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SNSの天気情報で確認した時には、確かに今日は快晴だと言っていたのに。雲行きが怪しくなってきたのは四限目の終わり。今年の冬は雨が多い。昼休みにやってきた男子の体育担当教諭が「雨が降ったら男子も体育館な」と告げに来たときから、なんとなく落ち着かない雰囲気が教室内に漂い始めた。
体育の授業は隣のクラスと合同で行われており、今月から女子は体育館でバスケットボール、男子は外でソフトボールをやっている。二クラス合同ともなるとそれなり人数も多いので、雨の日には座学の時間になることが多いけれど、今日はどうやら違うらしい。
『雨が降ったら男子来るの、ヤバくない?』
 お昼休みにもそんな話で盛り上がったけれど、期待は午後の授業が始まってさらに強まっていくらしく、スマホにどんどん通知が溜まる。
『そしたら浅田もいんじゃないの』
『えー、あいつ球技は基本苦手なはずだよ』
『野球部なのに?』
『物を介するとマシらしい?』
『なあに、それ』
 私の教科書を貸した一件から、沙菜と浅田くんの交流が徐々に活発になったらしい。先週末には思い人のいないサエリも交えて何人かで遊びに行ったそうだ。その時の様子を聞いていたら、話はどんどん派生していって、気づいたら夜が明けていた。
 みんなで寝不足になりながら登校したら、沙菜を除いたグループにポンと通知が来た。
『一人で盛り上がってほしいよね』
 発言者はサエリだった。遊びに行ってる時も、沙菜は浅田のことを自分の方がよく知ってると見せつけるような行動が多かった、とか。確かに中学時代には、結構仲が良かったのかもしれない。でも浅田が気になってるのは、他クラスの女の子らしい、という情報まで当日に仕入れたというサエリ。
 教えてあげたらいいのに、ともも恵が嘲笑するように言えば、私をダシにしたことへのちょっとしたお返し、というのだから「そっかー」と私は当たり障りのない相槌を返した。奈々未は「恋は盲目ってやつかな」と笑っていた。
 沙菜と浅田くんがよく廊下で話しているのは見かける。沙菜との会話に浅田くんの名前が上がることも多くなっていた。当然私たちは沙菜が浅田くんに好意があると思っているけれど、彼女から明言されたことはない。「私は別に何とも思ってないけど」と前置きする沙菜に「浅田から矢印向いてるんじゃない?」とからかう、ただの遊び。それに対してまんざらでもなさそうに反応するから、陰で今日も盛り上がるのだ。
『バッカみたい』
 みんなのトークルームだけを見れば恋バナに盛り上がっている女子高生のほほえましい会話なのに、からかって陰口を言いたいための口実なのだ。
 でも、雨が降ることを楽しみ思っている部分は、本当なのだと思う。
 なんとなく、男女ともお互いに雨が降るのを望んでいるような空気を、教室からも感じていた。ぼんやりと曇天に心を奪われている生徒が多い気がする。悪天候によってもたらされるであろう面倒ごとよりも、何かが始まる予感に期待しているようだった。
 授業中、隣の沢見くんを盗み見る。
(沢見くんも、何かを期待したりしているのだろうか。)
 真面目に授業を受けている横顔からは、何もわからなかった。
 ドラジェを沢見くんからもらって、数日。あれから私たちの間で変わったことは何もない。朝登校してきたからと言って「おはよう」と挨拶をされるわけでもないし、休み時間に会話をすることもない。
けれど、もの言いたげな視線を感じることは、あった。教室に入ってきたとき、教室を移動するとき、お昼休みに放課後帰ろうとするとき。話すタイミングをうかがっているようなその視線に私が気づくと、まるで逃げるように逸らされてしまう。
私もあまりコミュニケーションが得意なほうではない。だから追及もできないで、過ごしてきた。
結果として、みんなの願いは聞き入れられた。
体育の授業開始時にはまだ雨は降っていないから、ということで男子は外でのソフトボールを試みたようだが、きっちり十五分後、暗澹とした灰色の雨雲はざあざあと大粒の雨を降らし始めた。
ドリブルやシュート先週など基礎的な項目を終えて、二コートに分かれて行った一試合目がちょうど終わったところだった。やけに玄関の方が騒がしいなと思えば、頭を濡らした男子がぞろぞろと体育館の方に入ってきた。どよめく女子たちに答えるように、女子の体育担当が大声をあげた。
「今から男子に半分コート貸すから、ネット引いて」
半コートになってしまえば同時に二試合進行できていたのが一試合しかできなくなる。みんなはコートが小さくなることに対して口では不平不満を零すけれど、その声音から満更でもなさそうなのが伝わってきた。
「はーい」と聞き分けの良い返事していた声は、男子が体育館に入ってくると、黄色いささやき声に代わっていった。女子の前を横切って向こう側へ行く男子たちが気になってしょうがないらしく、視線がちらちらと彼らを追っているのが分かる。
異性がいると、いうシチュエーションに興奮を隠せないのは女子だけではなく、男子のほうからもそれとなく視線を感じる。
