胸の奥には、昨日チャドから聞かされた言葉がまだ刺さったままだった。──アルジャーノンには、もう決められた未来がある。

 章吾は回廊をひたすらに歩きながら、無理やり自分に言い聞かせる。朝日の明かりも空しく、すべてがモノクロに見えた。

(……そうだった。俺が関われるような相手じゃない)

 だけど、思えば思うほど、あいつの顔も、声も、ふとした仕草も、頭の中に鮮明に蘇ってしまう。

 ポケットの中で拳を握る。進まない足を無理に動かした、そのときだった。

 回廊の角を曲がった先に、アルジャーノンの姿があった。金色の髪を微かに濡らしながら、彼もまた一人で歩いていた。

 心臓がどくんと脈打つ。

 そして、目が合った。

 一瞬だけ、互いに、何も言わずに。そしてすれ違った。言葉ひとつ交わさず、石畳に小さな靴音だけを残して。 

 立ち止まることも、振り返ることもできなかった。

 これでいい、これでいいんだ。そう思いながら、胸の奥では、ぐしゃぐしゃの感情が暴れ続けていた。



 章吾は裏庭へと足を向けた。石畳は先程よりさらに濡れて、鏡のように自分を映していた。

(俺、ひっでぇ顔)

 誰もいない庭で、石畳を覗き込む。隈のできた目元を見て、喉の奥が詰まった。

 せめて、もう少しだけ、傍にいられたら。そんな届かない願いを、心の奥でそっと握りつぶした。



 午後、アルジャーノン・フォーセット=レイヴンズデイルもまた、一人で回廊を歩いていた。手には革張りの本。

 視界の端に、黒い髪の影が見えた。Shogo Hiwatari。

 中庭で、ひとり、うつむいていた。

 アルジャーノンは立ち止まった。声をかけたかった。ただ名前を呼びたかった。

 でも、電話口の母の声が脳裏に甦った。私には、そんな資格はない。未来を縛られた自分には、もう。踏み出すことも、許されない。

 たとえ、こんなにも惹かれてしまっていても。

 君のことを、こんなにも追いかけたくなるなんて、知らなかった。

 そっと視線を伏せ、その場を離れた。