昼休みの校庭には、春の日差しがやわらかく降り注いでいた。

 章吾はチャドと並んで、校舎脇のベンチに腰を下ろし、黙々とサンドイッチをかじっていた。

「Hiwatari君」

 背後から名前を呼ばれ、振り返ると、整えすぎた制服を着た少年が立っていた。

 ──レジナルド・フェアファクス=アシュコーム。アルジャーノンの幼馴染だという。

 第一印象は、やけに整っていて、どこか冷たい。涼しい目元の奥に、かすかな棘が光るのを章吾は見逃さなかった。

「よかったら、午後の空き時間、一緒に勉強しない?」
「……は?」

 思わず視線だけで返す。

(なに、こいつ)

 口調は柔らかいくせに、妙に圧がある。誘いの裏に、何か含まれている。

 ふと目をやると、校庭の向こう、ベンチで本を読んでいる金髪が視界に入った。
 ──アルジャーノンだ。

「悪い。用事ある」

 サンドイッチの包み紙をくしゃっと握りしめて、立ち上がる。そのとき、レジナルドがぽつりと呟いた。

「君には、似合わないと思うけどね」

 視線は、まっすぐアルジャーノンに向けられていた。
 章吾は言葉を返さず、そのまま歩き出す。だけど、胸の奥に、ひとつだけ残っている想い。

(あいつの隣に、行きたい)

 そう、それだけだった。



 中庭のベンチには、まだアルジャーノンがいた。本を読みながら、章吾のほうをちらりと見たように思えたけれど、確信はない。

 まっすぐ視線を向けることができず、章吾は一度だけ深呼吸した。

「……隣、いいか?」
「好きにしろ」

 ぶっきらぼうな返事。いつもと変わらないはずなのに、どこか棘があった。

 章吾は黙って腰を下ろした。拳ひとつぶんの距離が、今日は妙に遠く感じられる。

 沈黙のまま、数秒が過ぎた。やがて、アルジャーノンが本のページを閉じ、低く問いかけた。

「──レジナルドと、何を話していた?」

 章吾は一瞬、返事に詰まった。

「勉強に誘われた。試験前だし、手伝ってやるってさ」
「そうか」

 それきり、アルジャーノンは沈黙した。その指先がわずかに本の表紙を撫でる仕草が、どこかぎこちなく見えた。

 章吾は、少し躊躇ってから口を開いた。

「おまえと、あいつって仲いいんだろ?」
「……ああ」

 アルジャーノンは、ためらわずに答えた。その声は、いつもよりわずかに低かった。

「家族ぐるみの付き合いだ。幼い頃から、特別な存在だった」

 言葉は整っているが、顔はこわばっていた。

 本を握る手が、ほんの少し強くなる。章吾は、その横顔をまっすぐ見ることができなかった。

(……特別、か)

 胸のどこかが、きゅっと締めつけられるようだった。

「おまえ、機嫌悪い?」

「そんなことはない」

 返ってきたのは即答だったが、言葉の端がやけに尖っていた。

 章吾は眉をひそめた。朝までは、もっと自然に話せていたのに。

「……なら、いいけど」

 それ以上、踏み込めなかった。拳を握ったまま、ただ隣にいることしかできない。

 横目でそっと見ると、案の定、目が合った。深い青。アルジャーノンの瞳が、まっすぐこちらを射抜いてくる。

「……っ」

 慌てて視線を逸らす。
 あの目は、何を見ていたんだろう。



 放課後。古びた渡り廊下を歩きながら、章吾は首をひねる。

(……あれ、スケジュール帳、どこやったっけ)

 教室に置いたか、それとも昼のベンチか──そんなことを考えていたところで、背後から声がかかった。

「Hiwatari」

 振り返ると、制服姿のアルジャーノンが立っていた。手には、探していたあのスケジュール帳。

「……君のものか?」

「あ、悪い。気づかなかった」

 受け取った瞬間、指先に触れた水気に気づいた。彼の手が濡れている。

(……俺のこと、探してくれたのか)

 思わず胸が熱くなる。不機嫌なんかじゃなかった。あいつは、ずっと、変わらずそこにいたんだ。

「……サンキュ」

 ぽつりと漏らした声に、アルジャーノンがほんの少しだけ目を細めたように見えた。

「礼には及ばない」

 短い沈黙が落ちる。

 ──そして、

「……君が隣にいないと、多少、調子が狂うな」

 一瞬、章吾の呼吸が止まった。何も言えずにいると、アルジャーノンがふっと口元をゆるめた。

「気にするな。貴族のくせに、私は精神が脆弱なのだ」
「……は?」

 思わず吹き出しそうになりながら、肩を軽く小突く。

「おまえ、ほんとめんどくせぇな」
「自覚している」

 どちらも目を合わせなかったけれど、少しだけ笑っていた。
 ふたりの距離は、またひとつ近づいていた。
 寄宿舎の石畳を、春の風がそっとすり抜けていく。