自分は関係ないとは思っていたけれど、髪を乱しながら入ってきた沢見くんの姿を見つけた時には、柄にもなく胸が音を立てた。
 普通の男子高校生らしく、ほかの男子とふざけながら反対側のコートに歩いて行く。体育の授業中には使わないのか、いつも手にしているはずのスマホは見えなかった。大きなリアクションを取りながら、私たちの前を横切っていく。
私は気づかれる前に、沢見くんから視線を逸らして、次の試合の準備をする輪に混ざった。
コートの真ん中でネットを引かれ、二分割された体育館。お互いの体育担当の笛の合図で、授業が再開されたわけだが、雨の中同じ箱に詰め込まれた男女の関心は、授業よりもお互いにあるようで。むしろさっきまで気だるげだったのが、幾らか士気が高まっているような気がした。
再開されたバスケの試合では、各チームとも真剣だったし、向こうの男子も同じようにバスケの試合をやっていたがお遊びもおふざけもなく、盛り上がっているようだった。ローテーションで得点板係になった私は、得点板をひっくり返しながら、こちらの試合状況を確認しつつ、男子のコートも気にしていた。
観戦組として、コート外からヤジを飛ばす沢見くんは、実際には声の出ない口元に手を当てて誰かを呼んでいた。周囲の観戦組と話そうとするときには、ポケットから小沙菜メモ帳とペンを取り出して、それに何かを書いたりしていた。
「佳純ちゃん、点入ったよ」
「あ、ごめん……」
つい気を取られてしまっていた。言い損ねたお礼を口の中でつぶやいて、得点板をひっくり返したところで、ピーっと電子タイマーが鳴った。
次のグループの練習試合に移る合図だ。
今の試合の結果をチームに報告して、私は試合に出る準備をする。ゼッケンを受け取りながら男子のコートに視線を移すと、向こうも次の試合の準備をしているようで、今度沢見くんは選手としてゲームに参加するようだった。
それはほんの一瞬のことだった。ふいにこちらを見た沢見くんと、目が合って、私は胸騒ぎを覚えた。振り切るようにすぐに逸らされた視線は、決して喜んでいい種類のものではなく、ざわざわとよくわからない焦燥感を駆り立てた。
(なに、今の……?)
「頑張っていくぞー!」
同じチームの子の掛け声が聞こえて、我に返る。電子タイマーは設定されて、今まさにジャンプボールから試合を始めようとするところだった。とりあえずは目下の試合に集中しよう。
ジャンプボール担当の私は、コートの中央に立ち、挨拶をした後、相手チームの代表と向かい合う。
ピーっという、審判の笛の音で試合が開始された。高く上げられたバスケットボールは、空中で私の方に寄って、手前に叩くと味方がボールをとった。
そのまま味方がゴールに向かってドリブルしていくのを見届けて、私はディフェンスに入る。いつも通りの戦略。ボールは丁寧にパスで繋げられ、まずは難なく二点が入った。守りのゴールの下から拍手を送るが、私は男子のコートが気になって仕方がなかった。
試合中のメンバーを除いて、観戦組の他の女子たちは、こっちの試合を見つつも、やっぱり男子の方に関心があるようだ。半分くらいは私たちの試合そっちのけで、思いっきり男子の試合の観戦モードに入っている。
沢見くんはボールを受け取ると華麗なドリブルで敵を交わし、ゴールに向かって一直線、綺麗なレイアップシュートを決めた。意外な一面に、歓声が向こうからもこちらからも上がる。私たちの試合でも、同じチームの子が点数を決めて、盛り上がる。
両コートとも、次の攻防戦が始まろうとすると、また目が合った。それは先ほどと同じように――ここ数日そうであったように、私を気にするそぶりを見せるのに、すぐにそらされてしまう。
刹那、「沢見!」と大声が聞こえた。
クラスメイトの声に気づくのが一歩遅れた沢見くんは、パスを取り損ねて、その顔面でバスケットボールを受けた。鈍い音がしたと思えば、どんっと沢見くんは頭から倒れた。
流石のこれには私以外の試合中のメンバーも驚いて、試合そっちのけで、沢見くんの容体を確認しに男子コートの方に駆け寄った。
倒れた沢見くんは大勢に囲まれ、何名かがかりで上体を起こされていた。
「大丈夫か、沢見?」
男子の体育教諭に声をかけられ、沢見くんは頷く代わりに人差し指と親指でオッケーサインを作った。強く打った頭を支えるように手を添えて、力なく笑って見せていた。
「とりあえず保健室いこうな。保健委員いるか」
 沢見くんは何ともないというように、手を振って断ろうとするけれど「頭を打ってるんだから」という先生に説得されていた。頭を押さえながらよろよろと立ち上がる沢見くんを同じクラスの保健委員が支えて、二人は体育館を後にした。
「はいはい、みんな戻って! 野次馬終わり! 試合再開するよ」
動揺を隠せない男子たちも、野次馬の女子たちも担当教諭の一喝で、持ち場に戻るように言われ、ぞろぞろと自分の場所に戻っていく。
私も定位置に戻ったが、試合中も脳裏を過るのは沢見くんのことばかり。その後沢見くんは再び体育館に姿を現すことはなく、教室に帰ると沢見くんの席からカバンが消えていた。