朝の寄宿舎。

 章吾は、ネクタイを結びながら鏡の中の自分をぼんやりと見つめていた。
 目の下の隈が、ひどく濃い。昨夜、ほとんど眠れなかった。

(……あいつ)

 思い出すたびに、胸の奥がきゅうっと軋む。昨日、口にしてしまった言葉が、耳の奥で繰り返される。

「お前に結婚なんてしてほしくない」

 言ってしまった。もう、ごまかせない。

 ネクタイの結び目を思いきり締めたせいで、喉が詰まる。それでも緩める気にはなれなかった。

 ──戻れない。そんな気がしたから。

(俺は……)

(あいつを、諦めたくない)

 それだけは、はっきりしていた。
深く息を吐いてジャケットに袖を通し、ドアを開けた。



 ロビーの隅。章吾はソファに座り、教科書をぱらぱらとめくっていた。……フリだった。内容なんて頭に入ってこない。

 原因は、目の前でコーラをちゅーちゅー吸いながら、ニヤニヤしているチャドだ。

(……なんだよ、あいつ)

 ちら、とだけ目を向ける。睨んだつもりだったが、まったく効果はない。

「……見んな」

 低く呟くと、チャドは嬉しそうに肩をすくめた。

「いやぁ~、青春っていいなって思ってさ」

「は?」

「べっつに~」

 にやぁっと笑うその顔が、ひたすらイラつく。心の中で何度も深呼吸。感情を顔に出していないはずなのに、心臓だけが勝手に暴れていた。

 金色の髪、透き通る瞳。そして──あの言葉。

『お前に結婚なんてしてほしくない』

(……言っちまったもんな)

(取り消せねぇよな)

 教科書の角を指先でぎりぎりと押し潰す。チャドのニヤニヤも、レジナルドの視線も、全部、無視したかった。

 でも、もう遅い──誰よりも、自分が一番わかっていた。