ」

 頭が真っ白になったような気がした。無視されたアバデアが男に何かを言うのが遠くに聞こえるばかりで、耳元では男の言葉が何度も繰り返されていた。

 ドラゴンの手を取る。つまり、グラシアン様を裏切れというのか? そんなこと、できるはずがない!
 そう言い聞かせて男の手を振り払おうとするが、ついさっき見た光景が邪魔をする。

 もし、グラシアン様を自由にしてさしあげられたなら。気が付けば俺は、男の手を強く握りしめていた。

 それなのに、それなのにだ。
 この女が来て、全てが台無しになってしまった。初めの二人だけならどうにかなっていたはずなのに、よりにもよって、グラシアン様に並ぶ白蛇だと?

 そんなもの聞いていない! こんな化け物を相手にどうしろと言うのだ!

 俺はあの男に騙されたのか? やはり禁断の果実だったのか!?

 光が迫ってくる。腕を伸ばしてもどうにもならない。水以外のなにも掴めない。
 もう間もなくあれに貫かれて、消し炭になる。

 これが、俺の最後だと? 怠惰な人間どもの為に心身を削り続けた俺の?
 そんなこと、納得できるわけがない!

 くそっ、あの男さえいなければ、こんなことには……。

 ――違うな。これではあの頃と同じだ。人間達と同じだ。それを変えたくて天使となったはずなのに。

 そうだ。最終的に選んだのは、俺だ。俺が決めて、俺が行動した。俺自身の責任だ。

 ならばやはり、これは神罰か。グラシアン様を裏切り、理想を穢してしまった俺への、主の慈悲を待てなかった咎人への裁きか。

 ……ああ、そうか。今分かった。あの白蛇が、彼女こそが天使なのだ。主が俺を罰するために遣わした御使い様なのだ。

 そんなもの、受け入れるより他にないじゃないか。
 主の最後の慈悲だ。苦しまずに主の御許へ逝けるのだ。悪くない。

 グラシアン様、申し訳ありません、最後までお側にあれず。
 先に参りますが、どうか、あなたはごゆっくりお越しください。それがユダとなってしまった俺の、最後の望みで――