放課後のラウンジには、紅茶の香りが漂っていた。

 章吾はカップ片手にソファへ沈み込み、隣ではアルジャーノンが本を読んでいる。いつもの距離、いつもの空気。

 ──たった一言で、ぐちゃぐちゃにされるとも知らずに。

「なあなあ!」

 スコーンと紅茶を両手に抱えたチャドが、能天気に駆け寄ってきた。

「Shogo、アルジー! おまえらさあ──」
「……何だ、アメリカ人」
「うるさい、要件だけ言え」

 ふたりの冷ややかな応対にも、チャドは悪びれず笑った。

「おまえら、一緒にいすぎじゃね?」
「「は?」」

 声が見事に重なり、章吾はカップを傾けかけ、アルジャーノンも本をぱたりと閉じた。

「え?違うか?」
 チャドは笑いながら続けた。

「「ちがう!!」」

 即座に声を揃えて否定したラウンジには、微妙な沈黙が落ちた。

 章吾は顔が熱くなるのを感じ、アルジャーノンも微妙に耳が赤い。どう取り繕うかもわからず、ふたりはひたすら紅茶をすする。チャドはお構いなしにスコーンを頬張りながら、にやにやと眺めていた。

 たったそれだけのこと。それだけなのに、胸の奥はぎゅっと締めつけられていた。



 朝。寄宿舎はまだ薄暗い。
 章吾は毛布にくるまったまま、ぼんやりと目を開けた。

 デスクの前には、制服に袖を通したアルジャーノン。鏡の前できっちりとネクタイを締めている。──いつも通りのはず、なのに。

(……顔、合わせんの、気まずい)

 胸の奥に、妙なざわめきが残っていた。

(……ぜってー今日も、茶化される)

 そう思うと、布団の中がやけに安全に思えた。しかし、いつまでも逃げていられない。

 章吾は、ごそごそと毛布から這い出る。

「……おはよう」

「おはよう」

 また、同時だった。気まずさが音を立てるような間が流れ、ふたりは同時に視線を逸らした。

「……今日、講義サボりてぇ」

 ぽつりと漏れた本音。言い訳がましくない、それだけの気持ち。

「……私も、あまり行きたくはない」

 アルジャーノンの声もまた、小さく、低かった。

 ふたりして顔を合わせず、ぼそぼそと交わすやりとり。

 心臓は馬鹿みたいにうるさくて、息をするたび胸がきしんだ。

 沈黙のなか、アルジャーノンがそっと章吾の毛布を拾い上げる。丁寧にたたんで、ベッドの端に置いた。

「……行くぞ」
「……ああ」

 笑われるのは怖いが、ひとりでいることのほうが、ずっと怖かった。

 触れられない距離。でも、すぐ隣にいる。──それだけで、今日は少し前を向けそうだった。



 昼休みの校庭。チャドは相変わらず元気だった。

「なあなあ、放課後、みんなで街に出ね?」

 章吾は生返事で聞き流す。隣では、アルジャーノンが静かに本を読んでいた。

 そしてまた、唐突にチャドが爆弾を投げた。

「なあ! お前ら、本当に『なんでもない』のか?」

「……」

「……」

 空気が凍った。チャドはお構いなしに続ける。

「どう考えても、お似合いな気がするんだよな~」

 言葉を失うふたり。その静寂を破ったのは、アルジャーノンだった。彼は静かに本を閉じ、顔を上げずに言った。

「お似合い……?」
 わずかに間を置いて、彼は低く呟いた。

「我々の関係は──ただのルームメイトだ」

 淡々とした口調。チャドは「マジで?」ときょとんとする。

 章吾は、ぐっと唇を噛み締めた。否定しなきゃと思った。笑い飛ばさなきゃと思った。なのに、胸の奥に、鋭い痛みが走った。

(あいつは、男だぞ)

(俺は、女が好きなはずだろ)

(……普通に考えろ、俺)

 一方、アルジャーノンも、胸の奥に言葉にならない震えを覚えていた。

(私は、フォーセット家を継ぐ者だ)

(妻を娶り、子をなすべき立場だ)

(それ以外など、許されるはずがない)

 なぜ、視線を逸らせない。なぜ、こんなにも胸が苦しい。

 チャドはというと、無邪気にスコーンを頬張っめいる。まるで、すべてが冗談でできているみたいに。

 チャドは知らない。ふたりの痛みと、その動揺を。